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左岸の香り

2週間半のパリ滞在がもうすぐ終わろうとしている。このnoteが投稿される日のお昼のフライトで日本に戻る予定だ。ということはこれが今回パリで書く最後のnoteになる。

パリでの仕事を考えると2週間半というのは本来であれば短い。本当は1ヶ月半ほどは滞在したいのだが、前後の日本での仕事の関係でそうは問屋が卸してくれない。今回にしても、帰国の翌日にはポップアップで店頭に立たなければならないのだ。

一方で、パリでの滞在が「短い」という体感はない。それはパリに到着した瞬間にパリ生活の“スイッチ”が入るからだろう。私にとって、もうパリは「非日常」にはなり得ない。

もし、きみが、幸運にも、青年時代にパリに住んだとすれば、きみが残りの人生をどこで過ごそうとも、それはきみについてまわる。なぜなら、パリは移動祝祭日だからだ。

アーネスト・ヘミングウェイ

回顧録『移動祝祭日』のタイトルは、ヘミングウェイが友人に言ったとされる上記フレーズからきているそうだ。移動祝祭日というのは、日付が年によって変動する「成人の日」のような祝日のことを指す。

ヘミングウェイがどういう意図を持ってパリ、あるいはパリ生活を「移動祝祭日」と表現したのかはよくわからないが、私においては、パリに来るたびに、パリを離れて以来止まっていた時計の針が何の前触れもなく動き出すように、かつてのパリ生活からの「継続性」のようなものを感じる。ヘミングウェイによる「ついてまわる」という感覚は、このことを指すのだろうか。


そんなわけで、今回の滞在中、パリにいるからといってわざわざ外に出るわけでもなく、特に用事がない日は家にこもって仕事や読書、料理なんかをして過ごした。夕方ごろに軽くランニングをして、夜に地下鉄でどこか適当なところで下車して散歩をした。パリらしからぬ暖冬のおかげで、ニットにレザージャケットで事足りた。

昨日の夕方、友人に頼まれた買い物のために地下鉄6号線に乗る際、そういえば今回の滞在中にいまだ左岸に足を踏み入れていないことにふと気がついた。「左岸」というのはセーヌ川を挟んで南側の地域のことを指す。幸いなことにその日の行き先は左岸に位置していたため、少し手前の駅で降りて歩くことにした。

6年もパリに住んでいたのにあまり意識したことはなかったが、左岸は右岸とは全く違う雰囲気を持つ。行き交う人々も街の景観も、右岸のそれと比べると明らかに洗練されているのだ。もちろん、左岸、右岸と一口にいってもそれぞれそれなりに広く、場所によってかなり雰囲気が違うのでまとめて比較はできないが、今日私が歩いた6区のあたりは右岸のどこを探してもない空気が流れていたように感じた。

こざっぱりしながらもどこか重厚感がある、といったところだろうか。シンプルながらも上品なファッションと、ひとつひとつの店舗サイズが比較的小さいことがそう感じさせているのかもしれない。

あるいは、ここ数年で右岸がひどく商業化したことこそがそう感じる原因なのだろうか。そのコントラストで、より左岸の洗練が際立っている可能性もありそうだ。


花屋の軒先にあるミモザの黄色が何度も目に入る。そういえば昔、「ミモザは朝お湯につけると香りが広がりやすいんだ。南仏から来た花だからね、あたたかいところが好きなんだよ」と私に教えてくれた小さな花屋さんも左岸にあった。

ミモザの前を通り過ぎるたびに、それとなく鼻を近づける。花屋の香りと相まって思いがけず都会的な印象を受ける。クラシックなミモザに都会の洗練が加わっているところに、左岸の雰囲気を見出す。


その香りは、私がパリに来てまもない頃の記憶を呼び起こす。2015年11月、語学学校に通い出したばかりの頃、パリで同時多発テロが起こった。パリの街は喪に服したような空気に包まれながらも、「こんな時こそいつも通り気丈に振る舞わないと、テロに屈したことになる」といって日常生活を送っていたパリの人々に倣って、私もラスパイユ通りを何食わぬ顔で歩いた。その時に目にした花屋の色とりどりの花たちは、気高いパリの人々を象徴しているようだった。

あのテロの年、パリの人々がこぞって読んだのが、他でもないヘミングウェイの『移動祝祭日』だった。フランス語でのタイトルは、“Paris est une fête”。fêteには「祝日」の他に「お祭り」という意味がある。「パリはお祭りだ」というタイトルに、人々はどれほど勇気づけられたのだろう。


さて、パリ生活の時計の針を止めるときがきた。パリとは少しの間お別れだ。

寂しさは一切ない。

なぜならば、パリは移動祝祭日だからだ。


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