見出し画像

結果の手放し方

お久しぶりです。

えんとつ町のプペル上映中に2回は号泣したゆーすです。

気づけば年を越して2021年になりましたが、このnoteに残しておきたいことがあり、久しぶりにログインしました。

今回、何を書くのかというと、ここ数年散々悩まされたことについてです。






それは何かというと…






結果の手放し方。







そう。


僕はここ2年程「結果」という文字が常に頭のどこかにあり、好きで始めたことや楽しくてしていたことが、気づけば結果を出すということにシフトしてしまい「やりたい」が「やらねば」に変わってしまうという現象に何度も悩まされていました。


僕は、その悩みから抜け出せないせいで失った人やものがあり、自己嫌悪に陥ることもありました。


なので、このnoteを読んでくれているあなたにはそうなって欲しくないと思い、ここに残すことにしました。


少しでも気になる方は、最後まで読んで頂けると嬉しいです。








はじめに


まず、僕がなぜ「結果」にこだわるようになったのか?ということをお話したいと思います。


人が結果を意識するようになるきっかけは人それぞれだと思います。


学校のテストやスポーツの成績、誰かに認められたい、仕事が欲しい、肩書きが欲しい等々…


もちろん、僕も始まりはそういった出来事でしたが、強烈に結果を意識するようになったのは、「大切なことや人」を失った時でした。


それを体験した時に自分は何もできず、ただただ時間が過ぎるの待つしかなく、自分の無力さを痛感させられました。


「もっと自分に力があれば」と何十回も何百回も思いました。


それが僕が結果にこだわるきっかけとなりました。


ここからは「自分の人生を生きる」+「結果を出す」ということを意識して生活した結果起こったことを書いていきます。









「結果」というしがらみ


僕は「自分で選択しきったことで結果を出す」ことで自分と大切な人やものを守れると考え、「結果を出す」ことを意識して生活を始めました。


それから僕は自分がやりたいと思ったことに沢山トライし、結果も追い求めるというスタイルで様々なことに挑戦していきました。


特にYouTubeでは顕著に「やりたい」が「やらねば」に変わったので、その事例から話したいと思います。


YouTubeを始めた当初はとにかく楽しく、のめり込むように企画〜編集〜広告の流れを楽しんでやっていました。


ところが、最初は順調だったチャンネル登録者数や再生回数が横ばいになって来たタイミングで、結果を出したい自分が強く出て来てしまいました。


そこから結果を出すために動画を出さないと!といった状態になり、「やりたい」から「やらねば」に変わった動画では大きく伸びることもなく、投稿→伸び悩み→自己嫌悪→モチベ低下の負のループにハマっていました。


正直、この時の自分は「楽しい」や「幸せ」から程遠い場所にいるのが分かっていながらもどうすれば打開できるのか、手放すことができるのか全くわかりませんでした。


結果を出していくことで、「幸せ」に近づけると思っていたため、色んな本や動画で言われていた「結果が全てじゃない。それまでの過程が大事なんだ。」といった言葉に納得できず終いでした。


いやいや、確かに過程は大事だけど、結果を出さないと守りたいものは守れないし、食ってもいけないでしょ!と思っていました。


とっても大事なことに気づかないまま…









結果という幻


結果というものが幻であると気づいたのが今日です。(長かった)


結果の中にはコントロールできないものとできるものがあると思っています。


例えば、生まれていつ死ぬのか、他人の気持ちや評価、バズる動画や音楽等々。


そんな幻のような結果に自分の気持ちを左右されるのって勿体無いし、無理にコントロールすることをやめれたら良いなと思いました。


でも、やめ方が分からない。


結果を簡単に手放すことができない。


散々悩まされたこのことに対する一つのアンサーとは?









「結果」の手放し方


僕が今まで手放すことのできなかった結果を手放せるようになったのは、結果だけに着目するのではなく、結果に向かうまでの過程で、何を見たいのか。何を感じたいのか、どんな感情を得たいのか。ということを考えたからです。


例えば登山、高い山を登りっきった先にある景色が見たい。でも本当に登りきれるだろうかと自分は思う。


その山を登っていくと想像以上に道は荒れ、擦り傷や疲労感が満載の道のりが待っていた。


でも、頂上に着いた時の達成感や景色の素晴らしさは忘れられない。


もしこれが、どこでもドアで連れて行かれたなら、どうだっただろうか??


景色が素晴らしいのは間違いないだろう。


でも、その時達成感や喜びというのは自分で登った時に比べると少ないのではないだろうか。


「高い山から見る景色」という結果は同じだけど、「幸せ」の度合いは段違いだと思います。


なぜなら、僕は誰かに、頂上に連れて行ってもらいたいわけではなくて、自分の足でそこにたどり着きたいから。


そして、その道のりにある沢山の辛いことや楽しいこと達を思いっきり味わいたい。


でも、自分の経験上、その道のりで手抜きをした時は心から良かったと思えるものは手に入らない。


「結果が全てじゃない。それまでの過程が大事なんだ。」という言葉の意味をこの時に理解した。


結果が全てじゃない。と心から言えるようになるには、自分自身の力を出し尽くすしかないということ。








一回きりの人生


人生は一回きりで、気づけば歳をとり、気づけば死が近づいてくる、気づけば忘れられる。


そんな人生の中で、他人の目を気にしたり、やらない理由探しをしてしまうのは余りにももったいなさ過ぎると思います。


自分の人生に色をつけているのは自分自身です。


自分自身が自分を救い出すことができる。


こういう不安や悩みは何度も襲ってくるし、どうすれば良いのか分からなくなると思います。


でも、そんな時こそ自分自身と向き合って自分を救い出してあげましょう。


結果というしがらみを手放し、正々堂々ぶつかって行きましょう。


今よりもっと笑える2021年にしましょう。



僕も頑張ります。

それじゃ、またね。















この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?