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ねじまき鳥クロニクル、オーデコロンの謎

村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」には、ディオールの香水が登場するが、香水名は明かされていない。この香水が何であるのかについて、村上春樹及び香水ファンの間では、日々侃侃諤諤の議論が戦わされている。今日はその議論に終止符を打つべく筆を執った。

作品の前半部分では、この香水に関して下記の情報を読み取ることができる。

①松屋で購入された
②クリスチャン・ディオールの香水
③瓶には金色の蓋がついている
※④オーデコロン、と作者は叙述している

④については、作者がオーデコロン、オードトワレ等の区別を明確にしていたかどうか、判断に迷うところだが、いったん先に進もう。

この情報だけを見て、多くの方が、「簡単じゃないか、J'adoreでしょ」と思うことだろう。実際にそのように書いているブログを見かけたこともある。
しかしこれは誤りである。なぜならば、「ねじまき鳥クロニクル」は1994年に世に出たのに対し、DiorのJ'adoreは1999年発売だ。本作品が書き上げられた頃、まだこの香水は存在していない。
Wikipediaによると、当該シーンが収録されている「第1部 泥棒かささぎ編」は、1992年10月号から1993年8月号の『新潮』に掲載されている。本作品の1つ前の作品は、1992年10月に発売された「国境の南、太陽の西」であり、「国境の南、太陽の西」の執筆の後に本作が書かれたとすると、当該香水は、遅くとも1993年頃には、日本で売られていないと辻褄が合わない。また、香水がローンチされ日本に輸入されるまで、若干のタイムラグがある。そうすると、当該香水の本国でのローンチは、1992年以前だと見積もるのが妥当だろう。

ディオールの、1992年以前に発売された、金色の蓋がついている(またはそのように見える)香水は、調べてみる限り下記の2つ。

Dune(1991年発売)
Poison Eau de Cologne(1985年発売)

実は、どちらの香水の蓋も透明であるが、スプレー部分が金色であるため、見方によっては蓋が金色に見える。

さて、ここまで書いて、当該香水に関する他の情報がないか調べてみると、後半の記述から、以下2つの追加情報が得られた。

⑤青い箱
⑥ホワイトフローラル

Duneはピンク色の箱で、香りもウッディだ。一方のPoison Eau de Cologneは、緑の箱でホワイトフローラル。
さらにいうと、④のオーデコロンという記述にも問題なく該当する。箱が緑、という点が若干引っかかるが、その他の条件からみると、Poison Eau de Cologneが正解であろう…

青い箱…何か引っかかる…

そう思い、青い箱のディオールの香水を調べてみた。すると、

Diorella(1972年発売)

が出てきた。蓋は透明、スプレーはシルバーだが、液体が金色に近く、見る角度によっては、蓋が金色に見えなくもない。また、香りはグリーンな印象が強い一方、ホワイトフローラルと言えなくもない。ただしこちらはオードトワレ。

さて、ここで、リンクに記載されているDiorellaの調香を見て、下記のようにハッとした人は、相当の村上主義者だ。
(巷では“ハルキスト”という言葉がよく使われるが、村上さん自身は「村上主義者」という言葉を好んでいるので、ここでは村上主義者という言葉を使わせていただく)

トップノートに、メロンの写真が掲載されている。香水…メロン…ハッ!!!
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」だ…!!!

「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に出てくる、博士の孫娘の通称“太った娘”は、メロンの香りのする香水を使っている。この作品の発行は1985年、Diorellaの発売後だ。

以上を総合すると、このように考えられないだろうか。村上春樹は、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の作中で、“太った娘”が使っている香水として、(何らかの理由で)DiorのDiorellaを選び、その香水について、ただ「メロンの香り」と記載するに留めた。何年かの後、「ねじまき鳥クロニクル」の作中に改めて香水を登場させるにあたり、「世界の〜」と同じDiorellaを選んだが、こちらでは香りはホワイトフローラルとだけ記述し、ビンやパッケージへの言及を多くした、と。

なぜ村上さんがDiorellaを作中に使う香水として選んだかはよくわからない。奥様が使っていた、とか、きっとそういった類の理由があるのだろう。

「ねじまき鳥クロニクル」及び「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を読む際に、本のしおりとして、Diorellaを吹きかけたムエットなんかを使用してみてはいかがだろうか。より作中の世界に入り込めるかもしれない。

ここまで読んでくださってありがとうございました。次回も乞うご期待!

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