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信玄餅の思い出

特に何があったわけでもないのだが、何もかもがめんどくさくなってしまった。


私はその時出張の帰り道で、甲府に立ち寄っていた。寝不足もあって、ひどく疲れていたところに、盆地特有のあの閉塞的な暑さに襲われた。差し始めた西日も私に追い打ちをかけた。

ゾンビのように街を歩きながら、私はなぜ皆「生きる」という選択をしているのか不思議に思った。辛いことや大変なことがこんなにもたくさんある中で生を営み続けることにどんな意味やら意義やらがあるのだろう。

ふと、ずっと前、きっと中学生の頃に読んだ星新一の『最後の地球人』という短編小説を思い出した。私の朧げな記憶の中では、“めんどくさいこと”を徐々に放棄していった人間が最終的に滅亡へと向かっていく様が描かれていた。そうやっていっそのこと人類なんていなくなってしまってもいいのではないか…その時の私は、そんなことを考えたくなるほどに参っていた。

きっと、太陽のせいだろう。


甲府滞在は2時間ほどだっただろうか。いくつかのお店を見て周り早めの夕飯を済ませて夜7時の特急電車に乗るために駅へと向かった。少し時間があったのでお土産コーナーを覗くと、信玄餅が目に入った。

ふと、昔のことを思い出した。

小学校低学年、あるいは小学校に入る前だったかもしれない。当時私たち家族は団地の4階に住んでいた。ひとつ下の階には、男3兄弟の5人家族がいて、私は3兄弟の真ん中の「よっちゃん」と仲良しだった。

よっちゃん家族はアウトドアが好きだった。特にキャンプによく行っていた印象がある。一方で我が家はアウトドアや旅行といったものにはてんで疎かった。そういったことを“わざわざ”するという発想もなかったのだろう。

そんな中、一度よっちゃん家族と一緒に山登りに行くことになった。よっちゃん兄弟の上2人と私、そして両家の父の5人で、山梨の山に登った。

山登りの記憶は一切ない。それなりに楽しんだはずだ。

不思議と覚えているのは信玄餅のこと。当時の私はなぜか、遠出をしたら、誰かのためではなく自分用に、絶対にお土産を買わなければならない、と考えていた。福岡の母の実家に行った際、「チロリアン」や「鶴乃子」といった福岡銘菓を必ず買っていたからもしれない。そんなわけで登り始める前から「山梨のお土産は何がいいか」を大人ふたりに尋ねていた。

「山梨といえば信玄餅だろう」

よっちゃんパパがそう教えてくれた。私はきっと、信玄餅のことばかり考えながら山を上り、そして下ったはずだ。

帰りの駅で信玄餅を買った。記憶の中ではその場で食べたことになっているが、どうだったっけ。それかもしかしたら、帰りの特急電車の中かもしれない。

正直、期待していたほど美味しくなかった。当時の私の好みの味では全くなかった。


よっちゃんと最後に会ったのはいつだったか、全く思い出せない。私が中高佐賀県にある全寮制の学校に通ったことで彼と会う機会はめっきり減ってしまった。もしかしたら小学校卒業以来会っていないかもしれない。

よっちゃんが今どこで何をしているか、ふと気になった。賢い印象はなかったが、きっとどこかできちんと生活をしていることだろう。


「みんな、頑張ってるんだよなぁ…」

そんな言葉が自然と湧き上がった。きっとみんな、どうにかこうにか生きているのだ。

生きている意味は結局のところよくわからないけど、とりあえず今は、頑張るタイミングなのだろう。私はそう思い、信玄餅をひと包み購入した。


家に帰って信玄餅を食べてみることにした。きなこの上をつるつると滑る黒蜜が涙に見えた。

思いがけずとても美味しかった。私はどうやら、信玄餅の真価がわかるくらいには成長していたようだ。


私を悩ますものなんて何ひとつなかったあの遠い記憶の日の面影を、きなこに包まれた餅の中に、私は刹那見たような気がした。

今や私は、信玄餅の美を理解できるようになった。だからきっと、この人生の苦味だって、美しさを伴って捉えられるようになっているはずだ。


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