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愚直に、これがオレたちのやり方

高校生の頃、音楽に目覚めた時期。大切な瞬間だった。

何事も同年代の人間より一歩か二歩ぐらい遅れるボク。何故なのかは知らないけど。

だから高校2年生になって、周りの男子がAKBやEXILEに華を咲かせている中、ボクはようやく音楽というものに挨拶を済ませたところだった。

出会いのきっかけは映画を観た時にエンディングに流れた洋楽。最高にハイになった気分だった。

そこからだ。ボクは音楽に脳の半分以上は容量を持っていかれた。しかも周りに合わせることなくラウド系やロックを中心に洋楽でどっぷり浸かる。

そんな感じだから、自分にとっての旬が固定されてしまって、音楽の話題になるとたちまちに話が噛み合わなくなる。

「アイドル?は、何言ってんだオメェ」
ボクがキレる。

「ロックを聴いてからオレに話題ふってこいやボケ」
ボクが話をぶった斬る。

今になって思えば若かったと思う。あれだけ毛嫌いしていたアイドルを聴くようにもなったし、そういう意味で言えば大人になったかな。

でも、だ。それもこれもボクにとっての、音楽の境界線を形作ってくれたアーティストはただ1人なんだと。

日の丸を掲げた若人は異国の言葉で語りかけてきた

高校で知り合った(今となっては腐れ縁)友人のお姉さんが全ての始まりだった。

ボクが音楽に目覚めその友人に熱弁していると、「洋楽が大好きならコレ聴いてみて」友人のお姉さんにボクの話が伝わり、音楽に詳しいお姉さんからアルバムを手渡された。

それまで邦楽を一切に耳にしてこなったせいもあるのか、聴いた瞬間に、コイツはスゲェ!が頭の中を駆け巡った。

曲の頭からノイズをバリバリに、歌詞の英語は中途半端に覚えた発音。曲も歌詞も発音もどこか完成を目指している途中の未完成な状態。それがこんなにも眩しい。

「これがカッコいいなんだ。」直感した瞬間だった。

繊細さとか奥ゆかしさとか、そんなもの微塵もないけど、全てを突き破るほどの真っ直ぐな野心が確実に、当時のボクの中にあった、何か気付いて欲しい部分に直撃した。

正解か...とりあえず決着はオレたちで

貸してもらったアルバムは彼らの四作目、どれを聴いても暴れん坊。檻の中から飛び出ることを命じられたライオンに思えた。

当時のボクの正解は彼らだった。どこにも縛られないロックを堂々と唄うその様が高校2年生の青春であり、ボクの世界を表現していた。

当然だけど、歌は時代によって変わる。歌詞も曲調も。だからその時代によってトレンドとなる曲がその時代の正解みたいなものになったりする。

ここで、音楽が商業なのか芸術なのかという話はしない。ボクが言いたいのは、そのもっと奥深くにあるだろうとするモノ。

人が必ずしも通るであろう思春期や失恋、そういう目に見えない、けれど絶対に近い瞬間は誰しもどこかで思い出す。

ただ、その瞬間に正解の二文字を入れるかどうかはその人次第だ。その上でボクは正解した。そして感じた。彼らの音楽は青春にあると。

早過ぎた高校生

平成から令和にかけて一向に勢いの衰えを知らない彼らの音楽。別にボクだけの音楽でないことは承知しているが、年々と地位を確実に確立していく姿をみると、駆け出しの頃だった彼らの音楽にもう一度を願ってしまう。きっとボクの青春なんだろう。

でも、まだ彼らはそこにいる。ライブに行こうと思えばいつだって行けるし、アルバムだって買える。メディアの露出度は低いけど、ラジオにだって出る。

もうあの頃の彼らに会うためには、昔のアルバムを聴く以外に方法はない。きっとタイミングが良くてその上に努力が実ったおかげなんだろう。なんだか手の届かない場所に彼らは行ってしまった。

けれど彼らはそこに青春と呼ぶ正解を置いてきた。事実だけがそこにある。でも、目に見えるものを選ばないことぐらいボクは知っている。

耳が覚えてる、彼らの音楽がすぐそこで鳴ってる。空気に近い存在でいつも叫んでる。
声にならないほどに空へ向かってココにいるよって。

“今日も君は信じること
忘れずに目覚められていますか?”

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