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駅の裏側

駅には表と裏がある、とふと思った。


大阪での用事を終え、17時の新幹線で名古屋に向かった。寒い雨の大阪をあちこち回ったからだろうか、ひどく疲れていたようで、50分ほどしかない道中のほとんどでかなり深い眠りに落ちていた。

名古屋で下車した際は大阪よりもさらに肌寒く感じた。プラットホームでは私と同じ感想を抱いた人々が「わ、寒い!」と口にしながら改札階に通じるエスカレーターまで足早に向かっていた。

ホテルの場所を調べると、駅から北西の方角にあった。太閤通口から出て雨がぱらつく中をホテルまで急いだ。その時点で18時を過ぎていたが、18時半にはまたホテルを出なければならなかったのだ。

そもそも太閤通口から出るのははじめてのことだった。いつもはその反対側に位置する出口しか使わない。こちらの出口にはひとつの明確な名前がついていなようだったが、逆にそれによってそちらこそが“本家本元の出口”であるということを際立たせていた。

太閤通口からホテルまでの道中は、“本家本元の出口”から見る名古屋とはまるで違っていた。商業施設はなく、大きな建物も少なかった。日本三大都市のターミナル駅から想像される姿とは程遠かった。ビジネスホテルと予備校がやたらと多いせいか、あるいは時間帯のせいかはわからないが、行き交う人々はしがないサラリーマンとパッとしない学生ばかりだった。


その光景は私に、地元の駅のことを思い出させた。

生まれてから12歳までを東京の西にある八王子で過ごした。そしてその大半を、中央線の八王子駅、豊田駅、日野駅の3つの駅からほぼ等距離にある場所に住んでいた。遠出の際は、そのどれかの駅までバスで行ってから電車に乗っていた。

バスの本数が多かったこともあり、一番よく使う駅は八王子駅だった。「JRの八王子駅と京王線の京王八王子駅を離れて作ったことが八王子が立川のように発展しなかった最大の要因」という話を聞いたことがあるが、私の幼少期の八王子駅周辺は百貨店もありショッピングモールも複数あり、となかなかの賑わいを見せていた。

その賑わいが八王子駅の北口だけだと知ったのは、私がその地に住んだ12年のかなり後半の方だった。

八王子駅には南口があった。そこに足を踏み入れた時のことをよく覚えている。バスターミナルだかビルだかを作るために、ほぼ更地のような状態になっていたのだ。

そもそも八王子駅に南口があることすら知らなかった当時の私は、その南口の北口とのギャップにさらに驚かされた。とても同じ駅の出口だとは思えなかった。“異世界転生”に近い感覚だった。

昨年の夏に八王子を訪れた際も、記憶の中のそれに比べると南口は発展し、北口は衰退していたものの、両者の差はまだ歴然だった。


そう、駅には表と裏があるのだ。

全ての駅ではないだろう。ただ不思議なもので、駅の両側が等しく発展している場所というのは私の知る限り少ない。駅を挟んで、多かれ少なかれ、“ハレとケ”が存在する。


名古屋で私は、名古屋の裏、“ケの世界”に足を踏み入れたように感じた。それはとても不思議な体験だった。ただ路地裏に入ってその都市の日常を垣間見るのとは違い、駅と線路によって隔てられた平面が、ありとあらゆる部分で反転しているような印象なのだ。

“本家本元の出口”を目指して“いつもの名古屋”方面に向かうために駅構内を通り過ぎながら私は、地球での出来事を全て忘れて月に帰るかぐや姫のような気分になっていた。“本家本元の出口”から出た私は、名古屋の“ケの世界”のことを、もうすっかり忘れていたのだ。


夜遅くにホテルに戻るとき、また私は名古屋の“ケの世界”に足を踏み入れた。その時は名古屋の“ハレの世界”の記憶もまだちゃんとあった。

人間みたいだ、と思った。表と裏、ハレとケ、隠と陽があり、側からみた姿が美しく大きいほど、その裏側には大きなギャップがある。

私におけるそのギャップは、きっと大きくなり続けているのだろう。なんだかふと怖くなった。もう後戻りはできない。

ここ最近の私に起こったことを受けて、私は改めて、私の“ケの世界”をきちんと整理しよう、と寒い名古屋の“ケの世界”で誓ったのだった。


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