季節を感じる力
引き続き時差ボケを引きずっている私は、何時に寝ようとも朝4時前に目が覚めてしまう。もうフランスから帰国して1週間ほどになるが、今回の時差ボケ、思いの外手強い。
久しぶりの直行便だった。機内でも快適に眠ったし、帰国後もすぐに予定が入っていて、その日の就寝時間は夜11時くらいになった。このまますんなりと時差ボケ解消…かと思いきや、起床時間が通常通りにならず、睡眠負債が溜まっていく一方。そろそろ負債の返済を始めたいが、引き続き朝4時前の起床となっている。逆に直行便だったことが時差ボケに影響しているのかもしれない。
そんなわけで、起床後に前日書いた記事をアップし、翌日アップする記事を書いてもまだ時間に余裕がある。調子のいい時はその時点でまだ6時にもなっていない。
ので、日本に帰国後、私は朝LSDをするようになった。
「LSD…⁉︎ドラッグやってるの…?」と思われた方、ご安心を。LSDは陸上用語で“Long slow distance”の略で、息が上らない程度のスピードで、長い距離を走るトレーニングのことを指す。
朝LSDをするために家を出ると、すぐに梔子の香りがする。まだ空気はひんやりとしているが、しっとりとしたそのテクスチャが夏の気配を含んでいる。線路を越えて代々木公園に入ると緑に囲まれる。昨日は道すがら大きなカエルにも出会った。
6月の雰囲気を感じながら、ゆっくり1時間弱ほど身体を動かし続けると、とてもさっぱりとした気分になる。
「日本は夏と冬だけになった」
そんな声をよく耳にするようになった。温暖化に伴ってだろうか、春と秋がほとんど感じられないまま夏や冬を迎えてしまう、という主旨なのだろう。
確かにそうかもしれない。特に夏は以前に増して本当に暑くなったように感じる。身の危険を感じるほどだ。夏は好きだが、これから来る猛暑にどのように対処したらいいか、私もいい歳なので、考えなければならないだろう。
ただし、気温以外のところに目を向けると、実はしっかりと春も秋もあるはずだ。季節というのは気温だけで表現されるものではない。もちろん、気温が高くなることで、春らしさ、秋らしさの一部は損なわれてしまっているかもしれないが、気温の上昇だけで全てが崩れてしまうほど、春と秋の“足腰”は弱くないのではないだろうか。
春と秋がないように感じられる一因は、もちろんそこに温暖化があることは紛れもない事実である一方、実はそれを感じる我々の感性の低下なのではないか、とふと思った。五感で季節を捉える手段を、我々は失いつつあるのではないだろうか。それに加えて、気温に関しても「暑い」と「寒い」の間の快適に感じられる温度帯が、この自然から守られた社会生活の中で徐々に狭められてきているのかもしれない。
そういえば、5月上旬から3週間フランスにいて、6月あたまに帰国後東京の街を歩いた際、みんな既に夏のような“季節感”のない服装だったことを思い出した。長時間のフライトの疲れもあったかもしれないが、6月あたまの夜の東京は私には幾分寒く、上から羽織るものが必要だったが、私の周りはTシャツ一枚で歩く人がかなりの数いたのだ。
私たちはもっと、積極的に季節を感じる必要があるのかもしれない。季節は気温以外にも様々な要素が相まってはじめてその空気感を作るのだから。
「夏と冬だけになった」という感覚は、温暖化以外にも、我々の感覚の鈍化という警告を与えているように、私には感じられた。私たちはそうやって、どんどん自然から離れた存在になってしまうのだろう。
今こそ季節を通して、自分の中に自然を取り戻すタイミングなのかもしれない。
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