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好きなことは好きと言える美しさ
「今日も、塩おにぎりが食べたい!!」
数日前のこと。自宅でBBQをしたときに、僕が作った塩おにぎりがたいそう美味しかったらしく。6歳の長男の「好きな食べ物ランキング」に、見事「塩おにぎり」がランクインされたようです。
海苔も巻いていない。具も入っていない。ただ塩味がついているだけのおにぎり。
「お、おぅ。それで本当に良いのかい?」と確認したくなるほど、僕にとっては「大したことない料理」なんですが、それでも、息子の喜んだ顔を見るのは、僕にとって最高のご褒美になっています。
パパは、君のその笑顔だけでご飯3杯はいけるね。塩味すらいらないくらい。(いや、ちょっと大袈裟かな。ご飯3倍は食べられない。笑)
塩おにぎりは別としても。長男を見ていると、最近の子は自分の「好きなもの」が多様化しているように感じるときがあります。
長男の友だちとの会話を聞いていると、最近ハマっているアニメやゲーム、おもちゃがバラバラ。
たぶん、YouTubeが登場した影響が大きんでしょうね。
僕が子どもの頃はテレビしかなかったから、ある程度「共通の話題」みたいなものがあって「昨日の〇〇観た?」みたいな会話が日常茶飯事だった。
だから、友だちとの会話についていきたくて、ちょっと無理してテレビ番組を観たりしたこともあって、あれはあれで疲れた経験だった気がする。
でも、今の子どもたちは、自分のタイミングで自分が興味のあるものとYouTubeで出会えるから、自分の「好き」に素直でいられるように見えるんです。
自分の「好き」は、世界中の誰にとっても「好き」だと思っているらしく、相手も知っている前提で繰り広げられる会話が、聞いていてすごく面白い。
「YouTuberの〇〇さんがやってたアレ面白いよね!!!笑」
「え。なにそれ?」
みたいな、キャッチボールが生まれないコミュニケーションが繰り広げられて行くんですよ。
僕が子どもの頃は、「身近な友だち」という小さなコミュニティーの中で成り立たない話題は、触れちゃダメみたいな風潮があった気がする。
だけど、今の子どもたちは、YouTubeというコミュニティーを生きているから、「身近な友だち」の中に共感してくれる人がいなかったとしても、「他の場所」には、ちゃんと自分の居場所が存在していることを感じながら生きているんだろうな、と思うんですよね。
周りの目を気にせず「僕は、これが好き」と言える”たくましさ”のようなものを感じるし、世の中もそれをちゃんと受け止めてくれる形になって来ていることを感じます。
もし、長男が「塩おにぎり好きによる、塩おにぎり好きな人のためのコミュニティー」なんかを作ったら、新しい需要が生まれるかもしれない。
まぁ。生まれないにしても「そんなコミュニティーがあっても良いよね。」と受け入れてはもらえる気がする「優しさ」が世界に漂っている気はする。
そう考えると、この世界はどんどん生きやすくなって来ているのだなと思うことがあったりして。
「風の時代」と表現されることがあるけれど、本当に時代に“軽やかさ”を感じる今日この頃です。
「批判されたらどうしよう」と、怖くなっちゃう気持ちは存在し続けるんだろうけれど、それを超える「共感してくれたら嬉しい」が生まれるワクワクが勝る、そんな時代になって行ったら良いですよね。
例えば、世間一般的にはまだまだ「怪しい」というイメージをもたれがちな、スピリチュアルとか、ネットビジネスみたいなものもに対しても「好き」を感じる人はいるわけなんだから、「好き」と言えたら良いですよね。
もちろん。誰かに迷惑をかけるわけじゃない、というのが大前提だけれど。
自分の「好き」を堂々と「好き」と言えたとき、自分の中にある「リトルじぶん」(本当の気持ち)がウキ♪っとしてくれるはず。
そんなときめく感覚を大切に、生きていきたいものですよね。
さてさて。きっと今日も塩おにぎりをリクエストされることになると思うので、僕はこれからお米を炊きます。
「好き」を伝えると、こうして「誰か」が応援してくれる。そんな優しい世界を紡ぎながら、僕はそういう世界で生き続けていたいなと思います。
あなたは「好き」を「伝える」できていますか?
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