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村上春樹氏「猫を棄てる-父親について語るときに僕の語ること」を読んでの感想

村上春樹さんのエッセイは、彼の小説と同等、もしくはそれ以上に興味深く面白い話が多いため、私はとても好きです。

この「猫を棄てる-父親について語るときに僕の語ること」は文藝春秋の2019年6月号に特別寄稿として掲載されたのを知り、一年前の当時わくわくしながら一気に読んだのを思い出しました。

著者の両親、特に父親のルーツと従軍体験を本人が調べ、詳しく記した内容で、他のエッセイ同様に村上春樹作品を読む上で重要な内容が多かったと思います。特に今回はテーマが「父親」「戦争」など、村上作品で幾度と出てくるモチーフであったため、その重みはより一層強かったと思いました。

読んで特に印象に残ったのは、この2つの話です。

1つ目は「父の死の直前に和解のようなものをした」というエピソード。まっさきに小説「1Q84」での天吾と天吾の父の養護施設でのシーンが思い出されました。この作品の中で父の死の直前に親子は和解をしています。「猫を棄てる」での、村上氏が父と和解したエピソードを読んでいて、まず最初に「この2つの話、あまりにも同じじゃん」という可笑しさがこみ上げてきました。そして、長年続いていた父親とのわだかまりを抱えていた心の苦しさと、それを解消できた晴れやかさを生々しく感じることができました。小説に同じようなストーリーを組み入れてしまうくらい、やはり本人にとってとても大きな出来事であったのだろうと感じたからです。

2つ目に、タイトルにもなっている、著者が幼少期に飼っていた猫のエピソードの1つ「木に登るよりも、降りる方が難しい」という教訓の話。一般化するなら「結果(事象)は、過程を凌駕する」と村上氏は書いています。読んでいてドキッとしました。一見すると筋の通ってそうな理由であっても、戦争やそれにまつわる出来事など、ときに結果(事象)は不快で目をそむけたくなるようなことが大なり小なり、生きていると世の中にはたくさんある。そして、そういったことの積み重ねが歴史となり、人々はそれらを自らの一部として引き受けなくてはいけない。著者は言います「もしそうでなければ歴史というものの意味が、どこにあるのだろう。」

私が生きている今の世の中や社会も歴史の一部となっていく。良い部分も悪い部分も両方、私も自分の一部として引き受けていかなくてはいけない。それが「生きている」ということなんだと思えました。そして私も村上氏の父が村上氏に伝えたように、私の大切なだれかに、自分の歴史のひとつとして語り継いでいかなければと思いました。

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