【ゆのたび。】 16: 下諏訪温泉 菅野温泉 ~懐かしき昭和レトロな街中温泉~
諏訪の街は暑い。
猛暑は湖畔であっても関係なしだ。じりじりと肌を焼き、風はねっとりと蒸し暑くて汗は止まることなく噴き出てくる。
灼熱の諏訪を、諏訪大社の四社巡りのために私は久しぶりに訪れた。
しばらくぶりの訪問だ。初めて訪れたときは確か、社会へと仕方なしに漕ぎ出したばかりの頃だった。
あの頃から私はいろいろなことが変わった。いろいろなものを得てきて、いろいろなものを捨ててきた。
何も変わっていないようでいて、私はきっとあの頃とは様々な部分が違っているのだろう。
しかし何の因果か、季節は初めて諏訪を訪れたあのときと同じだ。
ああ、振り返ってみればあの日も随分と暑かった。
ムワリとした熱気に包まれ、熱い太陽光の下を歩く私は服を汗でじっとりと濡らす。
記憶と今が重なる。そうだ、あの日もこうやって汗だくになって、暑さと不快さに時折文句を漏らしたくなりながら諏訪の街を歩いていた。
諏訪大社は4つの境内を持つ神社であり、諏訪湖を挟んだ南北の山際に2つずつがある。
この4つの社をすべて参拝することを一般に四社巡りと称されているわけだが、南北の社は結構距離が離れており、移動にはなかなかに時間を要する。
1日で巡るには車を使わないとなかなかにしんどい。最低でもサイクリングだ。
昔の人々と同じく徒歩での参拝となればかなり大変だ。
それも夏にするとなれば、それはもはや苦行ともいえるだろう。
そんな苦行を私はかつて少しだけやっていたりする。電車を使ってのショートカットを使ったのだが、それ以外は全部歩きで巡った。
我ながらずいぶん頑張ったものである。汗だくになってトボトボと歩いたあの日と違い、今の私はスピーディーで快適なエアコンのかかる車を操っている。
楽を覚えてしまったな。後戻りはできなさそうだ。
4社を巡り終えた頃、時刻はそろそろ帰宅にちょうどいい頃合いになっていた。
今回は日帰りの予定だ。遅くならないうちに帰りたい。
だが……その前に、ひとっぷろ浴びていきたいところである。
汗で湿った服。嗅いでみればムワッと汗臭いし、その下の肌はべっとりとしている。
このまま帰るというのも、帰れはするけど気分としてはマイナスだ。
そも、諏訪は温泉地としても名の知れた土地だ。街中には、温泉旅館や小さな共同浴場が数多くある。
ならば、答えは1つだ。
諏訪大社で心の汚れを落とさせていただいたので、今度は諏訪の湯を浴びて体の汚れを落とさせていただこう。
今日も湯を求めて、である。
下諏訪温泉 菅野温泉
私は街中の共同浴場が好きだ。
少々ひなびているくらいが実に好みである。
温の湯気と地元の人々の生活の雰囲気が混じって漂うその場所に、私は不思議に惹かれるものがある。
湯が良い温泉ならば、なおのこと良いものだ。
諏訪には諏訪湖の東岸に上諏訪温泉と下諏訪温泉がある。
明治から昭和初期にかけて発展した上諏訪温泉に対し、下諏訪温泉は江戸時代に中山道の宿場町として発展した地と歴史に違いがある。
上諏訪の方が近代的な発展をしており、一方で下諏訪は古くからの雰囲気を残すおだやかな印象を受ける。
今回私は下諏訪温泉を訪れた。
街に漂う歴史の雰囲気には、なんともロマンを感じられて良い。
さて、やはりひとっぷろ気軽に浴びるなら街中の共同浴場が一番だ。
諏訪湖の北側にある諏訪大社の2社、春宮と秋宮の近くには多くの共同浴場がある。
どこも良さそうだが、今回は湯のはしごはできない。1つだけにしぼらなければならない。
迷った末、参道の近くにある浴場の『菅野温泉』という湯を訪れることにした。
そこは、なんとも昭和レトロな湯であるらしい。
駐車場は裏手の公営のものがある。正直ここでいいのか不安だったが、受付の人に尋ねてみればここでOKらしい。
車を停めて、歩いて向かう。
住宅地の細い路地を歩き、奥へ。
こういう、生活の只中を歩くことができるのが共同浴場の趣だ。
路地を直角に曲がると、暖簾が見えた。
暖簾をくぐると、薄暗い通路が向こうへと続いている。
その通路の中ほどに、♨のマークとともに『菅野温泉』と黒字で書かれた白地の看板が吊り下がっていた。
菅野温泉に到着だ。
暖簾のかかった入口は、郊外にありそうな大型の銭湯のような煌びやさはない。
どこか、観光客のような一見さんには来訪に抵抗感を与えそうな雰囲気だ。
一方で地元民に向けてはウェルカムな雰囲気を発しているような気がするのは、さすが地域に溶け込む共同浴場である。
表の道からもそんなに目立つ佇まいでもない。
街の中にそっと溶け込んでいて、そんなところが近隣の人々に愛されそうな親しみやすさになっているように思える。
暖簾をくぐると正面に番頭台があり、振り向くと入浴券の券売機があった。
牛乳の自動販売機も隣にあって、やはり牛乳は銭湯には欠かせないものである。
料金は大人280円。安い、これぞ共同浴場といった値段だ。
どうやら、近隣にある同じタイプの浴場は料金が一律なようだ。
安さは正義。
素晴らしい。
奥へと進むと脱衣所になっている。
脱衣所との間に扉がなくて開放的である。
シンプルな脱衣所の隣には透明な引き戸があり、その向こうが浴室となっている。
何人か先客がいるようだ。私もそこに混じらせてもらおう。
無色透明な湯と昭和な雰囲気に浸る
先客もいて、かつ撮影は禁止の張り紙もあったので残念だが撮影はできない。
浴室内が気になる人はネット検索をしてみるといい。
観光サイトなどで良い写真がいくつもあるはずだ。
広い一部屋の浴室はタイル張りで、真ん中に楕円形の浴槽がある。
浴槽の真ん中には石柱のような湯の吹き出し口がある。
左右に洗体用のシャワーと蛇口があり、石鹸類は無い。
この蛇口も、水の温度調整はできずお湯が出てくるだけだ。
しかし湯の温度はちょうどいいくらいなのでそこは安心である。
体を流して、ではいざ湯の中へ。
湯は少し熱めだが、ゆっくり入れば慣れることができる温度だ。
聞いたところではこの湯の温度は下諏訪の中でも比較的入りやすい温度らしく、近くにはもっと熱い浴場もあるらしい。
熱い湯は私も好きだが、私はこのくらいの『熱さ』で十分である。
泉質はナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉で無色透明だ。
どこかやわらかみのある湯で、浴槽も深いので全身を肩まで沈めれば、思わず「あぁ~」という声を漏らすとともに疲れも溶け出すという寸法だ。
肩まで浸かって、浴槽の縁を枕代わりにする。
そうすれば天井を見上げることになるが、意外にも天井は高いことに気が付く。
横を見れば、タイルで描かれた絵が壁にある。
浴室に壁絵、まさに昭和のザ・銭湯といったところだ。
私は、まさしく昭和といえる時代の中を過ごしたことはない。
なのにどうしてか懐かしさを感じてしまう。
これが『レトロ』なる気持ちなのだろう。
実に良い心地である。
……湯に入りながら、ふと思う。
この『昭和レトロ』というものを、本当の昭和を過ごした人々も同じように感じるのだろうか。
私は、実は似ているようで少し違っているのではないかと思う。
昭和の真ん中を過ごした人には、昭和レトロを『レトロ』なんて思わないのではないだろうか……どうなのだろう?
ただひたすらに『ああ、あったな』なんて思うだけかもしれない。
懐かしさがかつて過ごした日々の記憶から興るものなのか、それとも根っこのない見知らぬ懐かしさなのかが、この雰囲気を『レトロ』と思うかどうかの境目かもしれない。
ともあれ、良い湯だ。
昭和でも、平成でも、令和でも。
もちろんその先も。
この湯は変わらず無色透明に、入る人々の今を洗い流してくれることを願いたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?