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平成から令和へ

一つの時代の区切りとして、
平成という時代が終わる。
本来ならば喪に服す、悲しみの変化となるはずなのだが、生前退位という今上天皇の強いご意向があったからこそ祝祭の変化となっているのだろう。

平成はどんな時代だったのか。

物心ついた頃に阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件があったのが自分の平成始まりでした。

小学生の頃、長野オリンピックがあり教室のテレビでジャンプの原田選手が最長不倒の173mで団体金メダルに輝いたのもはっきりと覚えている。
メダルラッシュが続いたのも平成のオリンピックの特徴でした。

また、災害が多かったのも平成だった。
自分の中で一番の転換点になった東日本大震災。親戚の居る岩手県・大船渡の現地へ行った時の衝撃は今も忘れない。自分の建築への考え方、生き方も変えてしまった大きな災害。 台風や大雨も沢山あった、そんな時代。

自分の夢とか、挑戦、目標を作った時代

自分が生きてきた中で運動が特に苦手だった。
それは今も変わらないのだけれども、自分でもやってみたいと思える事が高校生の時にアーチェリーという競技に出会った事だった。
何かに夢中になるのが楽しくて、ただひたすら練習をしたのを今でも自分の中で”挑戦”した時間として残ってる。

高校卒業したあと、将来の目標とか無い時期がありました。
その時期にとある駅でアルバイトをしていた時、ある駅の開業に立ち会ったことが一番の転機。
開業前のまだ何も無い場所に駅ができていく様子は本当に驚きでした。
その様子を見せてくれた当事の関係者の方々には感謝してもしきれない。
建築を本当にやりたいと思える道を示してくれたその出来事は今、自分の中で「駅を作ること」という””につながっている。

見たことの無い景色を探して、数年前から日本を回っているのだけれど、
まだまだたくさん知らない日本がある。
自分の住んでいる国を知ることから始めた旅路はまだまだ半ば。

”次の場所はドコだろう?”

好きな曲の歌詞をキャッチフレーズに。
新しい時代になっても探し続ける"目標"は変わらず、探し続けます。

挑戦や目標・夢を作った「平成」が終わることが少し寂しく思えるけれど、「令和」が次への一歩目となることを考えたら楽しみだ。

これからも自分が見たこと、聞いたこと、感じたことをたくさん記録していきたいと思ってます。引きつづきどうぞよろしくお願いいたします。

平成31年4月30日 なか

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