見出し画像

コーヒー豆の有効性 〜柔らかくてゴワゴワした思い出〜

香水売り場にコーヒー豆があるのを見たことがあるだろうか?全ての香水売り場ではないが、日本ではたいていの百貨店の香水売り場には置いてあるように思う。

いくつか香水を嗅いだ後に、店員さんに「コーヒー豆をどうぞ」と勧められた経験がある人もいると思う。訝しがって店員さんに尋ねると、「コーヒー豆は鼻をリセットする効果があるのです」という答えが返ってきたはずだ。

ところで、本当にコーヒー豆には鼻をリセットする効果があるのだろうか?もしそうであるとするならば、どういった仕組みでコーヒーは鼻をリセットしてくれるのだろうか?

ここからは人伝に聞いたことに基づいて話を進めていくので、正確性は担保できない。一方で、興味深い話だと思ったので紹介することにした。また、簡単に鼻をリセットする方法も紹介している。そして最後に、ちょっと脱線する。

鼻がバカになるとはどういうことか?

香水売り場で複数の香水を試した時に、「鼻がバカ」になってしまったことがある人は多いと思う。いくつか嗅いだ後に、香りを知覚できなくなってしまうのだ。このように、嗅覚は簡単に疲れてしまう。この「鼻がバカになる」というのはどういう状況を指しているのかというと、脳が香りを認識できなくなっている状態である。聞いたところによると、一般の人は3つ程度香りを試すともうそれ以上香りを認識できなくなるらしい。

どうも脳は3つ程度の香りしか記憶できないということのようだ。よって、脳が香りを認識できなくなっているというのは、脳のメモリがいっぱいになっているため、新しい香りを記憶するスペースがない状態を指している。英単語を覚えている時に、ある地点を超えると各単語が文字の羅列としてしか認識できなくなるというようなものだろうか(違うかな?)。

コーヒー豆の役割

この時に脳のメモリを開放する方法がある。それは、「脳がよく知っている香りを嗅ぐこと」だ。そうすると、脳がそれまで嗅いだ香りを忘れ、メモリを解放するらしい。

つまり、なぜコーヒー豆の香りを嗅ぐか、というと、脳がよく知っている“はず”のコーヒーの香りを嗅ぐことで、脳がそれまで嗅いだ香りを忘れてくれるということを期待してのことなのだ。

それでは、なぜこの脳がよく知っている匂いとしてコーヒーが用いられているのだろうか?ここからは私の推測だが、香水のメインマーケットであるヨーロッパにおいて、日常的にコーヒーをよく飲むことからきているのではないだろうかと考えている。ヨーロッパの朝はコーヒーの香りとともに始まる。また、ちょっとしたことでもすぐコーヒーが登場する。仕事においても、ミーティングルームで出てくるのはだいたいコーヒーだ。結果的に、ヨーロッパにおいてコーヒーの香りは日常に根付いた香りとなっている。この点において、ヨーロッパにおいては、コーヒーの香りを脳のリセットのために使うということは理にかなっていると考えられる。

コーヒー豆は日本でも有効か?

さて、日本においてどうなるだろうか?コーヒーの香りは脳のメモリを解放するのに十分な程度に日常の香りとして根付いているだろうか?これは人によって分かれそうだ。普段からコーヒーを飲んでいる人は、香水売り場でコーヒー豆が有効に働くだろうが、そうでない人にとっては、あまり効かない可能性がある。
個人的な経験からすると、百貨店においてあるコーヒー豆はあまり効果がないように思っている。私自身のコーヒーを飲む頻度の問題でもあるし、百貨店に置いてある可哀想な干からびたコーヒー豆たちから発せられる香りは何とも哀愁を誘うもので、その日一日を始める活力を与えてくれる、あの香ばしさからは程遠いようにも感じられるからだ。

鼻をリセットする方法

それでは日本人はどのようにすると鼻をリセットできるだろうか?実は知らぬうちに、コーヒーの香り以上に嗅ぎ慣れているものがある。それは自身の肌の匂いだ。
香水を試している最中に、鼻が疲れたと思ったら、ぜひ自分の肌の匂いを嗅いでみて欲しい。コーヒー豆よりも効果があるはずだ。また、服の匂いを嗅ぐのも有効だと思う。ただし、強い柔軟剤なんかを使っている場合は別だろう。

もし香水売り場で数多くの香りを試したいのなら、3つ嗅いだら自分の肌の匂いで脳をリセット、というリズムで香りを楽しむと良いと思う。それでも、当然繰り返していくと鼻は疲れていくが、幾分疲れ方がまともになるはずだ。

最後にちょっと脱線 〜柔らかくてゴワゴワした思い出〜

先ほど、服の匂いを嗅ぐのも効果的である、と書いたが、私は布についた自分の匂いがとても好きだ。どんな布でも良いわけではない。張りのあるシーツや少しだけゴワゴワしているタオルケットは特に好きだ。Tシャツはツルッとした生地感の方が私の匂いに合うようである。スウェットは好きだが、シャツはイマイチ好みではない。また、鹿の子生地のポロシャツやセーターもちょっと違う。

実は、私の香り好きは、幼少期に使っていたタオルケットから始まっている。大好きなタオルケットがあったのだ。どれだけ使ったかわからない。最終的には穴だらけになってしまい、タオルケットとしての機能は失われてしまっていたが、それでも大切に使い続けていた。いつどのタイミングでいなくなってしまったのかはよく覚えていない。私は中学から親元を離れて寮生活を始めたため、そのどこかでひっそりと捨てられてしまったのではないか、と思う。

今日この文章を書きながら、ふとその穴だらけのゴワゴワした、愛しいタオルケットを思い出してしまった。その香りは、今でもしっかりと頭の中で、手触りや重さを伴って思い描ける。

もうすぐ商品化される私の4本の香水うちのある1本が、私をどこか懐かしい気持ちにさせる。その懐かしさがどこから来るのか、今までよくわからなかった。
タオルケットのことを書きながら、ふと思うところがありその香水を嗅いでみた。すると、ゴワゴワだがどこか柔らかく、穴だらけになりながらも私を余すことなく包み込んでくれた、あのタオルケットが、そこにはあったのだ。
このタオルケットは、私がその存在を忘れてしまっていながらも、幼い頃の私を守ってくれていたように、今でも私の心を包んでいてくれているのかもしれない、と思った、そんな金曜日の夜。

この週末、幼少期の頃の大好きだった香りに、思いを馳せてみてはいかがだろうか。

ここまで読んでくださってありがとうございます。次回も乞うご期待!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?