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【ゆのたび。】 05:温泉地に現れる耐熱性抜群な地元民は何者か?――那須温泉で出会う熱湯の仙人
誇れるほどのことではないが、私もこれまでそこそこに各地の湯を巡ってきた身である。
各地の湯にはそれぞれ特徴があり、全く同じな泉質の湯は無い。
それは天然の温泉に限らず、沸かし湯であってもそうだと思う。
施設の雰囲気や立地なんかがそう感じさせるのだろうか。同じ水道水の沸かし湯であっても、所が違えば違う湯のように思える。
だからこそ、湯めぐりはやめられない。
さっきも言ったが、湯はそれぞれで特徴を持っている。
塩辛かったり、硫黄臭かったり、ぬるぬるしていたり。色も白や茶色、透明から濁りまでさまざまだ。
そして、湯の温度にも違いがある。
熱めだったりぬるめだったり。なかなか出会えないが、ちょうどよいと思える温度もあったりする。
お湯は人間に合わせて温度を変化させてはくれない。
人には好みがある。どのくらいの温度が心地よいかは人によって違うのだ。
その違いを楽しむのも、湯の楽しみ方ではあるかもしれない。
しかし、それにしたって限度があるだろう。
ときたま温泉地で遭遇する地元の民は、もしかしたら自分とは異なる体のつくりをしているのではないかと勘繰らずにはいられないのである。
栃木県の那須温泉は有名な温泉地だ。
開湯してから約1400年にもなる歴史ある温泉で、近くには最近割れたことがニュースにもなった、かつて九尾の狐である玉藻の前を封印したとされる殺生石がある。
その殺生石の近くに、日帰りの共同浴場である『鹿の湯』がある。
そもそも那須温泉は狩野三郎行広という者が狩りで仕留め損ねた鹿が傷を癒していたことから名づけられた湯である。
この湯の歴史を名前で伝えるこの施設だが、ここの湯はなかなかに面白い湯への入り方ができることで知られている。
浴室には同じ大きさで木製の湯船が6つ(女湯は4つに大風呂が1つ)、一列2つずつで並んでいる。
これらの湯船に入っている湯はそれぞれ温度が異なっていて、奥に行くにしたがって温度が41、42、43、44、46、48度(女湯には48度がない)と高くなっていく仕組みだ。
この中から好きな温度を選んで入浴できるのだが、やはり訪れたからには、すべての湯に浸かりたくなる。
体を慣らしながら、ぬるめの湯から順番に浸かっていく。
44度くらいまではなんとか平静に入れることができた。
しかし、46度の浴槽に足を浸けてみると、すぐに足の指先から脳みそに、危険信号が発せられた。
「おい、この温度はまずくないか?」
熱いではなく、痛いに変わりそうな温度だ。熱い鍋の取っ手にうっかり触ってしまった時に感じるようなビリビリとした感覚が、肌全体に刺さる。
やけどをしそうな予感ががっつりとしつつも、触れ込み的には大丈夫なので慎重に湯へと入る。
するとなんとか全身を湯につけることができ、私は安堵のため息をついた。
しかし、まだ最後の浴槽が残っている。
最高温度の48度の浴槽には、すでに入れる気がしない。46度でこのくらいなのに、さらに2度も高いのだからすでに恐怖だ。
だがもっと恐ろしいのは、そんな熱いこと間違いなしの湯の中に、年配のお方がお一人、肩までしっかりと浸かっていることだった。
その人はまるで家の風呂にでも入っているかのような気軽さで湯に浸かっていた。48度の高温の湯の中に。
実は温度が高くないのでは? 淡い期待を込めて足の指先を入れてみるも、パッと湯から身を引いてしまう。
熱い。熱すぎる。これは気持ちよく湯に入るとか、そういう余裕を持った構えを取ることのできない代物だ。
入ろうか、やめようか。いやそもそも入ることができるのか。
すべての温度の湯に浸かりたい思いと逃げ腰な思いが交差して、私は何度も足を湯へ出し入れした。
もしかしたら湯に慣れることができるかもと期待をしていたのかもしれない。
と、ふと視線を感じて顔を上げれば、私のそんな様子を見てか仙人(なんとなくそんな風貌をしていたのでそう呼ばせてもらう)がニヤニヤとしていた。
「そんな風にしていたらいつまで経っても湯に入れんよ。一息に入ってしまえばいいのさ。後戻りができなくなるから」
48度の浴槽の中には仙人しか入っていない。
しかし浴槽の縁には何人かが座っていて、どうやら彼らはすでにこの湯の中に入った後のようだった。
その彼らからの視線に、若干の生暖かさがあるのは気のせいだろうか。
ご苦労さん、とでも言いたいかのような。
……まさかこの仙人、こうして外からやって来た客が熱い湯にあくせくしているのを得意げにいつも眺めて楽しんでいるのか!
こいつめ、と私は思った。
彼にとってこの熱い湯は珍しくもなんともないものなのだ。
きっと何度も昔から入り続け、体も心もこの湯の暑さに慣れきっているのだ。
だからこそ、暑さに慣れていない者たちがヒィヒィしているのを見て「全く情けない連中だ」とからかいの目を向けているのだ!
「ゆっくり入りなよ。入ったら体を動かさないことだ。動くと熱いぞ」
そういう仙人の顔は得意げだ。きっとこれまでだって何度もそう客たちに教えてきたのだろう。
悔しいが、やはりここは強者であるこの人の言葉に従うのが正しい。
私は足先からゆっくりと、ふくらはぎ、太もも、腰と湯へと入れていく。
すると、熱くて暑くて仕方がなかったがなんとか肩まで湯に浸かることができた。
「ほら、入れたじゃないか」
仙人はそう私に言う。確かに入れた。しかし私は暑さに耐えながら、余裕のない笑みを彼に返すしかなかった。
と、
「さてと」
仙人はそういうとゆっくりと浴槽から縁へと上がった。
すると、湯が動いて波が立ち、水中でも湯のうねりが生まれて私の体を撫でていく。
そうなると、やってくるのは刺すような痛さ!
熱い! 動かないことでギリギリ耐えられていたのに、湯を動かされることで暑さが肌に刺さってくる。
動くな、と言ったのは正しかった。ただ湯が動いただけで、温度がぐんと上がったかのように体へやけどのときと似たビリビリとした痛みが全身に走った。
熱い、と思わず呟いてしまった私に、仙人はまたしてもニヤニヤとして、言った。
「ほら、動いたら熱いだろう?」
動いたのはあんただ! 思わず毒づきそうになったが、なんとかこらえて笑みを返しておく。これ以上この仙人を楽しませたくはない。
湯が熱いので入浴時間もごく短くすることとの注意書きがあったので、1分だけなんとか頑張り湯から上がる。
たった1分だが、十分すぎるほどにおなか一杯になってしまった。この後改めて別の湯に入ろうという気すらも起きない。
48度に見事にやられてしまった私とは対照的に、仙人はニヤニヤと余裕たっぷりな様子だった。
きっとこの後、再びこの熱い湯に入るつもりなのだろう。
まったく、理解ができないお方だった。
このように温泉には、ときたまこちらが理解できないような熱さ耐性を持つ猛者が出没する。
長野の野沢温泉も、青森の下風呂温泉も湯は熱かった。しかしやはり、そこに平然とした様子で湯に浸かる地元の民がいた。
慣れとは恐ろしい。もしくは本当に体の何かが違うのか。
熱さに悪戦苦闘しているこちらをしり目に、彼らはなんとも心地よさそうに湯に肩まで浸かっている。
あそこまで至るのにどのくらいの時間と鍛錬が要るのだろうか?
いくつ湯を巡っても、その湯に入り続けてきた猛者にはまるで叶いそうにない。
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