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第5回:あなたにとっての幸せは?-分析哲学を手がかりに-

こんちゃ!
かなり投稿が空いてしまいました。書きたいことはたっくさんあったんだけど、自分のことで手一杯すぎてnoteを開く時間が取れなかったんです。

さて、今回からは少し形式を変えてnoteを投稿しようと思ってます!
以前の投稿をご覧いただければ分かると思うんだけど、「論文」を書いているような感覚で1回記事書くだけで結構疲れたの笑
だから、今回からはフランクな形式で記事を書いていきたいと思ってる。みんながこれまで受けたことのある「教育」についてより深く考えていきたい!って思ってるから、友達とか家族が書いた文章だと思って気楽に読んでね!!

突然なんだけど、あなたにとって「幸せ」って何?って聞かれた時にみんなは何て答えますか??
ちょっと考えてみてください!!


色んな答え方があると思います
家族・恋人との時間を過しているとき、ワンちゃんと遊んでいるとき、絵を描いているとき、好きな映画を見ているとき、楽しく仕事に取り組めているとき。
ちょっとだけ一例を挙げてみたんだけど、なんにも思いつかなかった!っていう人もこれらのことを想像してみたら、幸せな気持ちになりませんか??
僕も恋人はいないし、ワンちゃんも飼ったことはないけど、恋人が居たときの頃とか、友達の家のワンちゃんと遊んだときのことを思い出すと幸せな気分になれるの。
自分が最近幸せを感じた瞬間は一人暮らしなんだけど、実家の母親と電話をしてたくさん面白い話をしたとき!笑 やっぱり、自分は家族とか大切な人たちと話すと一番幸せを感じることが多いかな。
人によって幸せの定義は異なるっていうけど、みんなが幸せを感じる瞬間って実は似てるのかもしれないよね。

僕らは子どもに「幸せ」になってほしいと心から願って「教育」を行うわけだけど、本当に教育は子どもを幸せにしているのかな?って思うことが多々ある。
親にガチガチに管理されて受験勉強をしている中高生、小さい頃から友達の誘いをなくなく断って中学受験塾に行く小学生。かくいう僕自身も塾に行きたく無くて、泣いてた時期があったんだって笑 でも、親はその塾をやめさせてくれて、僕が行きたいって言った塾に通わせてくれたから感謝してる。
つまり、学歴を手に入れて、良い就職先に勤めることがその子の本当の幸せなのかな?ってこと。もちろん、幸せだとは思うけど、あまりにも過程像を無視しすぎだと思う。これは本来的な教育の意味を見失ってるんじゃないかな。

「教育」とは知識を詰め込むことではなくて、「人間形成」です。僕はこう考えている。だから、いわゆる「教育=科目を教えること」っていう人とは話が合わない、、笑
こう言われると、受験勉強は「学習」とはいえるけど、「教育」とは言えないかもって思うんじゃないかな。でも、教育を受けた人間は視野を広げて、物事を批判的に捉え直すことができるようになる。こう言われると、受験勉強は「教育」っていえるかもしれないよね。

いろいろと考察してきたけど、そろそろ文章を締めようと思う。
最後に以下の文章を読んでみてほしい。これを書いたのは、イギリスの哲学者R.S.Petersの論文の一節。教育学を学んだことがある人は名前は知ってるんじゃないかな?

太陽を浴びながら寝転がっていることは幸せをもたらすかもしれないが、そのような幸せ に教育者は関心をたない。福祉についてのわれわれの考えの大半は、幸せになることと価値 のある人生を生きることを混同している。

Education as Initiation,Peters,1964,p107

冒頭でみんなに問いかけたように、僕らは普段の何気ない生活の一コマに「幸せ」を感じるよね。でも、僕らが子どもの幸せを願う時には、「価値のある人生を生きること」と「幸せ」を混同してしまっているかもしれない。

あなたにとっての幸せは何ですか??
この問いを考え続けることで、はじめて子どもへどういった教育を施すべきなのか答えが見えてくるかもね。

みんなと大切な人の一日が素敵なものになりますように!!

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