見出し画像

その時の感情はその時が一番新鮮

読書は著者と対話する行為

過去に下書きになっていた内容をこのタイミングですが投稿したくなり、
なぜそんなことになったかの経緯をnoteで書きます。
投稿についてはこちらの記事

年末のホテルステイで、大学の先生にお薦めいただいた元伊藤忠商事社長の丹羽宇一郎さんが書かれた「死ぬほど読書」を読み、自身が読書に対して思う感情や意義についてとても共鳴したのですっかり丹羽さんが好きにな李ました。(読了後、早速お薦めしてくれた先生に感想を送ったら丹羽さんの仕事と心の流儀という本をさらにお薦めしてくれたので読むのが楽しみです)

読書は著者と対話する時間というのは全く同意で、自分の考えが言葉で表現されているのは気持ち良いなと思って読み進めていました。

読書は自分の内面に降りていき自身と対話しているかのように見えますが同時に著者とも対話しているのです。読書を多く重ねてきた人は、それだけたくさんの著書と出会ってその人たちの声を頭の中で響かせているのです。

死ぬほど読書

振り返ると、『良い本読んだな!』と思う時、必ず『著者と対話した』という印象を持っていることに気付いた。自身が持つ問題意識、課題感、信念、在り方、生き方、哲学、大事にしている価値観、どこかしら自分を構成するコアな部分と共鳴すると対話している実感あるのかもしれないと思いました。そして過去のツイートを漁ってみる。

めっちゃ対話してる(笑)

そこで気になったのが一件
こちらのツイート"読書しながら励まされ、インスパイアを受けて今の気持ちをnoteにしたいと思って徒然なるままに文字を綴る。"と書いてあるけど自分のnoteを漁っても記事が出てこない

あれ〜と思い、PCを漁ると、ありましたよ、下書きが。
しかもなんか書きながら泣いてた記憶がある(笑)

その時に抱いた感情はその時が一番新鮮なので、書きたい時はすぐに書き上げるのが良いなと思いました。とはいえ、その時に書いたものも消化させたいので、若干加筆しながらこのタイミングで投稿したいと思います!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?