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クロールをするペンギン

新幹線に乗って目を瞑った時、私の目の前には真上から見た大きな海が広がっていた。そこには灰色の小さなペンギンが1匹、不器用にクロールのような泳法で、私から見て上に進んでいた。


夜中2時にコンビニに絆創膏を買いに行った。都心の空気はその時間であっても昼間の熱量の余韻を湛えていた。

絆創膏には常日頃から世話になっている。いつもは足の靴擦れに使用することが多いが、その日は手を2箇所怪我してしまった。家に残っていた絆創膏が1枚だけだったので、追加分を買いに行った、というわけだ。

慣れない作業をしていた際の怪我だった。右手の親指の付け根と親指の腹を、それぞれ2cmほどまっすぐに切ってしまった。傷はそこまで深くはなかったが、適度な出血により傷跡は痛々しく残った。

その日の日中は微妙な忙しさとやる気のなさから、作業が一向に捗らなかった。夜は予定があり、深夜0時過ぎに家に帰ってきてからたまっていた仕事を片付けようと机に向かった。メールを返し、発送手続きをして、送りそびれていた請求書を作成し、ひと段落ついたところで件の作業に取り組んだ。これも仕事の一環だったが、正直なところ徒労に終わる可能性の高いものだった。ただ、今の私にはその徒労に終わるであろう仕事をやらないという選択肢は、諸々の事情により残されていなかった。

ニッパーを使っての金属部品を取り外す作業だった。この作業のためにわざわざニッパーを購入したのだから、私がその扱いに慣れていないのは当然のことだった。金属部品をなるだけ傷つけないように取り外したかったのだが、そもそもそれが不可能な上に私の不器用さも相まって、部品はすぐに見るも無残な姿に変わっていった。

手が滑って親指の腹を切った時、刹那時が止まった後にふわりと血が滲んだ。咄嗟にそれを口に含んだら、不思議と懐かしい香りがした。それは幼少期、まだ私が父に対してネガティブな感情を多く持っていない時に、私が抱いていた、父を通して一般化された大人の男性像を思い出させた。少しくたびれている者だけがもつ渋みがそこにはあった。


深夜2時のコンビニで、絆創膏の他に120円分の切手も購入した。東南アジア系の若い男性店員は、ファイルからそれを見つけ、「すぐに使いますか?」ときちんとした日本語で尋ねた。すぐに使う、と答えると、メクボール(レジ袋を開ける際や切手を濡らすための、ピンポン玉大のボールがはまっているあの事務用品)を差し出してくれた。私は怪我をした指に注意しながら不器用に切手を濡らし、封筒の上に貼った。万年筆で書いた宛先が少し滲んでしまった。

彼は何を求めて日本に来たのだろうか。彼はこの大海原で、上手に泳げているのだろうか。


新幹線の中で見た、あの大海原のペンギンは、どこか私に似ていたような気がする。大海原をひとり孤独に、慣れない泳ぎ方で必死にもがいている姿は、まさに夜中に慣れないニッパーで金属部品を変形させてオロオロする私そのものだったのではないだろうか。

このペンギンは、周りからはきっと、「もっと普通に泳げばいいのに」と思われていることだろう。ただ私には、このペンギンの気持ちがわからないでもない。彼、あるいは彼女はきっと、クロールに“可能性”のようなものを見出しているはずだ。今は合理性のかけらもないかもしれないが、いつの日か誰よりも速く、長く泳げるペンギンになっているかもしれないのだ。


そんな日が訪れてくれることを祈りながら、私は新幹線の揺籠の中、深い眠りに落ちていった。もうペンギンは見えなくなっていた。


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