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最期は一緒がいいのか

「日本に帰るのが怖い」

パリの友人からそんな話を聞いた。母の具合が悪く、いつあの世へ旅立ってもおかしくない状態である今、母に会いたい気持ちはあるものの、滞在中に亡くなられても、または逆に亡くならなくても、どちらにしても気持ちのやりどころがない。そんな想像をしていると、パッキングをする気にもなれない、とのことだった。

結局その友人は、その他の理由もあってのことだが、帰らないことにしたらしい。


一年と少し前に母を看取った私からすると、それでも帰った方がいいのではないか、と思いながらも、友人の気持ちも痛いほどわかるので、それについては強くいえなかった。


私は、どう声をかけるべきだったのだろう。あれこれ考えてみたが、答えは出ない。


それでも日本に帰った方がいいと思った理由は大きくふたつある。


ひとつ目の理由は、話せる時に話しておかないと、本当に話せなくなった時に後悔する、というもの。

私は幸運にも、母の最期の1ヶ月半を一緒に過ごすことができた。その最初の2週間は彼女の意識がまだしっかりしていたこともあり、様々なことを話した。思い出話、母の死後のあれこれ、私の将来のこと…話と涙は尽きなかった。

それでも、いまだに「あ、あれ聞いておけばよかった」とか、「こんな言葉をかけてあげたかった」と日々思う。あんなにたくさん話をしたはずなのに、それでも話したりなかった、と感じているのだ。

もし何も話さずにお別れをしてしまったら、後々の後悔がより大きくなってしまうように私には思われた。


もうひとつの理由は、お母様は会いたいと思っているのではないか、というもの。

母は介護生活中、何度も彼女の娘、つまり私の妹に会いたがった。少し離れたところに住んでいたこともあったが、何度かうちに来てもらったことで、ふたりはいい時間を過ごすことができたようだ。

そして、母は介護生活中、何度も「幸せ」という言葉を口にしていた。それは手前味噌だが、残されたわずかな時間を私と一緒に過ごせたことがその大きな要因となっていると思う。

聞くところによると、私の友人の母との関係は良好であるようだ。であるなら尚更、きっとお母様は娘に会いたがっているのではないか、と私はついつい想像してしまう。


海外生活をすることによって、親の死目に会えない可能性は必然的に大きくなる。私も渡仏する際、その小さくない可能性について何度も考えた。私の場合は、居住を日本に移した一年ほどの後に母の在宅介護となったので、「幸運」であった、としかいえない。

また、必ずしも私のように最期の瞬間を分かち合うことが「正しい」のかと問われると、それに関してはなんともいえまい。私はそれができたことでよかったと感じている一方、それができなかった世界線を生きたわけではないので、両者を比較検討することは不可能だ。最期に立ち会わない方がよかったかもしれないのだ。


1ヶ月半の介護生活は、私に多くのことを教えてくれた。たった一度、しかもたったの1ヶ月半しかやっていない中で、大きなことはいえないが、そんな私が伝えられることのひとつは、「最期を看取る」というのは、死にゆく人のためであるのと同じくらい、遺される人のためのものである、ということだ。死んでしまったら、会えないし、話せない。その「会いたい、話したい」と願うのは、遺される側なのだ。遺される人の後悔が少ない形で(全く後悔しないことはありえない、きっと)遺す人が旅立つことが、看取りにおいて実はとても重要なことなのだと私は思う。


「日本に帰らない」という友人の選択は尊重しつつ、友人と別れたあと色々と考えてしまった。「正しい選択」などというものは存在しないのだろうが、あれこれ考えたことを、私はここに書き記したいと思った。

これが誰かにとって有益なものとなるのかはよくわからないが、もしそうなったらとても嬉しく思う。


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