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いねかのしょくぶつ

「いねかのしょくぶつ」って口ずさむことにしているの、何かあったときは。

そう、「イネ科の植物」。

特に意味はないの。取り立ててイネとか大麦とかトウモロコシとかブタクサとかメリケンカルカヤとか、そういったものが好きっていうわけでもないのよ。

そうねぇ、語呂がいいから好き、程度に思ってもらえればいいかしら。「メソポタミア文明」とか「きゃりーぱみゅぱみゅ」とか、そういった類よ。

それでもね、胸が苦しい時なんかにこの言葉をコッソリ呟くと、私は救われた気持ちになれるの。本当よ。あなたも今度やってみるといいわ。あなたに対しても「いねかのしょくぶつ」が有効かはよくわからないけど、試しに、ね。

呟くときは、全部“ひらがな”にしないと効果がないの。「イネ科」とか「植物」とか、カタカナとか漢字は絶対にダメ。難しい?そんなことないわ。「いきものがかり」みたいに呟けばいいのよ。簡単でしょ。


この間のことなんだけど。聞いてくださるかしら。

ひとりで美術館に行ったの。別の約束があったんだけど、急にキャンセルされちゃって。それでぽっかり時間が空いたから、前から行きたかった会期終了間近の展覧会に飛び込んだわけ。

大きくて新しい美術館には、大勢の人がいたわ。少しだけ辺鄙な場所にあって、しかも平日の夕方だったのに、よ。他の展覧会よりも、みんな幾分か熱心に観賞していたような気がする。それだけでも来てよかったと思ったわ。

最初の部屋に入って、説明書を読んでいる時に、ふと懐かしい香りがしたの。「香り」というと、ちょっと違うわね。「雰囲気」という方が正確かしら。それは具体的に私の鼻を刺激したわけではなくて、どこかでその“空気”を身体の中に入れたことがあるような気がしたの。

ふと横に目をやると、昔付き合っていた人がそこにいたの。

最後に彼に会ったのはいつのことだったか、私にはよく思い出せなかった。それくらい前ってことね。


彼は私と同じくひとりだった。周りの熱心な人たちと違って、彼はその説明書をぼんやりとしか読んでいなかったように見えたわ。もしかしたら読んですらなかったかもしれない。

彼は私に気がつくことなく、説明書の前を離れて、展示室の中をふらふらと、まるで花から花へ飛び移る蝶々のように歩いていたわ。私は展示作品と彼を交互に観ながら、なんとはなしに彼についていったの。途中で彼の手を掴んで、驚かしてやろうと思ったのよ。

でもね、私は結局それを決行しなかった。

その理由は、彼がある作品の前で、他の作品以上に長いこと立ち止まっていたのが目に入ったからなの。

その作品のテーマは、ノルマンディーの春の丘の景色で、ピントの合った近景に小さな白い花をたくさんつけた一本の木が、ぼやけた遠景に赤い屋根とクリーム色の壁の小さな家が描かれていた。それまで蝶々みたいだった彼が、まるで蛹にでも戻ったように、その前でじっとしていたの。

彼の視線は花をつけた木に注がれていたと思う。その姿を見た時、私には彼が触れてはいけない何かになったように感じられたの。どうしてかはわからないけど。

その後は彼に気づかれないように、後をつけたり追い越したりしながら、彼よりもひと足先に展示室を出たの。


展覧会の出口で待ち伏せして、出てくる彼に声をかけたの。ビックリしてたわ。でもなんだかちょっと嬉しそうだった。

せっかくだからお茶でも、と彼の方から声をかけてきたから、私たちは近くのカフェに入った。ふたりの間では、昔の悪い出来事はなかったことになっていて、綺麗な思い出しかなかった。だからとっても素敵な時間が流れたの。

彼には今素敵な人がいるんだって。彼はそれを、いつか私にきちんと伝えたかったみたいなの。なんだか、私に対して悪いと思っていたみたい。おかしいでしょ、彼が悪いことなんて何ひとつないのに。


どのくらい喋ったかわからないわ。外も暗くなって、そろそろお互い“元いた世界”に戻らなければならない時間になったから、私たちはふたりで電車の駅まで歩いたわ。同じ電車に乗って、彼の方が先に降りることになっていたの。

彼の降りる駅に近づいてきたとき、彼が私の耳元でそっと「楽しかったよ、ありがとう。またね」って呟いたの。

その声は、私たちが恋人どうしだった時に耳にしたどんな彼の声よりも素敵に響いたのよ。そういうのって、わかるかしら?


彼が電車から降りて、人混みの中に消えていった時、私とっても寂しくなったの。何かとっても大切な宝物を失くしてしまったような気持ちになったわ。

そしてそれは彼だけじゃないの。昔素敵な関係にあった人全員を、私は今まで気がつかないうちに失ってしまっていたように感じられたのよ。そんなことは、あってはならないことなのに、絶対に。


だからね、電車でひとりになった私は、こう呟いたのよ。

「いねかのしょくぶつ」って。

そうしたら、きっと、イネとか大麦とかトウモロコシとかブタクサとかメリケンカルカヤとかが、私をしっかりと守ってくれるから。


今日は私ばっかりが話してしまってごめんなさい。ま、いつもそう、か。

聞いてくれてありがとう。誰かに聞いてほしかったのよ。でもこんなことを話せるの、あなたくらいしかいないから。

今度ぜひ、あなたも「いねかのしょくぶつ」って呟いてみてね。全部ひらがなじゃなきゃダメよ。


それじゃ、またね。


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今日はどうしても北京ダックが食べたくなって、友達と一緒に銀座にある美味しい北京ダック専門店に足を運んだ。私の密かなお気に入り。安くて美味しいし、清潔だし、いつ行ってもすんなり入れる。お客さんは半分以上が中国人だ。

北京ダック、空芯菜の炒め物、小籠包、エビマヨ、豚の角煮、フカヒレスープ…と頬張っていたら、突然私の中に「お姉さん」が降りてきて、どうしても文章が書きたくなった。

食事の後に近くのカフェに入り、「お姉さん」の声を聞きながら、上の文章を一気呵成に書き上げた。

客観的に読むとあまり理解ができないものとなっているかもしれないが、これは私の内なる声(つまり「お姉さん」の声)を書き写したようなものだと思っていただけるとありがたい。

たまにこの「お姉さんシリーズ」が出てくるけれど、これからも懲りずに読んでいただけるととっても嬉しいです。


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