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ベトナムを食べる

男は低い声で

「Fumer(フュメー、吸う)のではありません」

つぶやく。

「Manger(マンジェー、食べる)のです。私たちはそういいます。食べる。阿片は食べるものなんです。吸うのではありません。食べるのです。」

「ロマネ・コンティ・一九三五年」『飽満の種子』開高健

「ホーチミン」というのが正式名称であることは百も承知だが、私はあえてここで「サイゴン」という名前を使いたいと思う。なぜだかそこには、“正しさ”のようなものがあるような気がしてならないのだ。


朝7時前にサイゴンの空港に着いた。そのままデイユースのホテルにチェックインし、シャワーを浴びた後、サイゴン在住の友達と合流。観光とランチを共にした。

バイクと車の雪崩と鳴り響くクラクションの横断歩道を渡れずに戸惑っていると、友人が先陣を切る。彼女はバイクと車の流れを縫いながら、いとも簡単に対岸に辿り着いた。私もそれに続く。


ランチの後に彼女と別れ、ホテルで仮眠をとった後に仕事のミーティングに出た。若いベトナム人の女の子がホテルまで迎えに来てくれた。私たちは不思議とすぐに打ち解けた。彼女が23歳であること、フランスにも日本にも行ったことがないこと、私と同じくファイナンスの勉強をしていたことなんかを私は道中で知ることとなる。

その後どういうわけか、ミーティングに同席していた別の若い男性と近所を散歩し、路上で販売している甘い甘いドリンクを買い、ふたりで縁石に腰掛けていろんなことを話した。話した、というよりも、私が彼から質問攻めにあった、という方が正確かもしれない。そのお礼なのか、彼は私の空港までのタクシーを手配してくれた。


タクシーがホテルに私をピックアップするまで3時間ほどあったので、サイゴンの香水屋をいくつか見て回ることにした。サイゴンにはセレクションのしっかりしたニッチフレグランス専門店がいくつかあることを知り、私は少なからず驚いた。それは日本のフレグランスマーケットのグローバルでの遅れを浮き彫りにしているように私には感じられたのだ。


雨が降り始めるのと同じタイミングで、私はひとりレストランに入った。フォーを食べバナナの揚げ物とベトナムコーヒーをデザートにしている間、その雨は雷と共に一度激しさを増して、そしてまた普通の強さへと戻った。私はその普通すぎて逆に形容し難い雨の中を、傘を差さずに歩いた。


横断歩道をひとり躊躇なく渡っている時に、冒頭の開高健のエッセイの一節をふと思い出した。ベトナムの阿片窟で、阿片との“交わり方”を教えられるシーンだ。吸うのではなく、食べる。阿片はそういうものらしい。

横断歩道を渡る私は、ベトナムを食べ、そして交わった。それは日本流の流れが途切れるまで辛抱強く待つ作法でも、また欧米流の自己主張をしながら流れを断ち切る流儀とも違う、割り込みながらも分断あるいは統一といったものは全く別の、渾然一体となりながらまさに「交わる」やり方だった。


三時間にも感じられる三十分を眠ったあと、ベッドによこたわってうとうとしていると、血管にほのぼのとしたあたたかい静かな潮がさしてきて、ふたたび甘睡にひかれていくのだが、耳は醒めきっていて深夜の遠い町角の銃声や、救急車のサイレンや、夜明け頃のオートバイのざわめき、窓の下をいくウドン売りの女の声など、ことごとくを聞いている。しかし、それは意識に掻き傷も爪痕ものこさないのである。昂揚もなく、下降もなく、沸騰もなく、沈殿もない。暑熱もないが、凍結もない。希望もなく、後悔もない。期待もないが、逡巡もない。善もなければ、悪もない。言語もなく、思惟もなく、他者もない。ただのびのびとよこたわって澄みきった北方の湖のようなもののさなかにありつつ前方にそれを眺め、下方にそれを眺める。おだやかで澄明な光が射し、閃きも翳りもなく揺蕩している。それほど淡麗な無化はかつて味わったことがなかった。これは夢のない夢–––––いや、夢ともいえないように思う。澄みきった北方の湖とたったいま書いたばかりだが、それは、のようなものである。湖を目撃しているのではない。水や、森や、空を眺めていたのではない。何ならそれは稀れにしか出会えないどこかの渓流のようなものとおきかえてもいいのである。夢ならイメージや光景や感触に、汗ばんだり、こわばったり、恍惚となったり、おびえたりするけれど、戸外の物音のさなかによこたわって、そのため眼をあけているという知覚をときにはおぼえることすらあるのに、冴えきった無があるだけなのである。いつからはじまり、いつから終りかけたともわからないうちにそれは去る。

「ロマネ・コンティ・一九三五年」『飽満の種子』開高健

開高健が阿片と“交わった”時のことについて書かれたこの箇所の一部を、私も体験した。


プルメリアが香る夜のサイゴン、横断歩道を渡りながら、私は、ベトナムという阿片を食べた。私はこの阿片が、既に私を蝕み始めているのを、感じている。


淋しかった。


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