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容姿への興味
この週末、土曜日は日曜日のための準備で、日曜日は予定されていた予定で過ぎ去った。
日曜日の「予定されていた予定」というのは、とある雑誌のインタビューだ。当初の予定が前倒しになり、急遽日曜日に撮影およびインタビューとなった。
そんなわけで私は、土曜日にオフィスを兼ねている自宅を最大限片付け(このnoteの愛読者ならご存知かもしれないが、私は整理整頓と納豆がすこぶる苦手である)、髭と髪を整えてもらい、撮影時に着る服をああでもない、こうでもない、と選ぶことになった。
そんなことをしている中、ふと私は、普段私自身の容姿に頓着がないことに気づいた。
ファッションは好きだが、自分がどう見られたいかというよりも、私自身が好きなものを身につけていたいという気持ちの方が強い。だから時として酷い格好で街中を歩いている。スキンケアは一切しない。全く興味がない。化粧水や乳液すら使わないほどだ。寝癖がついていようが、鼻毛が飛び出ていようが、外出するのに気になることはあまりない。多分ここまで髭を伸ばすことができたのも、途中の中途半端な状態が気にならなかったことがその理由のひとつのように思う(どうやらそれが気になって伸ばしきれない人が案外多いらしい)。
また、私自身の容姿に興味がないことがその直接的な理由かはわからないのだが、世の男性の美醜の判断がとても難しく感じることがある。一般的に「イケメン」と呼ばれている人の中に、その美しさが私にはわからない、というケースが多々あるのだ。それは私の好みの問題ということではなく、かっこいいのかブサイクなのか、そもそも判断がつかない、という意味合いである。
そんなわけで、インタビューで撮影が入る時にはあたふたしてしまう。さすがに後々まで残る写真に寝癖や鼻毛はまずい。どの服を着るとインタビュー的に“正解”なのかわからず、友人に相談することになったり、かれこれ15年近く私の髪を切ってくれている美容師さんに、「か、髪は何でどのようにしてセットすればよいのですか…?」と尋ねたり。
と、土曜日はこんな感じで過ぎていった。日曜日のインタビュー、きれいに撮ってもらえているといいけれども…雑誌は来月9月中に出るらしい。出る前にこのnoteで告知する予定なので、ご興味のある方はぜひお手に取っていただきたい。
日曜日のインタビューは午前中から始まり、夕方前に終了した。遅いお昼ご飯を食べたのち、慣れないあれこれで疲れ切っていたので仮眠をとったりのんびり過ごしたりした。遅い夕飯にパスタを茹で、その後本を買いに代官山蔦屋書店まで自転車を走らせた。帰りは随分と遠回りをしながらのんびりと走った。
自転車で走りながら、以前とある化粧品ブランドを運営している綺麗な女性と交わした会話を思い出していた。その方は自社商品であるローション(でいいのかな?美容液、的なものだと理解しているけど)を私の片手の甲に塗りながら、「肌が固くなっているから浸透しないですね…でもこれを塗るとすぐに肌がふっくらと柔らかくなって、輝いて見えますよ」と口にした。塗ってしばらくして、彼女は私に「ね?塗った方だけ肌が若々しくなっているでしょ?」といったが、私にはよくわからなかった。
「ところで、」私は彼女に尋ねた。「肌が綺麗になることは、『綺麗になる』ということ以外に何かいいことがあるのでしょうか?例えば、それによって健康になる、だとか」
彼女はその質問に答えられなかった。私はなんだかとても場違いな質問をしてしまったような気がして、反省した。
この歳になるまで、私は「綺麗になりたい」という気持ちを理解できていなかったようだが(そしてそれは今でもよくわからない)、そのことに気づいて、私はとても不思議な気持ちになった。よく「イケメンに生まれてたら、人生違ったのかなぁ」と考えることがあるからだ。自分自身の容姿をよくする努力をするつもりは一切ないが、とはいえ容姿に興味がないわけではない、ということなのだろうか。
いずれにしても、これから私が「イケメン」になることはないので、「イケメンに生まれたら」という問いは机上の空論にしかならないのだが、これからインタビュー等写真を撮ってもらう機会も増えてくるかもしれないので、もう少し外見に気をつけてみてもいいように感じた次第。
まずは、け、化粧水からかな…?
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