見出し画像

女性の選択の自由を奪う国

 男女平等・同権が叫ばれて久しいが、どんなに願っても、現代の技術では男には決して体験できぬことがある。生理、妊娠、出産だ。
 妊娠や出産を、女性の社会進出や活躍を阻害する要因だとして、一種の過激な主張をする人の中にはそれらを攻撃する向きもあるようだ。でも私は、生理も妊娠も出産も、女性特有の痛み・苦しみであると同時に、自然に与えられし特権のひとつではないかと思う。

 生理や妊娠は、人間の命を営々と次世代に繋いでゆく営みだ。だからこそ、全てが尊いことなのだ。それに関わる役割の(男と比べれば)大部分を担う女性は、妊娠や出産を通じ、自然の一部である人間として、ひと回りもふた回りも大きく成長するのではないかと思う。そして母性と云う慈愛を満ちた感情を獲得していく。
 云うまでもないが、妊娠は男女が存在して初めて成り立つ。男たちは、生理や妊娠、避妊のことをきちんと知る必要があるし、女性の身体を慮り、相手の意志を尊重する態度がとても大切なのだ。

 しかし、だ。世の中にはそうした最低限のことすらできない、しようとしない、身勝手な輩がごまんと居る。性暴力、避妊への非協力的な態度、或いは避妊の失敗・・・。そうした要因で女性がその身体に生命を宿した時、中絶という選択肢があることは、女性たちの救いであり、光明である。

 ところが先月(2022年6月)。世界に冠たる先進国アメリカで、この光明を吹き消す決定がなされた。連邦最高裁が、人工妊娠中絶を女性の権利として認めた1973年の判断を、約半世紀ぶりに覆したのである。今後、保守色の強い州の法律では、中絶が違法とされる可能性が高いという。

 我々日本人からすると驚くが、アメリカでは常に、中絶の合法性をめぐり、論争が続いているという。キリスト教の考え方が色濃く反映されているのだろうから、無宗教者が多いとされる日本人にはなかなか理解しにくい部分もありそうだ。州によっては、避妊すら「快楽を求める性交」につながり、神の教えに背くとして禁止されているところがあるという話を聞いたことがある。

 何にでも云えることだが、あらゆる事柄において、当事者が取れる選択肢が多いほうがいいのではないかと思う。今回のケースで云えば、保守派の「宿った生命こそが大事で、産む母親の選択よりも尊重されるべき」という主張も、一理あるとは思う。中絶が合法だから、「できちゃったら堕ろせばいいや」という無計画・無軌道な妊娠が増え、結果尊い命が奪われるのだ、という論理だ。宿った生命に罪はない、という意見は、賛同する人がたくさんいるのも頷ける。
 それでも、私は前述のように、女性の選択肢はできるだけ多く残しておいたほうがいいと思う。性暴力で妊娠は最悪のケースではないか。愛する人の子ならいざ知らず、望まないセックスで、望まぬ男(或いは全く知らない男)の子を宿し、自分のお腹の中で日々大きくなっていくのは、恐怖と絶望でしかない。
 これは極端な例だが、犯罪とは関係ないところでも、パートナーが避妊に協力してくれない、仕事などの都合でどうしても子育てに入れない状況で妊娠してしまった、金銭的に育てていけない、家庭環境などで、やむなく中絶を選ぶ場合もあるだろう。
 その時の女性たちは、心を痛めながらその選択をしている人が大多数のはずだ。生まれてくるはずだった命に手を合わせ、頭を垂れ、「ごめんね」と何度も呟き、十字架を一生背負っていこうと覚悟を決めて、その選択をしているのだ。なんと高潔で、尊厳に満ちた選択だろうか。すべての人たちは、彼女たちの決心を尊重すべきだと思うし、社会はそれほどまでに寛容で大らかであるべきだと思う。

 子どもは宝だ。超少子高齢化社会で、経済が、地域が、町が縮んでいく一方の日本では、子どもたちこそが希望だ。そのために、若い人が元気で、性欲旺盛で、子どもが増えればいいなぁーと本気で思っている。
 男子同志諸君には、この文章を読んで、いかに女性が尊く、大切にしなくてはいけない存在なのかを改めて認識してもらった上で、相手の意志を尊重してコトに臨んでもらいたいと切に思うわけなのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?