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6ヶ月の空白期間を経て、感じた5つのこと。

はじめに

まるで暗く長いトンネルを歩いているようだった。微かに光が見えたと思ったら、消えてなくなり、また真っ暗闇。その繰り返しだった。まだできると、もっとできると思うけれど、世間からは評価されなかった。自分のやってきたことが、無意味なもので、否定されているような感覚にもなった。自身のこれまでの道に対して、自分は価値を感じているからこそ、余計にもどかしかった。空白時間は時間の宝庫。それが拍車を掛けて、あれこれ余計なことも考えてしまう。そして考えれば考えるほど、よく分からなくなる。何がしたいのか?どうなりたいのか?将来性はあるのか?生活していけるのか?自分の存在意義は?など考えたらきりがなかった。どんどん深みにハマっていく。底無し沼。負のスパイラル。どんどん下に下がっていくが、底も見えない。6ヶ月の空白期間は完全に迷路に迷い込んだ状態だった。

1、無職は意外と楽ではない

人に「仕事をしていない。」と言うと「いいね。羨ましい。」と言われる。この言葉には悪意はなく、自分も仕事に追われて時間がなかったら同じ言葉を発していたかもしれない。だが一度仕事がない状態になってみてほしい。予想以上に辛いはずだ。周りの目や、金銭的な辛さもあるが、それよりも自分の存在意義について考える。自分の存在が誰かの役に立っているのか?仕事は辛い事ばかりだが、感謝されることもある。誰かしらに、何らかの貢献をしている。人間は社会的な生き物で、社会と繋がっているという感覚が必要不可欠。仕事以外にもボランティアや何かのコミュニティに所属すれば、社会との繋がりを感じられるが、仕事は手っ取り早く社会との繋がりを感じられる。

2、働けることに感謝

特にコロナのご時世、仕事につくことも難しい。当然選ばなければ、何かしらの仕事はあるが、、、働けるだけでもありがたいことだと感じる。あれこれ考えて、場所を選ばずリモートできるIT関連の仕事で、スキルを上げていこうと考えていたが、未経験で、30オーバーではなかなか厳しい戦いだった。また何度も適性検査をしたし、何度も「やりたいことの見つけ方」系の本を読んだ。結果、余計によく分からなくなった。これらは過度に意識せず、参考程度にしておいた方がいいと思う。好きを仕事にするとか、得意を仕事にするという風潮が昨今流行っているが、まずは自分の目の前にあること、今やっていることを頑張ってみることが大切。必ず学びになるし、その中で自分の得意が分かってきたりするものだ。好きなことは移ろいやすいし、実は今やっていることを一生懸命やっていたら、楽しくなってきたり、やってみたいことと近い経験ができたり、結果を出せたら、好きな仕事にいい条件で転職できる可能性もある。コミュニケーションスキルだったり、コミット力だったり、ロジカルシンキングだったり、根本的なスキルはどんな仕事でも共通している。少し話が逸れてしまったが、無職で仕事が見つからない場合や、やりたいことってなんだろう状態のときは、とりあえず何かしらの仕事をしたほうがいい。アルバイトでも、短期の仕事でもなんでも良いと思う。家で悶々と考えても、答えは出ないし、お金はなくなるし、負のスパイラルに陥るだけ。仕事をすることで、社会との繋がりを感じられ、次の目標やステップを見つける手がかりを発見できるかもしれない。

3、家族、友達の大切さ

空白期間の救いは、家族や友達だった。空白期間も気に掛けてくれ励まし、応援してくれた。自分が調子の良いときに周りにいる人より、辛いときに周りにいてくれる人は、信頼できる人だということは自信を持って言える。何度も気持ちが萎えて、折れ掛けた状態から、もう一回立ち上がろうと思えたのは、周りにいてくれた人たちのお陰と言っても過言ではない。本当に感謝の一言に尽きる。

4、ストレスは健康な生活に必要

一般的にストレスはネガティブな言葉である。確かにうつ病や自殺に追い込まれるほどの過度なストレスは、有害である。だが適度なストレスは人生において必要なもの。英単語の「stress」を調べてみると、圧力や精神的な重圧などのよく知られた意味が出てくるが、その中の一つに「応力」という意味がある。これは物理的な用語で、物体に外からの力が加わると、それに応じて物体の内部に生じる抵抗力という意味である。この抵抗力が自己成長に繋がったり、モチベーションを高めれくれたり、プラスに働く原動力にもなる。つまりストレスにはポジティブな要素もあるということ。

5、当たり前と思っていたことに感謝

これはまとめ的な要素にもなるが、感謝である。働けること。それによって他者に貢献し、自己肯定感が得られること。収入があること。家で暮らせること。ご飯が食べられること。お風呂に入れること。ぐっすり寝られること。家族と生活できること。友達と会えること。今日も生きられるということなど、当たり前だと思っていたこと。それら全てが有難いということ。有難いとは、存在しがたく、滅多にないことと感謝すること。私たちは、ないものばかりに目を向けがちだが、実は既にとっても幸せな時間を過ごしているのかもしれない。



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