🍥ホタルイカの燻製🍥
スーパーにて、今期はじめて私の目がホタルイカを捕捉した。
私の凄まじい喜びが空気中に伝播し、周囲の商品や乳幼児などが宙に浮き、ゴゴゴ、と大地が唸りをあげた。
私は慌てて四股を踏み大地を鎮め、塩を撒いてその場を清めたのである。
嘘をついてしまった。
百歩譲って、突然の四股は許されるとしても、店内での塩撒きは威力業務妨害に該当するだろう。お縄を頂戴する可能性がきわめて高い。
塩撒き連行はさて置こう。スーパーに並ぶボイル済みのホタルイカは、酢味噌につけて食べるのが王道で至高だが、私は燻製家である。
燻製をせずにはいられない。
元大関である魁皇が左四つに組んだ途端に右上手投げで相手をぶン投げずにはいられないようにだ。
腕力はさて置いて、ホタルイカの燻製へ向けて下ごしらえをしていく。
まず、ホタルイカの眼球をくり抜…おっと…ホラーフリークの悪癖が出てしまった。ホタルイカの目を取り除く。
続いて、クチバシを取り除いてホタルイカを黙らせる。
最後に、軟骨を抜いていく。いささか骨の折れる作業だ。軟骨だけに。
イカのてっぺん「えんぺら」の先端からも取れるが、身を少し千切ることになるので、胴体のほうから引き抜いていくほうが仕上がりが美しい。
私は燻製家であると同時に、下処理愛好家である。ホタルイカの下処理や焼鳥の串打ちを黙々と行い、忘我に達したことは一度や二度ではない。
「手をかける」ということも、料理を美味しくするスパイスのひとつだ。手をかけずに済ませたい不精者は、滝に打たれ過去を省みるところから始めるのもいいだろう。
清酒と本味醂を煮切り、しっかり冷ましたら醤油を加え、ホタルイカを一晩漬け込む。
ん?割合だけじゃなく…分量も…だって?
その…ナニだ…Don't think, feelだ。
こう「みっちり」並べてみると、何とも禍々しく、どこかインダストリアルな風情もある。
見つめていると、進めど進めど辿り着くことのない無限回廊に迷い込んだような胡乱な気持ちに陥って「戻ってこれな」そうになる。長時間の凝視は避けておこう。
さて、燻製器の空気孔を全開にし、無限回廊をセットし、50〜55℃程度で15〜30分の温熱乾燥をかけ、燻製工程の結露対策をする。
次に、55〜60℃で1〜2時間の燻煙にかける。今回は、ミズナラにピートを少々加えた燻材を、2時間の間に3回加えた。
燻製の前後で、ホタルイカが4〜50%ほど縮んだのが下記の写真で如実に判るだろう。
これは、たとえばホタルイカが170センチの成人男性なら、85センチになるということだ。とはいえ、人生に揉まれ悪知恵を身に付けた成人男性など、身長が半分に縮まったところで喰えないだろう。色んな意味で。
ただ、ホタルイカのそれは、縮小、というよりも「凝縮」と言ったほうが正しい。その小さな身を齧ると、燻香とワタのうまみが口のなかで開闢し、思わず真っ昼間から酒を浴びるところだった。小さいくせに大の男を機能不全に陥らせる可能性のあるものは、オリーブオイルで封印するに限る。
3日〜1週間ほど漬け込むと、ホタルイカの燻香、にんにく唐辛子の香りが溶け込み、オイルの香りで胃袋を鷲掴みにされ、堪忍袋の緒が切れそうになり、お袋は仙台で息災に過ごしている。
その極上オイルに、潰したにんにくを追加して弱火で煮出し、燻製ホタルイカを加える。
醤油と茹で汁を少々加え、パスタと茹でた菜花をざっと和えたら完成だ。
フォークに練りわさびを少しつけてホタルイカと菜花、パスタを巻き込み、ビールで流し込む。
あぁ…
などと、語彙もへったくれもない嘆息しか出てこない。
ふと妻を見やると、ホタルイカを咀嚼しながらしばし瞑目し、突如としてくわッ、と眼を見ひらき、
「春ッッ」
と言った。
我が家は、今日も平和である。
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