思い出の場所3~東京都府中市のアパート~
大学3年生になるタイミングで八王子市下柚木のアパートから引っ越してきたのが、府中市府中町三丁目にあるアパート「レモニーK」。
1988年2月初めのことでした。この府中市のアパートには大学卒業までの約2年間住んでいました。
大学を卒業する頃(1990年)、「府中駅南口エリアが再開発される」「府中駅は高架式になる」ということは耳にしていました。
また、卒業後の2000年過ぎには東京にいる友人から「府中駅は高架式になって、南口エリアは激変したよ!」ということも聞いてはいました。
昨年(2019年)の11月7日、私が大学3年生と4年生の約2年間住んだ府中市のアパートを約29年ぶりに訪ねてみました。
府中駅からアパートへ
約29年ぶりに京王線の府中駅に降りました。
駅の中は全く「別物」になってました。高架式となりフルモデルチェンジしたのですから当然ですね(*´з`)
さて、我がアパートは府中駅北口から徒歩で約15分~20分ほどの距離にあるので北口に向かい、外に出ると・・・。
見えた街の北口の雰囲気は当時の面影がけっこう残っていました。
ただ、駅の方を見てみると下の写真のとおり・・・私にとっては「近代的な立派なもの」になってました(*‘∀‘)
まずは府中警察署を目指し、ゆっくり歩いていきます(府中警察署にお世話になったことはありませんが、当時から私の「アパートへ向かう目印」となっていました)。
府中警察署の前を通過して今度はロイヤルホスト目指します。
そしてロイヤルホストのところを左折して、あとはまっすぐ進みます。
しばらく進むとセブンイレブンが見えてきました。アパートから徒歩1分の距離にあるこのセブンイレブンは一人暮らしの私にとっては絶対に欠かすことのできない存在でした。
このセブンイレブンを過ぎて右斜め前方というか右斜め奥にあるアパートが私の住んでいた「レモニーK」です。
約29年ぶりのアパートは・・・
セブンイレブンを通過すると・・・我がアパート「レモニーK」がありました!!
当時のまま建っていました。
しかし、歩道からアパートまでの砂利の敷地は、当時は車しかない駐車場だったのですが、自転車がたくさん止まっていました(アパートに近づいて分かったのですが、すぐ近くにはヤクルトのエステサロンなどがあり、そこで働いている方々の自転車かなと)。
そして、アパート「レモニーK」をよ~く見ると・・・誰も住んでいませんでした・・・入居者ゼロ。
老朽化が進んでいて、そのまま「放置」されている感じです。
もしかしたら、老朽化が進んで危険なので、入居者には退去してもらったのかもしれません。入居者の募集も行っていないようでした。
私が入居したときは築2~4年くらいの物件だった気がします。
そうだとすると築30年余り経過していることになるので、このくらいの古さというか汚れ具合になるのかな(*´з`)
ちなみに、この上の写真では1階の左側の部屋が私の住んでいた部屋でした。ただし、当時はエアコンは付いていませんでした(*´▽`*)
誰も住んでいないし、せっかく来たのでもっと近づいてアパートの周囲を巡りました。
当時の私の部屋の窓・・・全く変わっていません。
物干し竿は使わずに細いロープを、物干し竿を通す左右のところに結び付け「一本の棒?一本線?」のようにして、洗濯物を干してました(*‘∀‘)
窓側のエリアから今度は玄関の方に向かってみました。
おお!我が103号室!!!
ドアの色も当時と変わってない。
当然ですが、写真右端のチリトリは私のものではありません(笑)
このアパートを管理している会社の物かな?
アパートは老朽化していましたがドアや外壁の色も変わってないので、本当に懐かしさでいっぱいになりました。
ここで約2年間暮らした日々の出来事などがたくさん思い出されました。
引っ越しの理由
大学進学に伴い住むことになった八王子市下柚木のアパートは、そもそも大学に全てお任せして決めてしまった(現地や実際のアパートを一度も見ずに)ものでした。
そのため、実際に住んでみて原チャリを所有しなければ通学も友だちと遊ぶことなども難儀な所であることが分かりました(立地環境も想定外に牧歌的なものでした。今はだいぶ開発されてましたが)。
これまでの投稿記事に書いたように、大学の学生寮のような雰囲気をもったアパートだった点は、とても良かったです。
でも、「もう少しだけでいいから都会的な場所に住んで、大学に電車で通学してみたい」という気持ちが、2年生の夏休み前頃からとても強くなりました。
入学前からお世話になっている、高校の1学年上の先輩でもあり、同じ大学、そして同じく大学が斡旋した八王子市郊外のアパートに住んでいたM先輩が、この年の春(M先輩が大学3年生になる前の春休み中)に引っ越しをした(調布の京王線の飛田給駅付近)ことも大きかったです。
そこで、夏休みに実家に帰省した際、両親に相談し、大学3年になるタイミングで引っ越すことを了解してもらいました。住む場所やアパートについては全て私に任せるということで。
大学入学の際、実際に下柚木のアパートに来て泊まった父は「牧歌的な環境」も「交通に不便な点があること」も体験していたので、私の気持ちをとても理解してくれました。
府中にしました
両親からの了解を得て、下柚木のアパートに戻ってきてからは「来年はここには居ないんだなぁ」とか「一緒にこのアパートに入った同期たちはどうするのかなぁ。自分のようにどこかに引っ越すのかなぁ」など時々感傷的になりつつも秋が過ぎ、年末年始・短い冬休みもすぐに終わって、約一週間程度の授業期間も終わり、そのまま学年末試験に突入。約10日間の試験期間も気合を入れて乗り越えました。
この時の自分には「引っ越すこと」と「春休み中は蔵王温泉で旅館の住み込みアルバイトをすること」の2つを実行することへの期待、楽しみでいっぱいでした。3月初めからは蔵王温泉でのアルバイトが始まるので、2月の半ばまでには引っ越しを完了させなければとも思っていました。
引っ越し先については、以前から、京王線で新宿に向かう途中にある府中が気になっていました。
府中駅は京王線の特急も停車するし、南口には昔ながらの雰囲気のある商店街が広がっていて、賑やかな雰囲気もあるし、北口方面には甲州街道が通っていてビルやマンションも建っていて、私が好きな「ほどよい都会的な環境」に思えました。
学年末試験が終わった1月の最終週に府中駅に行き、駅のすぐ近くにあったO不動産に入店。3つほどアパートを紹介された中から即決したのが府中町三丁目にあった「レモニーK」でした。
終わりに
この府中市のアパートを訪問する2日前(2019年11月5日)には、私が産まれてから小学1年生が終わるまで過ごした田無市(現在の西東京市)谷戸町の日鉱アパート(父の勤務する会社の団地(社宅))だった所を見に行ってきました。
「日鉱アパート(団地)は無くなって、大きなマンションがたくさん建ち並んで、当時の面影は全くないよ」と、父が生前、母や私に教えてくれていたのですが、実際に行ってみると、当時の面影など微塵もないほど様変わりしていました。
あまりにも見事に様変わりしていたので、面影が少しでもあれば撮ろうと思った写真は結局1枚も撮らずじまい(^^;)
こうなると、「私の心の中にしか存在しない場所(もの)」となったので、いつかまた訪れてみたいという気持ちになることはないと思いました。
しかし、府中市のアパートはまだありました。老朽化して入居者もなく、入居の募集もしていないので、いつ取り壊されるか又は違う形のアパートに建て替えらるのかは分かりませんが、もう一度、いつか訪れてみたいと思いました。
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