見出し画像

【122】誰にだって居場所を欲する権利はあって、そこに小さなプライドみたいの持ってもいいんじゃないかな

フルタイムフル出場。連続出場記録。

スポーツの世界では輝かしい記録となるもの。プロの世界で常にコンディションを維持して、監督やチームの信頼を得ながら、しっかりと結果を出し続ける。
アスリートの生き方は過酷だ。競技人生もさほど長くないから。野球やサッカーにしても40歳を越えて現役はわずかになる。

ましてや、フルタイムフル出場なんてごく稀なことだ。
常に第一線でいる示し方は、アスリートだからこそ。私たち一般人にとって(社会人)の存在証明ってなんだろうって考えたんですね。

どうしたって、今この世界中に広がるウイルスの影響を受けない人はほとんどいないと思う。
こればかりは避けて通れそうもない。
まずは大前提に命を守る行動を取ることだよね、ホントそれは一人一人の力があってこそだから。

個人的にも、ちょっと仕事のボリュームが減ってしまい、このところは休みも増えた。
仕方ないの一言では片付かないけど、まずそこは足並み揃えないとなぁってところ。

こうやってまた連続フルタイムフル出場が途絶えた感覚がした。
4月から1年、しっかりと勤めを全う出来ることを連続フルタイムフル出場とするなら、それはなかなか困難になってきている。
それは美学とか『こうあるべき』とか、そんなことは言うつもりはないよ。

昨年4月からの1年も結果的に転職を重ねたこともあり、年間通して仕事はしていなかった。
その前はどうだ?と思い出すと、鬱による休みを1週間取った。
その前の年も退職やらでそうも行かず。
35歳あたりから、アスリートで言うベテランの域に入ったからなのか、ここで言う連続フルタイムフル出場はしていないんだよな。

若い頃は誰とも馴れ合わず、しっかりと仕事をやりきることを自分のやり方としていて頑固になっていた。

人に頼らず(頼るのが下手なのか、そう出来る人がいなかったのかは微妙)、仕事は抱え込みながら。それなのに、まわりのことも気にしながらだから引き受けて《いい人》であり続けて、見えない誰もいない時間から会社に残り仕事をしていた。
帰りの時間は毎日終電。戸締まりして職場から帰るのが当たり前になっていた。しかも、休みの日でも仕事に行ってたから《スタイル》なんだと思い込んでいた。

そうやって独り善がりになって、自分だけは違うって思いこんでたかも。

そのときはそれで、自分が満足していたから良かったのかな。それでも。

でも、家族との時間はどんどん減って行ったし、敵もたくさんつくっていったかなって感じてる。だから、すごく人間関係に苦労した。

連続フルタイムフル出場するって本当に大変だ。世界は比べるに値しないけど、一流アスリートってスゴいよな。

学生の頃の部活仲間であったり、職場仲間であったり、今いる世界においてもやはりどこにでも【コミュニティ】は存在する。

属することを望まなくても、人間でいる以上は完全一人ってことにはなり得ない。
人と関わるのが苦手、嫌いって言っても完全自給自足の完全なる無人島じゃないとそれは叶わない。

生きてくには一人では生きていけない。

だから、1つの《お題》や趣味のもとに集うコミュニティってものが存在している。
皮肉でもなんでもなくて、それは《拠り所》なんだよね。
だから居心地良くて、安心出来る場所になる。
オンラインだろうと、オフラインだろうとね。

居場所を欲するのは誰とて同じだと思う。
コミュニティにいること、逆にそこから離れている距離感に居心地のよさを感じたり。そんなのって人それぞれだ。

輪の中心に居たがる人もいるし、常に注目を浴びていたい人だっている。

【居場所】=【居心地のいい場所】

最近はそんなふうに考えているんですね。今でも、たまに世の中や好きなことの流れから遅れを取っているんじゃ?って思ったりして孤独感に浸ることもあるけど。でも、そんなのって自分の中で解決できそうなことだなって、そういう風に思うの。

【コミュニティ】=【集まり(群れること)】

なんかじゃなくって。

どちらかと言えば、

【コミュニティ】=【共感の集合体】

かなって思ってて。『この指とまれ』って集まるのではなく、共感の気持ちをシェアしあえるのがコミュ二ティの価値なんじゃないかなって思う。

だから、グループのような目に見えるものを創り上げるよりもシェア出来る方がいいなって感じていて、《同じマインド》の共感があることが前提だけど、個々の繋がりが大切なことなんだろうな。集団ではわかりあえない微かなズレでさえも個々(1対1)の関係性ならしっかりと繋がって行くんだろう。

複数名を一か所に集めることをしなくても、共感は連鎖を生み出す。

だから、不必要にコミュニティをつくる必要性はないんじゃないかな。下手すれば依存度が高くなりコントロール出来なくなるし、勝手な孤独感や疎外感を感じてみたり不健全な気持ちにもなる。

民主主義の多数決じゃないけど、人数が多いコミュニティが幅を利かせようとするならそれは間違いだろう。大いにしてそんな光景はどこにでも見られるけどね、常連さんが新参者を受け入れない感じ。

これは、きっと居場所を守るための防衛本能なのかな。人間の弱さってそんなときに出るよ。群れている仲間のおかげで強くなった気持ちになっているかもね。



こんな皮肉を言いたくてnoteを書いているんじゃないや。

コミュニティ批判じゃなくって、ただの人数集めで膨らんだ集まりなんかじゃなくって、意味のあるコミュニティにするならまずは個人のマインドをしっかり持って入れたらいいよねって感じている。その為には、共感できる個人をまず見つけてみると良い流れになりそうじゃない?

ハートで共感出来る人が見つかって、その人を大切にしていたらきっと共感の連鎖で価値のあるコミュニティになるって。

このときのnoteにも書いてあった。まず、自分自身を突き詰めることが出来ないとって。やや偏っているかも知れないよね。他人のことは受け入れろよって言われそう。でも、自分を受け入れられない人は他人を受け入れられないから。
信念持って突き詰めるときっといいことが生まれるんだと感じている。
きっとそうなんだろう。

働き方も見直しが急務だ。
時間をかけて会議をしたり、出勤したり、そんなことが不要だったりもしているから。
本当に必要なものがチラチラ見え始めている。そんなときにただ前からやっていたからと凡例主義の流れで前と同じことをしても仕方ない。

もう時代は元通りには戻らないんだもん。
業種は関係なく生まれ変わらないと。

意味のあるものことをつくる。または、既存のものに本当の意味とか価値を持たせる。
当然、自己満足じゃない。相手が欲してるものはなんなのか?突き詰めてかないとね。

無駄を省く世界になる。わざわざ(敢えて)無駄を醍醐味と言う意味を持たせない限り、先ずもって共感することは1つのキーになるよね。
それを持たせてシェア出来たら、いいコミュニティが出来て、いい仕事、いいチームが生まれるだろうなぁ。

以前より《考える》ことにはなるけど、考えただけに結果や効果を感じるとたまらなく刺激になりそうだ。
待っていてもはじまらない。
どんどん仕掛けて行くときがすぐそこまで来ているかもね。



本日も最後までご覧頂き、ありがとうございました。
また明日。

サポートして頂けるなんて本当に感激です。その気持ち、そのひと手間に心から感謝します( *´艸`) たくさんのnoteから見つけて下さりありがとうございます!!