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技術だけでは追いつけない


お久しぶりです。
日々激動のサッカー指導ライフを堪能中です。

お盆休みに突入したので
久しぶりに記事を書きます。




先日、
【育成年代における戦術は
選手を型にハメるから必要ない】

という記事をたまたま目にしました。
しかも日本では結構有名な監督さんの記事。


その記事を読んだ僕の持論は、
「育成年代の選手にも戦術は必要」
だということ。

つまり、その人とは反対の意見になりますが
サッカーの考え方はいくらあってもいいでしょう。

ということでその理由をここに書いていきます。


結論から言うと、僕は育成年代における戦術は
選手を型にハメるものだとも思ったことはなく、
むしろ選手のアイデアを広げる手段だと思う。

確かに選手を型にハメるのは良くないが、
型にハメるような言い方をしなければいいだけで、
概念と理屈を説明してトレーニングして
実践するところまで落とし込めれば問題ない。
しかしこれが難しい。


そして「戦術は必要ない派」の人たちは、
逆に技術は必要と言う。特に重視する。

もちろん技術は大切なんだけど、
戦術を無しにして技術だけあれば将来的に
選手として成功し、世界に勝っていけるのか。



最近の事例から世界基準の話をすると、
ユーロ、オリンピックをともに優勝した
スペインは戦術が小学校低学年から
指導者に教えられている。

低学年の場合は戦術というよりも
「チームとしての約束事」という
言い方が正しいかもしれない。

もちろんそれは年代が上がるに連れ、
要求されるレベルも高まる。

彼らは小さい頃から当たり前に
戦術に触れる機会がある。

つまり幼少期からのサッカーに対する
教育水準が相対的に高い。

それは文化的にもそうだし、
スペイン全体の指導者レベルが高いことからも
それが言える。

そこから日本と同じように
各地域のスーパーな選手達が国の代表になって
世界大会を戦う。

結果、大人になってユーロやオリンピック、
W杯でも世界一を取ってしまう。


スペインの選手はおそらく、試合の中で
「このような状況はこうすべきだ」という
プレーの最適解を最低限理解していて実践できる。

代表レベルになると当然全ての選手が
その最適解を知っているだろう。

その最適解から大きくズレた考えがないので、
試合中の問題解決のための選手間の
コミュニケーションもスムーズだし、
大きく崩壊することもない。


山で遭難した時に状況を例えたら、
スペイン代表は遭難した時に、
火の起こし方がわかるし、
太陽の向きで進む方角の確保の仕方を
幼少期から教わっている。
遭難した時の対処法を
少なからず最低限は全員持っているため、
大きくパニックになることもなく、
むしろ全員で避難に向けて
力を合わせることができる。

対して、日本代表が山に遭難した時は
それぞれが足腰の強さや体力を活かして
山を歩き回り、各々に食べ物を探したり
避難方法を編み出しているうちに
誰かがまたいなくなってしまう。

みたいなイメージ。


監督のプランだけでは解決できない
ピッチ上で起こる細かな問題も、
スペイン代表レベルになると
選手だけで解決できてしまう。

それは幼少期からそのような局面の問題に対して
解決方法を働きかける指導、
つまり戦術的な指導を積み上げてきた
賜物があるからだ。


日本は試合中の問題を基本的には
〝技術〟で解決しようとする。

しかし世界と本気で戦うのなら
技術だけでは限界がある。

森保ジャパンも選手達に
戦術を任せたりしているようだが、
日本は幼少期からの戦術に対する
教育水準が低いのにも関わらず大人になって
ピッチ上で問題が起きた時にいきなり11人の
意見や考えが統一されることは
代表レベルでも難しいだろう。



あの世界一の技術を持つメッシですら
「サッカーは個よりも組織が重要」と言っていた。

つまり日本は個を高めて
技術を磨くことを善とし過ぎる傾向がある。

それは素晴らしいことだが、
その発想が根付き続ける限りは
世界の組織的な要素に簡単に潰されしまうという
欠点があることも抑えておきたい。

それでも突き抜けた個が
日本でも育ってきていることは明るい事例だが、
実際にそれが世界を相手に〝チームとして〟
勝っていくとなれば明らかに時間がかかる。

例えば三苫のような強烈な個を持つ選手が、
11人揃う世代は日本にいつ頃訪れるのか。
(三苫が11人いても強いかはわからないが…)

つまり、日本は育成年代から個(技術)を
磨くことに振り切りすぎて、
チームやグループとしてすべきことが
疎かになりがちな傾向がある。
それは我々指導者の問題だ。

ましてや戦術は必要ないという文言や記事を
日本の上層階級の指導者の人たちが
言ってしまっているものだから、
みんなそれを鵜呑みにしてしまう。

つまり、指導者が勉強をしなくなる。

試合がうまくいかなくても「個の問題」
「個が足りない」という評価で終わってしまう。

それではいつまで経っても
日本のサッカーレベルの基準は上がらない。


しかも個の問題というのなら、生まれた時に
概ね決まってるのではないだろうか。

身長、骨格、足の速さ、
サッカーを始めた年齢など、
個の能力とはそれらの要素が大半を占めている。

そのような生まれつきのベースが高い選手達に
ドリブルやボール扱い、身体操作が
身についたとき、日本で言う
〝個の能力が高い選手〟になるのではないか。

その思考でいる限りは勝っても負けても
「個の能力」を問題にしかできないので
思考が短絡的になるし、
サッカーに夢もロマンもなくなってしまう。

生まれ持って才能がない選手の
ほとんどがサッカーを諦めてしまうことにもなる。

しかしフットボールはそれだけではなく、
足が遅い選手でも身長が低い選手でもできるのが
スポーツとしての良さだ。

それらのアドバンテージをカバーするものが
まさしく戦術だ。

「チームとしていかにどう戦うか」
育成年代でも技術と同じくらい
そこにフォーカスしてもいいと僕は考えている。

なので戦術は選手を縛るとか、
選手を型にハメるとか、
戦術を否定気味に話す理由がよくわからない。

つまり指導者という立場であるにも関わらず
「戦術は必要ない」と言ってしまうのは、
自分自身が教えることができないか、
負けた時に選手個人の責任にできる
からではないだろうか。とすら思う。

日本の上層の指導者に
「戦術は必要ない」なんて言ってほしくはない。
日本サッカー全体のためにも。


ここまで書くと、戦術の大切さを
理解してくれる人も少なからずいるだろう。


しかし、忘れてはいけないことがある。
本来サッカーは
「戦術によって強くなる」ものであり
「戦術によって弱くなる」では
本末転倒ということだ。

おそらくそこが1つの重要なポイント、
多くの指導者が戦術に取り組めない
1つのハードルになっていて、
概念や理屈が曖昧で自信が持てない指導者が
戦術を毛嫌いしている可能性があると推察する。


ここまで戦術は重要と書いたが、
勘違いされても困るので念のためお伝えするが、
個の能力(技術)も同じくらい重要だ。

簡単に言うと結局サッカーは全部重要。


それなのに「技術は必要だけど戦術は必要ない」と謳う指導者が日本には育成年代からも
多すぎるので、ここで一石を投じてみた。


当然自分もまだまだ足りない。
夏休みは九州遠征や関東王者にやられる度に
自分の未熟さを知ると同時に
相手チームの戦術を盗んだ。


今回の記事を簡単にまとめると、

技術だけでは上のレベルに一生追いつけないから
戦術も育成年代から根付かせる文化が必要

技術が大事だというのなら、
戦術も同じくらい大事にしよう

同時に引き続き技術も高めていこう

という内容でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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