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母と中学受験

先日、「神山まるごと高専」の入学希望者及びその親御さん向けのオープンキャンパスで登壇した際のこと。

「学校で起業家教育はできるのか?」というテーマでの議論中、「とはいえ基礎学力は大事だと思う」という主旨の発言をした。すると帰り際に「その言葉が聞けて安心した」と声を親御さんからかけていただいたり、同様の内容のフィードバックが回収されたアンケートに並んだ。

その反応を思いがけないものに感じながらも、確かに“一般的ではない”学校に通わせるにあたり親の心配のひとつはそのポイントなのかもしれない、と妙に納得した。


この出来事を久しぶりに会った大学時代の友人に語ったところ、自然と中学受験の話になった。お互い中学受験経験者だったが、私たちのそれは大きく異なるものだった。

彼女は非常に有名な中高に通っていた。聡明な上に快活な人柄もあって、特に苦労もせずに有名校にやすやすと合格する彼女の姿を私は今まで勝手に想像していた。

ところが実際は、かなり学歴偏重な家庭で育ったこともあり、小学校3年くらいから中学受験用の塾に通い、厳しい管理監督のもと受験勉強に勤しんだとのことだった。それを理由に親と何度も衝突するまでだったらしい。結果的にいい学校に合格できたし、有名校に通えたことは今では回り回ってポジティブに捉えられているようなのでよかったが、場合によってはトラウマになってしまい、後の人生の負の遺産となっていた可能性だってある。いずれにしても、今の彼女の楽しそうに仕事をする姿からはその過去が微塵も垣間見えないので、本当に“結果オーライ”だったのだと思う。


私自身も中学受験をしたが、塾に通い出したのは小学校6年生の途中からだった。塾通いを始めた当初はそのスピード感と情報量に面食らったが、一方でそれまでの参考書での自学に比べると圧倒的にわかりやすい授業に感銘を受けたことをよく覚えている。成績はメキメキ上がり、当初の志望校には余裕で合格できるレベルになり難関校も視野に入っていたが、有名校に行くことには私も母親も特段興味がなく、1月中旬と中学受験では比較的早い日程で行われた当初の第一志望の入試に合格したことであっさりと受験を辞めてしまった。

そんなわけで、中学受験に悪い思い出はほとんどない。勉強は楽しかったし、塾でもいい友達もできた。過酷な競争とも無縁で、志望校には無理なく合格できた。


ちょうど一年前に亡くなった母の介護中、中学受験の話になったことがあった。

母は私にこういった。

「別にいい中学に行って欲しかったから中学受験を勧めたわけじゃないの。私は君に、中学受験の算数の勉強を経験してほしかったのよ。中学受験用の算数は、私のその後の人生にとてもいい影響をもたらしたから」

母は福岡八女の片田舎の生まれだった。小学校で受けたIQテストで高得点を出したことで、学校側から中学受験を提案される。そして塾にも通わずにほぼ独学で国立大学附属の中学校に合格する。

その中学に通ったこと以上に、中学受験算数そのものに価値があったと母は感じていたようだ。だから難関校に合格することよりも受験勉強というプロセスに母は重きを置いていたのだ。それは結果的にではあるが、私を無駄な受験のプレッシャーから解放することにも貢献していたと思う。


中学受験をする子を持つ親と話す機会が増えた。私自身は子供を持つことはおろか結婚すらまだできていないが、36歳というのは得てして“そういう年齢”なのだろう。

そんな中、中学受験を経験していない親が困惑している姿をよく見かける。何のために受験をするのかもよくわからず、そもそも受験に価値を見出せていないケースも多いのだと思う。そうすると、場合によっては先の私の友人のように、親が受験を“押し付ける”ような形になりかねない。


もし中学受験の有用性を見出せないのであれば、どうだろう、私の母のように考えてみては。いい学校に受かることではなく、小学生のうちに、中学受験用の算数という考え方に触れることそのものに意義があるというのは、私も実感がある。


もうすぐ母の命日。彼女が私に与えてくれた35年の愛に、今でも私は、このように思いがけない形で出会している。

やはり母は偉大だった。


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