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2020年の総括

はじめに

今年一年を振り返ってみる。3ヶ月単位で状況が変わっていた。今年も色々な経験が出来て、学べた1年だった。

January-March

今年の年明けはカナダのトロントで迎えた。1月はまだコロナが蔓延しておらず、ノーマルな生活だった。対岸の火事にような感覚で、中国で新型のウイルスが流行していて大変らしいとニュースで見たくらい。まさかそれが全世界を巻き込むウィルスとは考えもしなかった。カナダも2月ごろから感染者が増えてきて、アジア人に対する視線が厳しくなったことを肌で感じた。人種を強く意識させられた瞬間だった。電車の中でも、街を歩いていても、多少距離を取られ、訝しげな表情でこちらを見ていた。未知なものへ対する恐怖。肯定するわけではないが、その気持ちを抱くことに理解はできる。3月ごろにはトロントもロックダウンした。始めての経験。ただ当時、食糧雑貨店と運送系の仕事をしていたため、ロックダウン中も仕事はあった。必要不可欠なエッセンシャルな業界だから。働けるだけありがたい。コロナがなかったら、どこかへ経由して、日本に帰国したかったが、この状況下そんな訳にはいかない。トロントー東京の直行便はなかったため、バンクーバー経由で帰国した。バンクーバー空港では、ウィルスへの意識の差を実感した。東京行きの便の向かい側は、中国行きの便の待機所だった。日本人はマスクをする程度で、ソーシャルディスタンスの意識も薄かった。だが中国行き待合所は、ほとんどの人がどこから手に入れたの?という感じの防護服を着て、警戒していた。これはSARSの経験の有無が影響していると思う。人を死に至らせるウィルスへの経験の有無が、意識の差に繋がっている。

話は変わるが、再就職は厳しいものと理解していたため、英語力を示すTOEICの勉強を着実に進め、2月にトロントで試験を受けた。またトロントにいる時から、書類作成するなど、準備はした状態で帰国した。

April-June

4月の頭に帰国した。カナダはそこまで蔓延していなかったお陰で、意外とすんなりと入国できた。お隣のアメリカからの帰国者は、長い行列をなしていろいろ確認されていたが。もしものときために2週間自主隔離した。そして就活を始めた。今までやったことがないことで、経験が活かせること。無形商材の営業職を志した。特にIT関係を狙っていた。テクノロジーに対する知識や経験が今後必須になると思ったから。だが業界未経験で、特筆するべき前職での実績や経験もない30代を雇う企業はいるのだろうか?コロナの影響もあって、予想以上に難航した。少しでもテクノロジーに触れようと思い、6月ごろからプログラミングの勉強を始め、就活とは少し距離を置いた。それと同時にクラウドソーシングに登録したり、メルカリでものを売ったりしてみた。自力で10円稼ぐことの大変さを学んだ。

July-September

7月は調子良く勉強していた。主にプログラミングとライティングの。7月中旬に海外滞在時の知り合いに刺激され、就職活動を再開した。8月、9月ごろに勉強のモチベーションが下がりはじめた。また社会との繋がりを求めた。この時は業界はそこまで気にせず、商品やサービスへの共感があれば、どこでも良かった。自分の努力や成果が、社会にプラスになるようなことであればなんでも。無気力になりかけ、2020年で1番しんどかった時期。「Sometimes I'm up, sometimes I'm down. It all comes out in the end.」の言葉にどれだけ励まされたことか。

October-December

長いトンネルをやっとのこと抜けて、働き始めた。最初はブランクもあり、体力的にしんどかったが次第に慣れた。新しいことを始めると刺激になる。対人ストレスも当然あるが、適度な対人ストレスは必要だと思う。それが社会に属しているということ。新しいことを学び、日々成長できて、お金も稼げるという、いい循環だと思う。今年も、そして来年もこの調子で走り抜けたい。

まとめ

とてもいろいろあったし、考えさせられる一年だった。働くということは、生活費を稼げる。この面に目を向けがちだが、同時に社会の一員という一体感や社会への貢献感も意図せず得られている。その一体感や貢献感もお金と同じくらい大事なものである。人は誰かのために、生きることを生まれながらにしてプログラムされていると思う。そのため1人では生きていけないし、孤独感が強すぎると痛ましい結末になってしまう。

この一年は考え込み、お金もないため、やや引きこもりのような生活になってしまった時期もあったが、その経験から学べたことも、とても多かった。今ある状況に感謝し、目の前のことに全力を尽くして、突き進んで行こうと思う。


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