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うつになりまして。

25歳、正式にうつ病になった。今まで避けてきた病院にいくしかない状況まで自分を追い込んでしまった。うつの診断が出た日、処方箋をもらったのに薬と引き換える元気がなくて、薬をもらえないまま処方箋の期限が過ぎた。お母さんが聞いたら泣くかな。お父さんが聞いたら助けてくれるかな。どちらにも、誰にも言えないまま、うつの診断書を押入れにしまった。

2月。仕事がピークで忙しくなった時、年末年始の付き合いで消費したお金のツケが回ってきて、心も体も完全に弱ってしまった。住んでいた家の更新費用が必要になると言われた時、わたしはほとんど近くに住んでいた恋人の家に住み着いていた、というよりは、誰かといないと壊れてしまうほど、一人では自分自身のことを持ち直せないようになっていた。恋人との同棲という響きがわたしを救ってくれるかもしれない、わたしはそう思っていたのかもしれない、今思えば不思議なくらい、何も悩むことなく恋人との同棲生活がスタートした。

4月。会社でついに心が壊れてしまう。人間不信がピークを迎え、川沿いを徘徊するようになる。同時期に恋人の浮気を発見する。簡単に気づけてしまうようなことを、今まではあえて見ていなかっただけだったのかも、この時のこともよく覚えていない、ほんの少しの違和感で、全てを知ってしまった、1番に支えてくれていた人もいなくなった。

溺死について調べ始めた。苦しい死に方だと知ってから、苦しいのが嫌いなわたしが、川を見ても死ぬ気にはならないだろうと安心するようになった夜、川に沈んでいく自分の夢を見た。飛び起きて、眠れなくなった、この日からよく朝方に目が覚めるようになった。

バスで通勤していたのを会社の都合で電車に変えてから、なぜか電車に乗れない日があった。仕方なくバスに乗っても、終点に着くまで降りられない。終点の駅からオフィスまで歩く。同じような格好をしたOLを見ることがストレスになって吐きそうになる。電車通学に慣れてきたころ、電車が止まらず降りられなくなる夢を見る。電車に乗ることが怖い、と病院の先生に吐露するも、どういうこと?と聞き返されて落ち込む。

誰よりも早く職場でパソコンを開いていたわたしが、今では始業時間ギリギリにしか行けない、誰よりもキャリアに固執していたわたしが、今では全てのプライドを捨てて責任放棄、誰の声も聞かなくなった、聞けなくなった、新卒3年目、頑張り過ぎた自覚がある、自分の枠以上に、自分にできること以上に、できるふりをし続けてしまった、自分に嘘をつき続けてしまった、何が嘘か、何が本音か、わからなくなってしまった、気をつかうことに慣れ過ぎてしまった、気を遣えないわたしの存在価値を見出せなくなってしまった、

会社から帰ってきたらカバンを置いてすぐに家をでる、気が済むまで外を徘徊する、恋人が心配して探しにくる、連れ帰られるまでの自由時間、泣かないけれど、生きていることを責め続ける時間、誰にも見られたくないわたしと、必死に向き合う時間、家出の頻度が増えて、ついには朝にも家から出て散歩をするようになった、何を食べてもお腹が痛い、体重が40kgになってしまった、太らないと、って表で言いながら、裏では全て吐き出している、大丈夫そうに見える、とお医者さんに言われた、誰にも大丈夫ではないと言えなくなって、お母さんに電話した、

あなたは誰の人生を生きているの

お母さんが言った言葉は本当にシンプルだった、

今1番おかしいのは、そんなにしんどい状況なのに
ヘラヘラしているあなただよ、しんどいって言えないのはなぜ?
今あなたは誰のことを考えているの?
あなたの気持ちは?そんなに他の人の気持ちを優先してでも踏み潰されないといけない感情なの?

大丈夫そうに見える、ということは、そんなにしんどくないんだって
仕事に行ったら普通に振る舞えるなら
恋人にいつでも笑顔で接することができるなら
わたしはしんどそうにしていたい人なんだって
わたしはわたしのことを責め続けていました。
そんなわたしのことに気づいてくれたのはお母さんだった。

25歳の誕生日、恋人が時間ぴったりに家に帰って来た時、わたしは川沿いでひとり水面を見つめていました。生きたくも、死にたくもなかった、どんな感情だったかもよく覚えていません。恋人からの電話と、誕生日のお祝いメッセージの通知が止まらなくなって、思わず携帯電話の電源を切りました。死ぬとしたら1番いいタイミングでした。でも溺死は怖いから、他の死ぬ方法を調べようとして、携帯の電源を切ったことを思い出した。少し救われてしまったわたしは、少し泣きました。バカらしくなって笑ってもみました。川沿いはとても寒くて、なんども歩いては同じ場所に戻ってきた。戻ってくるたびに少しずつその場所が自分の存在できる場所になった気がして、少し安心した。寒さで体が震え始めて、思わず自分自身を抱きしめた時、わたしの体温から生きていることを実感しました。生きていたいわたしのことを温めてあげようと、たくさん寄り道をしながら帰路につきました。恋人に連絡をすると、すぐに見つけ出してくれて、おかえりと抱きしめてくれました。ごめんもありがとうも言えないわたしの手をとって、お誕生日おめでとうと言ってくれた。変わらない、いつもの当たり前のままでいてくれたことに感謝して、涙が出ました。

仕事も、恋人も、わたしの孤独の原因になっていることをわたしは知っています、でも簡単に手放した後、またわたしが変われないままになってしまうことが怖くて、焦らず、少しずつ、整理しようと思っている。

わたしはわたしを救いたい、けれど本当は、誰かに救ってほしい、だからこうしてわたしはわたしのことをここに綴ります、

何度も残そうとしてできなかった言葉、ようやく描けるようになったよ。

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