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少数派と特別 / Minority and SPECial

僕のnote記事の多くは社会にイラついている人や自分との向き合い方がわからない人向けだと思っているのですが、過去の僕を含むそんなみなさんは常に少数派(マイノリティ)だったりするのかな、とよく考えます。

みなさんは、少数派になりたい側ですか?
それとも気づいたらなっている側ですか?

どっちが幸か不幸とかいう話ではなくて、何においても少数派っていうのが生まれると思うんです。政治のような国規模のものから小学校の教室のような小さなに場所だって常に存在する。
学校なんて毎日戦争みたいなものですからね

今回は、僕の悪い癖の話です。

◇◇◇◇

僕は、何かを考えるときに常に片方に振り切るということができないんです。

例えば、「『家族を大事にしましょう』と言っても世の中には本当に家族に愛されない人や愛せない人もいるよな」とか、「『好きに生きよう』なんて言ってもそれができない人もいるよな」と言った感じで常に一番言いたい事の反対の位置にいる人や少数派の事を考えてしまうという悪い癖。

正直に言うとnoteを書くたびに少しビビっているんです。

自分と向き合おうなんて言うたびに「同じ事を全員に言えるのか」って自分に聞くんです。無理なんです。

今までもこの悪い癖はあったんですが、あまり自覚していないままでした。
でもあるとき、「今自分たちが普通に過ごしている瞬間にも、どこかで戦争が起こっているかもしれない」と言った友達がいてハッとしました。

でも少数派がかわいそうとか少数派が恵まれていないみたいな哀れむように見るのも絶対に間違っている。
その人の立場にいくらなろうとしても絶対なれないし、かわいそうと思うことがかわいそうな気がするんです。

勝手に哀れむんじゃねえよって怒られそうです。
言葉って難しいですね。

みんな同じラインに立てていればこんなこと考えなくても良いのかもしれません。僕にはもうどうすれば良いのかわからない。
気にしすぎだよと言われたらそれまでですが。
「みんな違ってみんないい」じゃなくて「みんな違うからみんないい」のはずなのになぁ、

◇◇◇◇

一方、世の中には少数派になりたい人もいます。
特別になりたいという感じかな。

これは非常に難しい。
特別になるのが難しいんじゃなくて、何をもってして特別とするかがです。

誰もできないことをできるのが特別なのか、基準は数え切れないくらいありそうです。

かく言う僕も過去には「みんなと同じなんて嫌だ」と強く思っていた人間で、それが巡り巡って「普通」に関する記事が生まれました。
でもこれってただ「特別でありたいな」って自分と向き合った感情じゃなくて、「周りがみんな同じで変だからそれと同じにはなりたくない」という周りを下げる考え方だったんですね。

今はそんな「みんなと一緒は嫌だ」みたいな考えは前ほど強くないのですが、写真を取る人間として何か試行錯誤しなきゃなとはいつも思います。

というかそもそも「特別」とか「個性」って人に認められて初めて活きるというか、一人じゃそんなわかんないんですよね。

皆がいて初めて特別という言葉が意味を成す気がします。

初めから自分一人だったら特別も何もないと思いませんか?
ムスカだってゴミのような人がいて初めて自分が特別だと感じるわけです。

僕の場合カメラマンなんて数え切れないくらいいてそのカテゴリで見たらただの一人でも、僕の仲間とか友達から見たら僕は特別な一人になりうるわけです。
というかそう言ってくれた人がいました。

もちろん嬉しかったですよ。そんなことあまり言われないんで。
人のつながりを大事にするとこういうことがあるんだなって思ったし、それと同時に自分の周りを大事にできない人はもっと大きな人の塊を大事にできるわけないんだよなと感じましたね。

いきなりでかいことをするのは僕の性に合わないんです。

だから僕は、「自分の手の届く人達の中の特別でありたい」
と強く思いました。

あなたも誰かの特別。

そうやって一人一人が自分の周りを大事にしていけたら全員めっちゃ特別を感じれそうだと思うんですけどねぇ。
それ以前に元から特別なんですが。


でも、僕の悪い癖はそんな簡単に治りそうにありません。
両方抱えて生きるしかなさそうです。

少数派になるのが偉いとかそんなのは無しですよ。
自分で好きな方を選ぶしかない。


◇◇◇◇


いつも読んでくださり、ありがとうございます。
少しでも皆さんの暇つぶしになれたら幸いです。
noteは気の許す限り投稿中。

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