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中神社で損得について考える

ロードバイクを買って1ヶ月半が経った。

時間がある週末は比較的長めの距離を走っている。80キロくらい走るとちょうどよく、110キロを超えてくるとどっと疲れが出るようになる。

今日日曜日は朝8時ごろ家を出て、夜8時ごろに帰宅した。走行距離を計算したら、合計123.5キロ。そりゃ疲れているわけだ。

ということで私は今、疲労及び睡魔睡魔と闘いながら、夜11時半にキーボードを叩きはじめた。さて、何時に書き終わるのだろう。


今日の目的地は厚木だった。

週末が近づくと、自転車でどこまで行こうかを考えながらGoogleマップとにらめっこをする時間が増える。自宅から片道35〜50キロくらいのところが今のところちょうどいい。

そうすると海という選択肢が消えてしまう。海水浴ができるようなビーチに行こうとすると50キロでは足りないことがほとんどなのだ。結果的に私は毎回自転車を西に走らせている。それはそれで悪くない。ここ最近私は西東京や埼玉の南西部の魅力に取り憑かれている。

ただ、とはいえ西ばかりでは面白くないので、我が家から北や南に向かうことも毎度検討はする。

そんなふうにGoogleマップを見ていると、毎回必ず目にとまる神社があった。

それが厚木にある「中神社」だった。家からは南西の方角に位置する。

その神社は私のGoogleマップ上で「星マーク」がつけられていた。それがいつどうしてつけられたのかは不明なのだが、自転車遠征地検討のたびに、Googleマップ上でその星マークが“主張”してくるのだ。

この日曜日はとうとう他に行きたい場所が思いつかなかった。そこまでいうなら、その中神社とやらを目指してみようではないか、と思い立ったわけだ。

星マークについて「いつどこでつけられたのかは不明」と書いたが、実はおおよその見当はついている。それは多分、埼玉に仕事の用事で車で向かった時に、高速道路から一瞬だけこの神社が見えたことに端を発する。田んぼの真ん中にポツンとあるその姿が気になり、通過時の場所をだいたい覚えておいて、あとから地図上で探し当てたのだ。多分高速道路から見た時点では、これが神社であるとはわからなかったはずだ。


電車やバスに乗っている時、無性に途中下車をしたくなることがよくある。通過した数々の土地を訪れることは今後の人生でないだろう、と考えると、なんだか切なくなってしまうのだ。

今回はそういう意味では“念願かなって”の訪問となったわけだ。


50キロほどの道のりをほぼ休憩なしで完走できたのは、ロードバイクに慣れてきた証拠だろう。漕ぎ出しは少々思いが、スピードに乗ると粘りのある走りで減速が少ない。とても気に入っている。

最後の方は田んぼの中の車道をのんびりと走ることになった。ちょうど水筒のお茶がなくなってしまったが、見渡す限り田んぼだった。コンビニはおろか自動販売機すらなかった。

全体を木で囲まれていて、切れ目のある一箇所に、背の高い人だと頭をぶつけてしまうくらいの高さの鳥居があった。それを潜ると鳥居の正面に対して左斜め45度の位置に小さな社殿と薄い賽銭箱があった。

それだけだった。


賽銭を入れお祈りをした後、鳥居の外でしばらく休憩した。高速道路を走る車と稲で休むイトトンボが見えた。それぞれを交互に眺めながら、ここに来て何かいいことがあったのかについて考えていた。

来てよかった、と感じていた。それは来たことで何かが得られたからではなく、来たことそのものがいいことだったのだ、と最初は思った。

いや、そうではない。私は結果的に何かを得ていた。ただそれは、具体的な出来事ではなく、ひとつの啓示のようなものだった。


その時私は、こんなことを考えていた。

「世の中には、受け取ることによって金銭的には儲かるはずなのに結果的に失うこともあれば、払うことによって金銭的には損をしているのに結果的に得るものがあることもある」

私は何もない中神社に、時間やら労力やらを払ってきた。何も得られず損をしたことによって、結果的に私は大きなものを得た。

そういうことなのだ。


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