社会は厳しいというのが私の母親の口癖で、私は毎日それを聞きながら育った。修士課程に入ると、就職が不安だという声が、どこからともなく聞こえてくる。当時の私はそういった雑音を真に受けて恐慌状態に陥っていた。混乱のままに私は就職活動をはじめ、都内の外れのとある会社の最終面接を受けることになった。今日は社長に会ってもらうからと会議室に通されたのだが、1時間経っても、2時間経っても社長は出てこない。結局今日は社長は来られないと言われ、代わりの役員と面談して最終面接は終わった。帰り際、
めちゃくちゃ遅くなったけど告知です。先日、法政大学出版局から発売された論集『モルブス・アウストリアクス』に参加しました。 出版社の内容紹介をお借りすると、 「「オーストリア病(モルブス・アウストリアクス)」と表現される消滅したかつての帝国をも含む神話への深い執着と愛憎。ナチスによる併合など幾度も国のあり方が変わり、隣国のドイツの文学との差別化からも作家たちは「オーストリア的なるものとは何か」を問い続けてきた。「ニーベルンゲンの歌」から、ホーフマンスタール、ムージル、ツヴァ
母が象になったのはまだ暑さが残るある秋の日のことだった。いつもは朝起きるとワイドショーの音が家中にごった返しているものだが、その日は奇妙に静かだった。いつもだったら朝食が並べてあるテーブルは昨夜のままでテレビのブラウン管もしんとしたしずけさを返している。このしずけさには見覚えがあった。それは癌を患っていた父の病態が深夜に急変したといってそのまま病院へとかつぎ込まれた翌朝のことだ。小学生だった私が誰もいないリビングで朝食をとっていると電話が鳴り、父が亡くなったことを知らせた。
*以下は2020年11月に発表されたエッセイの再録です。(初出は文末参照) 2020年2月29日、ウィーンに着いたその日、新型コロナウィルスはまだ遠い出来事だった。ウィーンの街中を歩いていてもそこら中に人人人。きわめて感染力の強いウィルスが流行しているなんて誰も思っていない。マクドナルドの店内で「コロナ」という言葉が耳に入ってきたことはあった。けれどもそれも笑い話の種にしているといった感じで、ウィーンの街のどこにも深刻さは漂っていなかった。 状況が変わったのはやはりイタリ