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記憶の化石 〜アノスミアの話〜

今からここで書くことは、いわゆる“又聞き”の類である。

これはとあるトークイベントに登壇した調香師Jean-Michel Duriezから、そこで語られていたことに関して聞いた話だ。事実確認はできていないし、この話をした彼がそもそも私に正確な内容を伝えてくれたかどうかも定かではないが、話として非常に面白く、またその内容の大部分がある意味参加者の主観で語られるものでもあったので、ここに紹介することにした。よって、話半分程度に聞いていただきたいし、内容の正確さは保証されるものではない。


それは「アノスミア」、つまり先天的に嗅覚がない、あるいは後天的に嗅覚を失った人に関する内容だった。調香師Jean-Michel Duriezの他には、アノスミアが数名登壇していた。


同じアノスミアといっても、それが先天性なのか後天性なのかで大きな違いがある。


まずは先天性の人の話。

生まれながらに嗅覚がない人は、匂いのない世界が当たり前のものとなっている。匂いがどういったものなのか、想像すらできないし、何かが欠けている、という感覚ももちろんない。

とはいえ日常生活で困らないわけではない。例えば料理中に焦げた匂いがわからないので、炒め物をする際は目視で注意し続けなければならない等、我々が想像していないところでの“落とし穴”があるのだ。

また、身体を洗うことへの興味がどうしても低くなるそうだ。確かに、日本人のように入浴の楽しみのないフランス人にとっては、体臭を洗い流すというのがシャワーを浴びる一番の理由になっているはずだが、その体臭を感じることがないのであれば、積極的にシャワーを浴びるというモチベーションはいまひとつ湧かなくなってしまうだろう。

食事に関しては先天的アノスミアの間で意見が分かれるらしい。嗅覚がない状態でも、食感や舌の上で知覚する味のみで楽しく食事ができるタイプもいれば、必要がない限りにおいては食べ物を摂取しないという、義務的に食事をしているタイプもいる。登壇していた先天性アノスミアのふたりは片方が前者で、やはり肉付きもよかったが、もう片方は後者で、当然ながら“マッチ棒”のような身体だったらしい。


次は後天的アノスミアの話。

手術や事故によってアノスミアになるというのは比較的よくあることのようだ。トークイベントでは全人口の5〜10%の人がアノスミアであると語られていたようだが、先ほどインターネットで調べてみたら1〜2%という異なる数字も見つけた。いずれにしても、少なくない数の人がアノスミアである、ということはわかるだろう。

後天的にアノスミアになった人は鬱になりやすい傾向がある。もちろんそれは五感のひとつが失われたことで、香りや食事を楽しめなくなってしまうことに起因していると想像されるが、そのトークショーで登壇していた後天的アノスミアによると、「香りの記憶」が失われることもそのひとつの原因と考えられるとのことだった。つまり、嗅覚を失った直後はまだ残されている過去に嗅いだ香りに関しての記憶が、嗅覚を使わない時間が長くなると共に忘却の彼方に追いやられるようだ。嗅覚を喜ばせることを知ってしまった人がアノスミアになり、さらに香りの記憶まで失ってしまったら、それはきっととても辛いことなのだろう。


イベントにはもうひとり、非常に特殊なケースがいた。先天性アノスミアだったが、20歳の時に受けたアノスミアとは関係のない手術で、嗅覚を取り戻した(獲得した、という方が正確かもしれない)、というものだ。

それまでなくてさして困らなかった嗅覚が、“思いがけず手に入った”わけだが、これはこれで大変らしい。20年間脳に送られていなかった情報が急に大量に、しかも休むことなく四六時中なだれ込んでくるのだ。その方にとってはもはや取り戻された嗅覚は“余計なもの”となっている。医者からは嗅覚をなくす手術の提案も受けたが、それについては「やりすぎかな」と思い一旦は断っているとのこと。ただ、いずれかのタイミングで受ける可能性も十分にあるという。


このトークイベントは、アノスミアで構成された団体により主催されていたものだった。それではなぜそこに調香師が呼ばれていたのだろうか、と疑問に思わないだろうか。確かに調香師は嗅覚を使って仕事をしているが、アノスミアについて語られるのであれば、嗅覚の研究者や医者あたりが適切なスピーカーであるはずだ。

実はこの団体には、「アノスミアのための香水」を作るというプロジェクトがあった。先天的アノスミアの女性が、周りの人が香水を使っているのを見て、自身も使ってみたいと感じたそうだ。ところが、通常の香水だと、自分では香りが全くわからないため、適切につけられているかどうか判断ができず、だいたいにおいてつけすぎてしまうのだ。

そこでとある香料メーカーと一緒に、つけすぎても問題がないがきちんと香りがする香水を開発したようだ(そのカギとなったのが、どうやら「うまみ成分」らしいのだが、どうしてそれがアノスミアのための香水に適していたのかは正確にはよくわからなかった)。

最終的に、賦香率(香水全体に占める香料の濃度)を低くした、トップノートのない、ラストノートを中心とした淡いウッディな香水となった。どれだけつけすぎてもつけすぎとならず、アノスミアでも「香水をつける」という行為そのものを楽しめるものを作り上げることに成功した。


ここまでがそのトークイベントについて調香師が語ってくれた内容だ。興味深く、そして素敵な話だと私は感じたので、記事にしてみた次第。


先天性アノスミアが香りをイメージできないように、香りのない世界なんて全く想像ができない。もし私がアノスミアになってしまったら、すぐに鬱になることだろう。

そんな時、私が調香師Jean-Michel Duriezと一緒に作った香りを、私はどう“知覚”するだろう。香りのしないその液体を、きっと化石になった自身の記憶として、悲嘆と郷愁と共に眺めるのだろうか。「香りの記憶」があるうちはまだいいかもしれないが、それがなくなったら…

そんな想像をしていたら、急に香水達が今まで以上に愛おしい存在となった。そして私が今までやっていたことに、私自身にとっての意味を見出すことができたように感じた。


私はその「記憶の化石」を、これからも丁寧に掘り出して、香水にしていくのだ。化石になれない私の代わりに、この世に香りを残していくために。


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