🍥燻製クラフト辣油🍥
ついに──辣油が底をついてしまった。
燻製にした硫黄島唐辛子で作った、とびっきり辛くて美味い辣油だった。
逆さまにした瓶の最後の一滴が、皿へと落ちながら、
──いつかまた──作ってくれる?──
と、私に語りかけ、酢醤油に美しく咲いて、餃子とともに、胃のなかへ消えていった。
餃子とビールで膨れた胃とは裏腹に、私はひどい喪失感を覚えた。もう、市販のものでは──がらんどうな心と辛さに飢えた舌は満たせない。まだ口のなかに残る、じんじんとしたその余韻を感じながら、
──ああ....すぐに、逢おう──
と、私は呟いた。
気持ちの悪い文章はここまでだ。速やかに辣油を作っていこう。
せっかく作るのだから、辛いだけで風味に乏しい油や、風味豊かでも辛さに欠けるものではダメだ。とびきり辣くて、ビリンビリンと麻れ、風味ビャンビャンのやつがいい。
ちなみに、勢いだけで発したビャンビャンだが、念のため調べてみると、驚くべきことに漢字が存在していた。
過積載にも程がある。いくら何でも辶がかわいそうだ。こんな状態で公道を走ろうものなら、たちまちお縄で運転手の免許取り消しは必至だろう。
それはさておき、干してから燻製にして粉末にしておいた硫黄島唐辛子の秘蔵っ子がまだあるはずだ。
粉末にしてから優に半年は経っているが、しっかりと乾かし燻製にしてあるので大丈夫だろう。何よりも、ハバネロの4倍超と言われるスコヴィル値を持つ唐辛子なので厄除け効果は抜群だ。食品に害を及ぼす全ての要素を近づけないだけの国防力を備えている。などと偉そうに述べたが、すべて私のスコヴィル値信仰が齎す妄想なので、なるべく新しいものを使うのが無難といえる。
好みの薬味やスパイスを乗せたいので油はクセのないものを用意したが、ごま油等の「すでに香っている」ものを活かしてもいいかもしれない。
硫黄島唐辛子の残量がやや心許なかったので、皿台湾用に常備してあった粗挽きの韓国唐辛子を使ってみよう。花椒は半量を粗めに擂っておく。
清酒、醤油、五香粉、擂り花椒を除いたすべての材料を鍋に入れ、弱火にかける。
ゆっくりと低温から揚げ、香りを移していく。台所が複雑な香りに包まれていく。複雑ではあるが、どこか懐かしい匂いだ。通りがかった妻が「良い匂いだねえ」などと鼻をヒクヒクさせていたので「干し海老と八角が──キモなんだよ」などと通ぶって返答したが、すでに妻の姿はなく私はひとり赤面した。
ネギやにんにくが「すべてを出し切って」カラっカラになるまで、じっくりと煮出していく。ついでに、日ごろの重圧や鬱憤などといったぼてっとした湿っぽい感情も投入してカラカラに乾かして身軽にしていこう。
充分に風味を移したら、油を濾していく。ちなみに、八角を除いた揚げガラは、ラーメンや焼きそばに散らしたり炒飯の具にしたりと、料理に活用できるのでオススメだ。味付けして辣油と和え「食べラー」的に使うのも良いかもしれない。
あとは濾した油を再び熱し唐辛子に注いで完成だ。しかし、そのまま注ぐと唐辛子は焦げ、せっかくの香味油の風味も台無しになってしまう。したがって、唐辛子を水で湿らせて油を注ぎ、水分を蒸発させながら唐辛子を馴染ませるのが一般的なのだが、ここで前述の清酒と九州醤油を水の代わりに使い、焦げを防ぐとともに酒と甘みの強い九州醤油の風味も移す方法だ。これは中華料理の巨匠・菰田欣也さんのアイデアで、素晴らしい風味がつくので辣油自作家たちには是非試していただきたい。九州醤油がない場合は、醤油に本みりんを足してもいいかもしれない。なお、菰田氏の受け売りで五香粉を少々混ぜ込んだが、香味油の工程で粉ではなく粒スパイスのまま煮出すのもありだ。
最後の仕上げは野外で行う。屋内でも可能だが、眼球や呼吸器に危険が及ぶので、家族の退避と充分な換気は必須だ。
蛇足だが、ブートジョロキアを「みじん切り」にしただけで、家族の咳とくしゃみ、そして眼の違和が発生したことがある。一般家庭では、スコヴィル値の高い唐辛子の扱いは屋外のほうがいいのかもしれない。
よく馴染ませたら、残りの油を注ぎ優しく全体をかき混ぜる。あとは冷まして完成だが、悪夢のようなグラグラ地獄が、次第に凪いでいくさまを眺めているのも風流なものだ。辣油を眺めながら、今までの人生を総括し悔い改めておこう。
出来上がった辣油を人差し指につけて舐めてみると、舌が「ぎゃッ」と叫び、その痛みが馴染んでくるとともに複雑玄妙な旨味、香りが口のなかに拡がっていく。
──よう──待たせたな....
──そろそろ来るころかと──思っていたところよ....
再会を果たし、言葉を交わしながら瓶に注ぐ辣油は、血のように妖しく、艶かしかった。
辣という字には、からい、きびしい、のほかに「色気」のような隠語で使うこともあるようだ。これは、辛い=hotという、東西隔てのない共通概念と言える。
もし、辣油を擬人化するならば、辛辣で、味わい深く、艶やかな辣油は、私にとっては女性である。
それも、とびきり最高の女なのだった。
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