🍥牛喃尾巴飯🍥
たったひと口で──過去の景色が蘇ることがある。
中学の修学旅行で訪れた横浜中華街。その混沌とした街の佇まいは少年の心をプスプスと射抜いた。それから数年が過ぎても憧憬の矢が胸に刺さったままの少年は、ついに故郷を離れ横浜で暮らし始めたのである。そして、事あるごとに──事なきときも、中華街を訪れるようになった。
むせかえるような香を焚いた雑貨屋、得体の知れない乾物が並ぶ食材屋、古今東西の剣や暗器を扱う謎の武器屋など、金がないのに暇だけを持て余していた私は、日がな一日、あてどもなくその街を歩きまわっていたのだった。
歩き疲れ腹が鳴って中華屋に入るも、どれもこれも値が張るものばかりで、若い私の財布ではランチタイムの麺類や牛バラ煮込み飯を注文するしか選択肢がなかった。
なかでも──牛バラ煮込み飯は、それまでの人生にはなかった甘い香りのたれが絶妙で、それが染み込んだ肉と米をれんげですくい、夢中になって食べたことを今でも──よく憶えている。
時は過ぎ、私も家族を持って、今では身軽に訪れることのできない──遠い街となってしまった。
2020年、新型コロナを契機に燻製と料理に傾倒していった私は、たまさか持て余した牛バラ肉の調理法を検索し「牛喃煮込み」という中華料理に辿り着いたのである。
唯々諾々とレシピに従って完成したそれをひと口食べ、思わず私の目頭は熱くなった。
それは、あの時の、牛バラ煮込み飯の味そのものだったのです。
いけない。興奮のあまり江戸川乱歩の文調になってしまったのです。
それはさて置いて、忙しない日々に埋もれていた中華街の記憶を掘り起こした甘い香りの正体──それは、スターアニス、八角であった。
それ以来、牛喃飯や滷肉飯。中国のベーコン腊肉など、八角が香るものを作って食べては、何もなかった──ひとり中華街を歩いたあのころが蘇って、胸が切なくなるような、郷愁に似た感情が尾を引くようになってしまった。
八角の香りで感情の尾が引くときには、さらに尾を加えて煮込むに限る。
もとは牛喃、つまり牛バラ肉の料理だが、そこに牛の尾も加えて煮込んでいく。うまいものに、うまいものを入れたら、もっともっとうまくなるにちがいない、といった、実に男臭い愚かな発想の料理である。
血抜きをしたテール、牛バラを茹でこぼしてから焼き、ひたひたの水に紹興酒を注ぎ、にんにく、生姜、ねぎ頭。そして八角を加えて火にかけ、灰汁を取り除く。
ねぎと生姜を取り出し、きび糖、醤油、オイスターソースを加え、落とし蓋をして煮込んでいく。
肉が「仕上がって」きたら、落とし蓋を取って、煮汁を好みの状態まで煮詰め、水溶き片栗でとろみをつけて出来上がりだ。
あの頃の味の決め手が、スターアニスだと発覚してから久々に作った牛喃飯+である。
バラ肉は口のなかでほどけていき、テールに至ってはレンゲ上で崩壊するほどに極上だ。そして、立ちのぼる八角の甘い香りは、混沌の街と、がらんどうな私を──やはり、想わせる。
愛おしいような、鬱陶しいような、なんだかヘンな気持ちで、またレンゲで皿をすくうのだった。
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