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【読書】アラビア太郎

本書は、富士石油株式会社の子会社となったアラビア石油株式会社を創業した山下太郎氏の驚異的な人生を描いた作品である。山下太郎氏の物語は、明治後期から昭和中期にかけての日本の歴史を背景に、彼の苦難の道のりや功績が描かれている。彼は日本人で初めて外国の地で国策油田を獲得した人物であり、ビジネスに携わる人々にとっては大きな感銘を受けること間違いない。

本書の魅力は、ビジネス、歴史、そして海外という3つの要素に分類できる。これらの要素に興味を持っている方々にとって、本書は必読の書であると断言する。また、これら全ての要素に興味がある方々にとってはなおさらのことだ。

山下氏は東京出身で、札幌農学校(現北海道大学)へと進学した。当時の北海道は未開拓の地であり、彼の学び舎は原生林の中に佇んでいた。彼の晩年の偉業を考えると、彼がここで開拓精神を養った可能性は少なくない。

卒業後、山下氏は起業したが一つの事業に固執せず、様々なビジネスに手を出しては成功と失敗を繰り返した。彼は戦争などの影響で一時は全てを失ったが、最終的には政財界や専門家を巻き込んで海外油田の利権を獲得し、見事な成果を上げた。彼の功績は、エネルギーを輸入に頼るしかない日本の安全保障に大きく貢献したものと言える。

彼の成功の背後には、彼が長い時間をかけて築いた人脈があった。彼自身が知識や資金に乏しかったとしても、彼の人脈は彼を支えた要素であった。
彼の妻である文子氏によれば、彼はほとんど家で食事をせず、ほぼ毎晩会食に行っていた。接待やお祝いなど、人々を楽しませることにも細心の注意を払っていた。彼の徹底した接待のスタイルには驚嘆した。

宴会の前には、彼は料亭に電話をかけて献立や土産物、芸者の選択について細かく指示を出した。彼は自分だけ楽しむのではなく、客を退屈させないよう心掛けた。また、芸者の選択においても年配の芸者を交えることで、若い芸妓の気を引き締めるための工夫を行っていた。このような流儀には時代錯誤のように感じられるかもしれないが、一流のおもてなしの精神を感じた。

山下氏が手がけた事業の変遷は非常に興味深く、山あり谷ありの挑戦が続いた。彼は月給取りになりたくないという信念から起業し、さまざまな事業に挑戦した。その中でオブラートの開発、ウラジオストックの罐詰輸入、アメリカからの硫安アンモニウムの輸入、上海からの江蘇米の密輸など様々なことを手がけた。

彼の誠実さもまた、彼に巨利をもたらした要因だった。例えば、満鉄に五万石の江蘇米納品を急遽キャンセルされたにも関わらず、彼は損害賠償を請求しなかった。この誠実さが後に満鉄の副社長となった松本蒸治博士の心をつかみ、山下氏の満鉄社宅ビジネスに繋がった。満鉄の社宅ビジネスも一時は成功したが、敗戦により失敗に終わった。それでも山下氏は社員や会社を守るためにさまざまなビジネスに取り組み、最終的に石油ビジネスにたどりついた。

この本は、ボクのような影響されやすい人間にとって、自分自身を奮い立たせるにはもってこいの書籍だ。彼は70歳という年齢で自身の夢でもあり、国益ともなる偉業を成し遂げた。彼は周囲の嘲笑に目もくれず、誰よりも本気で夢に向かって走り続けた。

些細なことに対して言い訳などしている場合ではないと諌められた気がする。あらためて、日本にもこんなスケールの大きな業績を成し遂げた人物がいたということに感動した。彼はまさに「Boys, be ambitious」を体現した人物だ。

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