寓話的な夢
我が家は1階と地下1階にまたがるメゾネットタイプの住宅だ。通りに対して反対側に位置していることもあり、1階部分にはちょっとしたテラスもある。
地下1階にはガラスの扉で仕切られた、一畳ちょっとの広さのスペースがある。そのスペースの天井部分は隙間の大きな“すのこ”のようなもので覆われていて、1階のテラスに通じている。階段や梯子があるわけではないので、そのスペースからテラスに行けるわけではないが、午前中のある短い時間帯はその“すのこ”の間を縫うようにテラスから光が差し込む。
一応外と繋がっているおかげで、本来あったであろう地下1階の圧迫感はグッと軽減されている。ただ、スペースとしてはエアコンの室外機を置く以外にはうまく活用できずにいる。洗濯物を干してみたが、ちょうど湿気がたまる部分なのか、すこぶる乾きが悪かった。物を置くにしても、“すのこ”の隙間から雨が滴り落ちるので、置けるものは限られる。
そんなわけで、そこはいつの頃からか忘れられたスペースになっていた。
その忘れられたスペースに、もぞもぞと動くものを垣間見たような気がする。一度はやり過ごすが、やはり気になって見に行く。
そこには子猫が1匹。
少し前に私が飼っていた猫だ、とすぐに気づく。家出をしたきり、しばらく姿を見ていなかった。
ガラスの扉を開け、子猫を部屋に入れるその刹那、「そういえば、子猫が家出した時、ちゃんと探したっけ…」と自問自答する。大きな罪悪感に襲われる。が、それを振り払い、今はとにかく子猫の健康状態の確認だ、と思い直す。
とりあえず元気そう。よかった。怪我などもない。
水と餌をあげるため、1階へと移動する。子猫は私の後ろを大人しくついてくる。
ふと振り返り子猫を見ると、その姿は人間の少女になっている。どこか古臭さのある黒いワンピースと、一昔前の髪型で、ところどころに泥汚れがつきながら、恥ずかしそうな笑顔をこちらに向けている。
私は彼女を抱きしめる。
「ごめんね…もう離さないから」
私は彼女にそう伝える。
仙台三越での「サロンドパルファン2024」の初日を終え、そのまま東京に戻った。今日木曜と明日金曜は東京で外せない用事があったのだ。土曜日の早朝の新幹線で仙台に戻り、最終日まで店頭に立つ予定にしているので、仙台の方、ぜひ11月30日から12月3日の間に、仙台三越に来てね。
今日はいくつかのミーティングを済ませ、予約していた本を図書館に取りに行った。普段本はなるべく買うようにしているが、絶版になって手に入らないものに限っては図書館を頼っている。
午後3時ごろに荷物を発送したところで、その日のうちにやらなければいけないことは一通り終わらせた。一方、“その日のうちにやらなくてもいいがいずれにしてもやらなければならないこと”は山積みだったが、そちらに関しては見て見ぬふりをして、少し休憩することにした。
ここのところ出張続きで、東京にいる時間が限られている。出張中は早朝や深夜の移動が多く、どうしても睡眠不足になるし、慣れない環境で多少緊張しているので、家にいる時はまずは睡眠を優先するようにしている。それに、そもそも普段からこのnoteの執筆のせいで寝不足である。私はどちらかというとしっかり睡眠が必要な方なので、このうずたかく積み上がった“睡眠負債”の山を少しでも低くする努力は日頃から欠かせないのだ。
そんなわけで、“その日のうちにやらなくてもいいがいずれにしてもやらなければならないこと”を横目に、仮眠をとることにした。
その時に見た夢が、先述の子猫のものだった。家の間取りは現実のものそのままだったが、猫を飼ったことは一度もない。夢の中ではそれが「子猫を飼っていた」と信じきってしまうから不思議だ。
私は気恥ずかしさとともに目を覚ました。どのくらい寝たのかはよくわからなかった。
かつて愛着を持って大切にしていた、今はどこかに置きっぱなしにされたものが、私の目の前に突然現れ、私はそれを改めて大事にすることを誓う…なんだか“寓話”のような夢だった。何か具体的な“心当たり”があるわけではないが、あるいは私の心の奥底で、引っかかっているものがあるのかもしれない。
気恥ずかしさはありながらも、不思議と嫌な感じはしない夢だった。そこには清々しささえあった。私はかつて大切にしていたものを、これからも大切にしようと誓ったのだ。それはきっと、いいことなのだろう。
例によって記事を書くのに時間がかかって、もうすぐ深夜2時。こうして私の睡眠負債はまた積み上がっていく。負債を返すために昼寝をして、また寓話的な夢を見るのだろう。それならそれで、悪くはないはずだ。
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