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【ゆのたび。】 04:いざ、日本最東端の銭湯へ! ~北海道根室半島で海の仕事人たちを癒す『舞の湯』~

※動画版をそのうち作成します。


『最も』な物事に人は妙に惹かれるものだ。

最も美味い、最も珍しい、最も大きい、最も偉大……『最も』が頭に付くだけで、それがずいぶんとありがたいものに思えてくるのは
きっと誰しもがミーハーの素質を持っているからではないだろうか。

それか『限定』とか『特別』とか、そういうレアもの感を感じさせる
魔法のワードのように、
「今ここで手に入れておかないともったいない気がする……」
と思わせる要素が『最も』には含まれているのかもしれない。

私も例にもれずそういう類の物事には興味と好奇心を持たずにはいられない。


私は風呂が好きだ。

温泉、銭湯問わず、湯に浸かることが好きである。

それゆえ旅の目的に風呂を据えることも珍しくない。

そんな私が日本で一番〇〇な湯なんて所を知ってしまえば、ああもう、
気になってしまって仕方がなくなってしまう。

その湯はどんな湯なのか。どんな心地なのか。

訪れ、浸かり、感じてみたくなってしまうのだ。

そういうわけで私は一路、北海道へ飛んだ。

日本で最東端にあるという銭湯。

それがどうも、根室半島にあるのだという……。




目指すは根室半島の歯舞漁港


真っ暗な釧路駅から始発の花咲線に乗り、根室駅に着いたときには朝日が昇っていた。

季節は冬の初め、太陽が昇っても気温が氷点下を下回っていることが日常になってきた頃だった。

北海道で氷点下の気温は全く珍しいものではない。

しかし本州住まいの私には、暮らしの中でマイナスの気温になるときは真冬の明け方くらいのものだ。

太陽が昇ってしばらく経った時間でも気温が氷点下なのは、スキーに山間へ行ったときくらいである。

まずはレンタカーを借りて、ひとまず根室半島の突端、一般人が訪れられる日本最東端の地である納沙布岬を目指す。

せっかくなら記念にその地を踏んでおきたかったのだ。

最東端の地を踏んだ後、半島をぐるりと一周する道路を太平洋側へ少し走る。

すると途中で、漁港を持つ小さな町が見えてくる。


歯舞漁港だ。


ここが、日本で最東端の銭湯がある場所である。


小さな町にはかつて鉄道があった

町の中へ入り、漁港を目指す。

港内には漁船が多く停泊していて、漁業組合のものと思われる大きな建物からは作業の音が聞こえる。

ここで採れた新鮮な海産物は今も昔も、遠くの人々のもとへ運ばれている。

私がこの町へ車でやって来たように、海産物は車によって大きな街へと輸送されていく。

根室半島の交通手段は車だ。いや、車しかない。

だがかつてはここに敷かれた鉄道で輸送されていたのだなと想像すると、聞いたことのあるはずがない警笛の音がふと、耳に聞こえた気がした。

この町にはかつて、鉄道の駅があった。

かつて根室半島には根室拓殖鉄道という鉄道が存在しており、その終着駅である歯舞駅があったのだ。

根室拓殖鉄道漁港から水揚げされる海産物を根室市へと運搬することを目的として1929年に建設された。

根室市内から旧歯舞村を結ぶ国内史上最東端の鉄道だったが、根室半島の過酷な環境で経営は難航し、1959年についに廃線となった。

廃線になった北海道の鉄道は珍しくもないのだが、この鉄道が鉄道好きの中で特に有名なのは、根室拓殖鉄道が持つネタとしか思えないような逸話の数々だ。

毎日起こる脱線、おかしな形の鉄道車両……その辺の詳しいことはインターネットを調べれば出てくるのでその目で見てみてほしい。

とにかく、よくそのような状況で30年間も営業ができていたものだと思える話ばかりである。

もう廃線となって70年近くが経とうとしているため、その痕跡はあまり残っていない。

が、航空写真を見るとわずかに線路の痕を見ることができたりと、苦しいながらも人と物を運んでくれた働き者の痕跡を見ることができる。


奥まったところに銭湯はあった


さて、話を戻そう。

目的の銭湯は漁港の傍にある。

よくある入浴施設のように大きな看板があるわけでもないので見逃してしまいそうだが、よくよく注意していると小さな看板を見つけることができる。


看板。一度見落として通り過ぎた


ここから砂利の道に逸れると、その正面に目指す建物が見えてくる。


本当にここなのかと疑いたくなる外観の『舞の湯』


ここが目的の場所、日本最東端の銭湯と言われる『舞の湯』だ。

見た目が銭湯っぽさがあまりなく、最初見た時に「本当にここか?」と怖くなってしまった。

漁協の事務所か何かなのでは?とも考えてしまったが、しかし看板はここを示しているし、間違いはないはずだ。


壁に看板が

近づいてみると、壁に『舞の湯』の文字が。

良かった、ここで合っているようだ。

しかし、ここに私は本当に入っていいのだろうか? 

アウェー感が強い雰囲気があってドキドキしてくるが、せっかくここまで足を運んだのだ、入らずに帰るのはあまりにもったいない。

意を決して扉を開けて中へと入る。


料金入れと来館者の名簿

中に入ると左側に受付の窓口があった。覗き込むと中に年配の男性がいる。

私に気が付くと、低い声で「いらっしゃい」と小さく言ってきた。

「あの、入浴したいんですが」

「そこに名前を書いてね」

卓上にはファイルに挟まれた来館者の名前を書く紙があった。

欄には来訪者が漁港の職員なのか外来の者なのかを記すところがあって、それを見て私は少しだけ安堵した。

良かった、ちゃんと訪れてもいい場所だった。

「料金は……」

「385円ね」

入浴料は一人385円。

なんとも中途半端な金額だ。

卓上にはお金を入れる箱もあり、受付の人がいなくても入ることのできるようになっている。

忙しい港の人たちへの配慮なのだろうか?

しかし、385円……細かいお金は財布に入っていただろうか……こういうところではお釣りをあまり出したくない。

変に大きな金額で支払ったりして、相手側に「なんだこいつは……」と少しでも思われたくないのだ。

だが、普段は有り余るくらいに財布に中にある小銭がこういうときに限っては足りないもので……財布の中に、100円玉は2枚しかなかった。85円はしっかりと作ることができたのにである。

お札で払うしかない……しかもよりにもよって10000円札しかない。

大きなお金での支払いは、時には一番好まれないことがある。

「すいません、10000と85円でお願いします」

小さく唾を飲み込んで、恐る恐る受付に告げる。

別に悪いことをしているわけでもないのに、どうしてか悪いことをしている気になる。

と、私の言葉を聞いた受付の男性は手を振りながらこう言った。


「ああ、いいよいいよ。85円で」


……何だって? 


「え、いいんですか? そんな割引……」

「いいよいいよ、気にしないで」


私は思わず困惑してしまった。

そう言ってくれるのはありがたいが、さすがに割引が大きすぎて申し訳なくなってしまう。

だがそんな私の様子に、受付の方は面倒くさいことは嫌いだとばかりに、さっさと払えと雰囲気で訴えてくる。

結局、私はなんとたった85円で、私は最東端の銭湯に入れることになってしまったのだった。



この湯は、港の仕事人たちの職場の一部なのだ


浴室のドア


公民館のような館内を奥へと進むと浴室がある。

古びたドアを開けると、中は脱衣所になっている。

中には誰もいないようだった。


生活感の強い脱衣所


昔懐かしい体重計もある

中は衣類を置く籠の棚の他に洗濯機がいくつもあり、その横には洗面台代わりのシンクがある。

床には灰皿や古びら椅子があり、さらに昭和の頃からずっとここで人々の体重を図り続けているのだろう錆びついた体重計が端に置かれていた。

他にはなぜか、通販で売ってそうなエクササイズマシンも置いてある。

棚には誰かのシャンプーなどが入った小さなカゴがいくつも置かれていて、疲れた人々が仕事帰りそのままにここへと訪れている情景が浮かんでくる。

周囲に漂っているのは、強い生活感だ。

印象として、ここは公共の場所というよりも仕事場といった雰囲気だ。

ここは誰が利用してもいい銭湯なのだろう。

だがこの施設は看板に書いてあった通り、漁船員の厚生施設だ。

利用する者のほとんどは港の関係者のはずである。

私が舞の湯にアウェー感を持ったのは、ここはもはや多くの人々にとっての職場の一部であり、私自身が自分の属していない職場にお邪魔していることを肌で感じ取っていたからだろう。

私以外に利用者がいなかったのは幸運でしかなかった。

もし誰かが一人でもいたら、私は緊張で入浴どころではなくなっていたかもしれない。

さあ、誰も来ないうちに早く入ってしまおう。

この状況に感謝しながら、そして私が入浴し終わり衣服を着終わるまで誰も入って来るなと願いながら、私は裸になって浴室へと入った。



無限に注がれる湯、広く深い湯船


大きなタイルの浴槽が真ん中にある


真っ先に目に飛び込んできたのは浴室の真ん中の青いタイルの大きな浴槽だ。そこに湯気を上げる湯がたっぷりと貯められている。

大きな窓からは明かりが入って、室内灯が何も点いていないのにとても室内は明るい。


備え付けのシャンプーなどは無い

縁には体を洗う場所がある。

備え付けのシャンプーなどは無く、だから棚のところに個人用の石鹸たちがあんなにたくさん置かれていたのか私は理解した。

さあ、体を流して早く入ろう。

幸いにしてこの日はそこまで寒さの厳しい日ではなかったが、裸でいればそれなりに寒い。

体を流し、最も東にある銭湯に体を沈めることにする。


これが日本最東端の銭湯の景色!


これが、日本最東端の銭湯の湯船からの眺めだ。

湯船は深めで、うずくまると首までしっかりと湯に浸かることができる。

縁に段差もあるので、そこに腰をかければ半身浴も可能だ。

湯気が沢山立っているが、見た目ほどに湯は熱くない。

熱めではあるが、気持ちのいいくらいの熱さだ。


止まることなく注がれる湯


湯は注ぎ口から際限なく注がれている。

この湯は何の熱源で温められているのだろうか?

もし普通のボイラーで加熱しているならガス代が馬鹿にならなそうだが、
例えば何かのエンジンの熱を利用しているとか、そういうことなのだろうか?

ああ、これは結構心地よい。港の人々の疲れを日々癒しているだけはある。

熱めな湯に、全身しっかりと窮屈感なく浸かることができるのがいい。

次々に新しい湯が注がれているのも疲れを癒すポイントな気もする。

景色がいいとか、内装がきれいだとか、そういうのは無い。

でもそれは当然だ。ここは『仕事場』なのだ。

全身を沈め、体をホゥッと弛緩させる。

疲れが染み出していく。

幻の疲れだ。

別に疲れてもいないのに。

長湯をしそうになって、ハッとする。

そろそろ誰かがやって来てしまうかもしれない。

部外者な私が、その誰かの癒しのときを邪魔してはならない。

本当は侵入がバレてしまうような気まずさを感じたくないだけだったのだけれど、自分に言い訳をしながら私は努めて冷静に湯から出たのだった。



発つ私は跡を残さぬように


結局、私が舞の湯から立ち去るまで誰一人として私以外の客は来なかった。

加えて私が建物を出るとき、挨拶だけでもと思い受付に顔を出してみるも、受付の男性は私の声にも気づかず、こちらを一度も向くことはなかった。

――お前が訪れたことは見なかったことにしてあげるよ。

その後ろ姿からは、そんな風に言われた気がした。そんなはずはきっと無いはずなのに。

もうすぐ仕事の終わるころだ。きっと港の仕事人たちが一斉にここへやって来るだろう。

私は一度だけ舞の湯を振り返った。そしてすぐに、足早にその場から立ち去った。ここに私が立ち寄った痕跡を無くすかのように。


最東端の銭湯に入れて、私はコレクション的な達成感が得られた。

訪れられて満足である。

が、私にとって物珍しく思えたあの湯は、周囲の人々には当たり前にそこにあるただの生活の一部だ。

これからも舞の湯は、最も東にあることをおくびにも出さずに人々の疲れと汚れを洗い流し続けるだろう。

私のような物好きも迎え入れてくれるけれども、もしかしたら本当は、私みたいな者をお呼びではないなのかもしれない……そう思うのは、さすがにネガティブがすぎるか。

……港の人たちと、言葉を交わしてみたかった思いはある。

もしまた行く時があったら、その機会に恵まれるだろうか?

そしたら、そこで出会う誰かは私を快く迎え入れてくれるだろうか?

不思議と不安が頭によぎる。

まあその時が来たら、そのことを考えればいいだろう。

……次がいつになるかは分からないけれど。

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