その手を掴めるか

「何かあったら相談してね」
この言葉を聞くたびに、うんざりした。
何かあったら相談をする、それはとても勇気にいることだ。

人を頼れるような人間になりたい。

思い返すと、手を貸そうとしてくれた人は、いつだっていた。
そしてきっと、今だっている。
そう信じたい。

1人で生きていきたい。常々そう思ってきた。それが正解だと考えてきた。
頼れない人生だった。
全部自分でやるということが当然だった。
勉強することも、働くことも、明日生きるための食糧を得ることも。
働かない親を、心の中では怨みながらも、この家庭に生まれた自分が責任だと考えた。

どんなに理不尽を嘆こうと、意味はない。
努力することでしか、道は拓けない。
自分の抱える苦しみは、他人には理解できない。
だから1人で努力する。それ以外にやり方を見つけられなかった。

けれども病気になって、とうとう1人では何もできないということを知る。入院期間中は、看護師の手を借りなければ、移動もできない。医師の知恵を借りなければ、生き延びるための治療法がわからない。友人がいなければ、生きる意味すら見失う。

頼れる人間になりたい。
頼れる人間でいたい。

「何かあったら相談してね」
そう言われたら、こう返答するべきなのかもしれない。

「何かあっても、きっと相談できない。1人で抱え込んでしまうかもしれない。だから、どうか気にかけて欲しい。それが1年に1回でもいいから」

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