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たゆたえども沈まず?パリ五輪の国旗解説

直前に予告したオリンピックのパリ大会開会式での国旗解説。日本時間では深夜〜早朝だったにもかかわらず、常時10名前後の視聴者がアクセスしていてくださったようで、ありがたい限り。

今回は東京大会の時のようにずっと前から準備していたわけではなく、日本旗章学協会の先月の会合で話が出て急に決まった。みな忙しいなか、なんとか形にできたのは前回の経験があったことが大きい。

タイミングの悪いことに、わたしは別で締め切りのある仕事に追われていたのでほとんど準備に時間が割けなかった。国の割り当ても、雑談みたいに臨機応変で対応するからと、他のメンバーに任せっきり。結果的に、わたしの割り当て部分は連続しての何ヶ国かの塊ということになった。

東京大会の時に用意したネタ帳を傍にアドリブで話すことにした。わたしのわがままにうまく対応してくれたメンバーの皆さんには感謝するばかり。

さて、このパリ五輪の開会式は前代未聞のスタジアム外での実施で、選手団はセーヌ川をくだるボートでの入場となった。

入場順はおさえていた前情報のとおりだったが、ひとつのボートに複数の国の選手団が乗っていたりして、時間配分には悩まされた。さらに合間合間にパフォーマンスがはいっていたので、予期せぬ待ち時間が発生したりと、国旗解説のライブ配信者泣かせこの上ない。

パリ五輪公式サイトのスクリーンショット

あまりきちんと観られなかったけれど、開会式の演出自体はとても斬新で、フランスが革命を経て自由を獲得した歴史を踏まえた興味深いものだった。混沌とした演出には多くの皮肉とメッセージも込められていそうだ。しかしここではセーヌ川をくだって入ってきた選手団の国旗に着目して書く。

ボートでの入場は歩いての入場よりもスピードがあるので旗がよくなびく。ライブ配信でも声があがっていたが、この旗の見やすさは大きなメリットだった。

歩いての入場、とくに無風のスタジアムでは、旗が旗竿にからまったり折れ曲がったりして全体のデザインが見えづらいことが多い。旗が動くなか、一瞬見えるデザインの細部に注目せざるを得ない。それがおよそ200ヶ国も続くとなると、トータルのストレスたるや相当なものだ。

その点、今回のボートでの入場で翻る国旗の数々の見やすさは感動的ですらあった。

配信のはじめに、メンバーそれぞれからの注目ポイントが出された。わたしはタリバン政権のアフガニスタンがどんな旗で来るのかを挙げた。タリバン政権は白地に黒で信仰告白シャハーダを書いた旗を国旗としているが、その新政権を認めている国はない。

この毎日新聞の記事のように、旧政権の国旗だった。しかも、いくつかバリエーションのあるアフガニスタン国旗のうち、国章が中央の赤い帯におさまったものだった。これは東京大会の時と同じ。

なお、前政権時には国章が大きくはみ出したバージョンが政府のウェブサイトに公式デザインとして紹介されていたし、大統領の背後にもその旗があった。わたしも書籍にはそのバージョンを採用している。それにしても、現政権のタリバンはよくこれを許したものだと思う。考えようによっては、難民選手団のように五輪旗で入場するとか、台湾のようにオリンピックのためにデザインされた旗で入場するという可能性もあったからだ。

ほかに、張り合わせでつくることになっている国旗はほんとうに張り合わせられているのか、旗手のものではなく選手が個別に持つ小さい旗がどうなっているのか(とくに縦横比)、細部のデザインが不明だったりバリエーションのある国旗はどのデザインで来るのかといったポイントが挙がっていた。

なお、東京大会で見慣れない龍(細部のデザインが異なる)の旗が使われたブータンは、その東京大会と同じか近いデザインを使っていたようだ。以下、ふたたび毎日新聞ウェブサイトより。

この記事にあるように、ボートも小さいものから中型で複数の国の選手団が乗ったもの、はたまた豪華客船のような規模で大選手団が乗ったものなど、いろいろあって、その違いも興味深い。ボートの違いはキャパシティなど現実的な理由でそうなったのだと思うけれど、ともすれば国によって格差がついたような演出と捉えられかねず、よく実現したものだとも思う。

セーヌ川をボートでくだる選手団の入場について、その計画が公になったとき、とてもパリらしいと思った。前回の告知noteでも書いたように、否応なしにパリのモットー「たゆたえども沈まず(ラテン語:Fluctuat nec mergitur)」を連想させるからだ。これはパリ市章にも描かれている。

古い記事(2020年12月)だけど、オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーのオーナー、ラムダン・トゥアミ氏がつくった書籍にあった、さまざまなパリの街角のパリ市章に因んで、この市章について書いていた。

このパリっ子のアイデンティティにもなっている「たゆたえども沈まず」は、原田マハさんの同名の小説(下記リンク:Amazonアフィリエイト)でも、登場人物による興味深い解釈とともに説明されている。ちょっと長いけれど引用しておく。

「そう。・・・・・・たゆたえども、パリは沈まず」
 花の都、パリ。
 しかし、昔から、その中心部を流れるセーヌ川が、幾度も氾濫し、街とそこに住む人々を苦しめてきた。
 パリの水害は珍しいことではなく、その都度、人々は力を合わせて街を再建した。数十年まえには大きな都市計画が行われ、街の様子はいっそう華やかに、麗しくなったという。
 ヨーロッパの、世界の経済と文化の中心地として、絢爛けんらんと輝く宝石のごとき都、パリは、しかしながら、いまなお洪水の危険と隣り合わせである。
 セーヌが流れている限り、どうしたって水害という魔物から逃れることはできないのだ。
 それでも、人々はパリを愛した。 愛し続けた。
 セーヌで生活をする船乗りたちは、ことさらにパリと運命を共にしてきた。セーヌを往来して貨物を運び、漁をし、生きてきた。だからこそ、パリが水害で苦しめられれば、なんとしても数おうと闘った。どんなときであれ、何度でも。
 いつしか船乗りたちは、自分たちの船に、いつもつぶやいているまじないの言葉をプレートに書いて掲げるようになった。
 ーたゆたえども沈まず。
 パリは、いかなる 苦境に追い込まれようと、たゆたいこそすれ、決して沈まない。まるで、セーヌの中心に浮かんでいるシテ島のように。
 洪水が起こるたびに、水底に沈んでしまうかのように見えるシテ島は、荒れ狂う波の中にあっても、船のようにたゆたい、決して沈まず、ふたたび船乗りたちの目の前に姿を現す。水害のあと、ことさらに、シテ島は神々しく船乗りたちの目に映った。
 そうなのだ。それは、パリそのものの姿。
 どんなときであれ、何度でも。流れに逆らわず、激流に身を委ね、決して沈まず、やがて立ち上がる。
 そんな街。
 それこそが、パリなのだ。

原田マハ『たゆたえども沈まず』より

なお、この小説は19世紀後半のパリの美術界とゴッホ兄弟、日本の画商の物語。フィクションながら当時の美術界と絵画にまつわる人びとの生き生きとした姿がとてもリアルに描かれている。

もしかしてパリ市章も開会式で見られるかも、と思って、ライブ配信の裏方担当者には市章いりのパリ市旗の画像も用意してもらっていた。結局それを表示することはできなかったので、このnoteで触れておくことにした。じつはライブ配信時には、念のため傍に『たゆたえども沈まず』の文庫本を置いて臨んでいたのだ。

先に述べたように、開会式の入場行進はボートでの入場となり、各種パフォーマンスと聖火リレーのなかに切れ切れに組み込まれる形だった。

この斬新なスタイルは、旗がとても見やすいというメリットがある反面、時間配分がまったく読めず、配信側泣かせでもあった。

実際、アドリブで言わなくても良かったかと思えることを話してしまった部分もあるし、不正確な内容だった箇所もある。深夜〜早朝という時間帯も相まって、あたかも荒れるセーヌ川を航行する小舟に乗って這う這うの体で解説をしたような気分でもある。

なんとか無事に終了はしたので、まさに「たゆたえども沈まず」の心境だ。

開会式自体も、クライマックスの五輪旗掲揚で大きな失態があったようだ。これはわたしたちが配信を終了してからのこと。ここまで見届けていたら、絶対に話題にしたと思う。以下のリンクは、日刊スポーツの記事。

ライブ配信のなかでも、幾度となく国旗の上下左右については言及していた。英国旗などは一見してわかりづらいが、意外とこの逆さま掲揚のケースがある。国旗解説を聴いていたかたで、「あの人たちが言っていたのはこういうことか」と納得されたかたもあるかもしれない。

上下のある旗を掲揚する際、紐をかける場所を間違えないよう金具の形状や色を変えておく対策がとられることもある。パリ大会ではそこがおろそかになっていたのだろうか。悪天候だったことも影響したかもしれない。

しかし兎にも角にもオリンピックは無事に開幕した。開会式担当者、とくに五輪旗掲揚の当事者にとっては、まさに荒れるセーヌ川を航行した心持ちだったことだろう。

出だしこそ“揺蕩たゆたう”ことになったパリ五輪。「たゆたえども沈まず」のとおり、沈むことなく成功裡に終わってほしい。

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