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ある、だから、なる。

タイミングだなと思った。五つ葉さんとこのマガジンを始めたのがついこの間の出来事。

Alexandrosの新曲が同時に発売になった。

メンバーが脱退するそうだ。ボクには何かを祝福するようで清々しい朝を思い出させる。

彼らの楽曲に出会ったのはいつだったかな。5年ぐらい前、Snow Soundを聴いてファンになったことを覚えてる。

どの曲も疾走感と渇きがある。それがボクの思うAlexandros。反骨精神とわがままを体現してくれる存在。

彼らほど歌詞を端から端まで走るアーティストはいないと思う。

ファンの方には申し訳ないが、彼らは大ヒット続きのアーティストではないと思う。ワタリドリ以降、目立った印象はなく他のアーティストに埋もれた気がする。

もっと表に出てきてもイイはず、どれも悪くない曲ばかりなのに。そう思っては新曲を待ち望んでいる自分がいた。

そんな時、今回ばかりは運命的なものを感じてしまった。

このマガジンのタイトルは「風の速さで」だ。

もしかしたら、今、自分たち(五つ葉さん含め)が出発し始めた、この先にある「ここ」ではない、だけど同じ「ここ」へと方角が向いてる。そんな気がするんだ。

”仕事も生活もなんとなく揃ったよ
あとはもう一生それ続けるだけ?”

負け続きにピリオドを

今まで幾度なく人生を振り返ってきただろう。

先日の五つ葉さんの投稿にも、吐露するように過去の出来事が綴ってあった。

何がしたいのかは分からない。どこに行きたいのかも分からない。だけど一つだけ確かなのは、「このままはいやだな」ということ。それは、中学生の頃からずっと感じていたことだった。
私の思春期と青春時代。今のままは嫌だと思いながら、目標も見つけられず、生意気な諦めや絶望的な不安が混ざったモヤモヤを抱えながら、とりあえず「今」をそれなりに楽しむだけ。
将来の夢や自分の好きなことを語る同級生たちは、私の目に眩しかった。自分はつまらない人間だと、いつも心の中では下を向いていた。

気持ち、まるで自分だった。

今まで同じ想いで傷ついてきたから。だから、ボクが書いたnoteで誰かが何かをきっかけに救われる人がいたらイイな、そう思って書いている。

”荒れ果てた
言葉だって
痛みを知ったぶんだけ
優しく強い歌になれるよ”

そう、疲れるんだよな。いつまでも同じ想いで自分が苦しめられていると、きっとどこかで気づく。ループしている自分に嫌気がさす。だから別の道を探し始める。

今となっては、そんな自分自身を客観視する余裕なんてなかった。でも、それで良かった。

悩んだ分だけ財産になる。悩んでイイ。それが一つの答え。

この正解にたどり着いて視野が増えた、景色が広がった。周りを比べることもなく、等身大の自分でいられる。そう思える自分にも気づけるようにもなった。

”さよなら いつか
愛しい日々は
流れて 霞んでいく
それでも いつか
来る日々に
心を躍らせ”

Dance in the sky

いつだったか、負け犬の定義を作った。今までの自分自身を肯定する意味があった。それと、今後万が一打ちのめされる時があった時のために防御策として用意しておこうと思った。

負け犬のルール
1 負け犬は既に負けているので奢らない
2 負け犬と呼ばれた時点で真に負けているのは相手だ
3 負け続けた分だけ優しくなれる

自分で最低価値を底上げできることほど最強はないと思う。

勝手だけど、歌にも似たような力はあると思ってる。だからこんなにも歌詞や曲に頼れるんだろうな、なんて。

もっともっと自分ルールを作っていきたい。それはわがままなんかではなく、自分自身を救うイケてる行為。そして、自分自身を救うことは同時に誰かを救えることにつながる。

[ALEXANDROS]も同じような想いで曲を作り続けてきたのかと思うと、勇気がもらえる。

見た目や振る舞いは大人に、気持ちは青春のまま。

そんな、けじめにも似たこの歌と出会えたことに感謝を覚える。

”風になって
風になって”

僕たちはカオスな荒野でしなやかに舞う、風のように。


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