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ハンロンの剃刀とパワハラ研修

最近知った言葉に「ハンロンの剃刀かみそり」がある。反論ではなくてハンロン。

ハンロンノカミソリ・・・はんろんのかみそり・・・波无呂无乃可実蘇里・・・なんとなく聞き覚えのある響き。もしかしたらずっとずっと前にどこかで聞いていたのかもしれない。カタカナのハンロンではなく”反論”として認識して、「剃刀のように鋭い反論」みたいな誤解をして流してしまったか。じゅうぶんにありえそうだ。

Wikipediaによると、ロバート・J・ハンロンという米国人による発言に由来するらしい。あの『マーフィの法則』に対する投書(それこそ反論?)がきっかけだとか。

マーフィの法則って、わたしが子供のころに流行ったやつだ。トーストを落とすとかならずバターを塗った面が下になるとか、なぜか嫌な予感が的中してしまうアレ。

ハンロン氏の文を読んでいないので推測なのだけど、Wikiの説明からすると、マーフィの法則に出てくるジョークは「考えすぎ」なんじゃないかという意見だったようだ。

無能で十分説明されることに悪意を見出すな
Never attribute to malice that which is adequately explained by stupidity.

Wikipedia「ハンロンの剃刀」より

これに似た言説はほかにもあるそうだ。英国のジャーナリスト、バーナード・インガムは「陰謀論より失敗論(cock-up before conspiracy)」としている。こちらのほうがわかりやすい。

ジャーナリストの多くが、政府による陰謀論に陥ってしまっている。だが、素直に失敗論として報じた方がより正確な仕事であろう。
Many journalists have fallen for the conspiracy theory of government. I do assure you that they would produce more accurate work if they adhered to the cock-up theory.

これもWikipedia「ハンロンの剃刀」より

「ハンロンの剃刀」は、ロシアによるウクライナ侵攻のあと、あれやこれやとネット上で交わされているやりとりのなかで出てきた。

ウクライナ危機は、そもそも侵攻したロシアが悪い。偽旗作戦、無差別攻撃、戦争犯罪、どこをどう見てもロシアが悪い。映画のなかのわかりやすい悪役のように悪い。

それでいて戦闘では残虐行為の証拠を残したり、上官レベルの戦死者を続出させたり、通信が傍受されていたり、旗艦が沈没したり、渡河作戦で壊滅させられたりと軍隊として冴えない報道がおおい。これまた映画の悪役が墓穴を掘っているかのようだ。

戦術・戦略があまりに杜撰で失敗しつづけるロシア軍。あのロシア軍のこの体たらく、いやいやきっと何か特別な理由があるはずだ・・・という憶測が流れていた。化学兵器や核兵器をつかう布石なのではないか。はたまたロシア内のクーデターを指示する暗号になっているのではないか。そういった見かたが出るのも頷ける。

やがてロシア軍の士気の低さや旧式の装備などがあきらかになって、これは単にロシア軍がダメなだけなんじゃないかと言われるようになった。まさに愚かさで説明できる「ハンロンの剃刀」になっている。

最強だと恐れられていたロシア軍がダメダメだった。大国の軍隊でそうなのだから、政府、地方行政、そして官民を問わずすべての組織で、現場であれ上層部であれ、優秀なことが前提だとは考えてはいけないものなのかもしれない。

「ハンロンの剃刀」は、そんな教訓のように聞こえはじめる。

先日、職場でハラスメントについての研修があった。弁護士の講師を招いての、いくつかの類型についての説明とケーススタディ。研修の目的は、適切なハラスメント意識によってより良い労働環境を実現すること。いくつかの事例説明のなか、いわゆるパワーハラスメントで職位の上下によらないものとして、部下から上司へのパワハラ事例が紹介された。

うろ覚えなのだけど、その概要は以下のとおり。

 登場人物は異動で着任したばかりの上司Aと、勤続10年のベテラン社員B、そして2年目の社員C。
 Aは、仕事に精通しているBに会議資料の準備を依頼。しかし多忙なBは対応せず、会議の直前になってから「忙しいのでCさんに手伝ってもらってください」と連絡があり、結局Cが用意した。AはBに対して「忙しいのはわかるけど、もうちょっと協力してくれないか」と言い、Bは「私も忙しいので、そのぐらい自分でなさってください」と返した。
 さらに別の会議の場で、Bは上司Aに「そんなこともご存じないのですか。業界の常識なのに。管理職でいらっしゃるのだからもっとしっかりしてください」と言い放った。

たしかこんな内容だった。この事例から、ハラスメントにあたるのはどこかを考えましょうというのが研修の内容。直前に提示された類型にあてはめると、他人の前での個人批判はアウト。この場合は経験の長さや知識量から部下のBが上司よりも優位に立つので、その優位性を背景にしたパワーハラスメントにあたるとのことだった。

この事例についてオーディエンスからも意見を聴くということで、わたしが指名された。もちろん「Bさんが悪いと思いまーす」なんて小学校の道徳の授業みたいな感想を述べるつもりはない。

「この事例では、Aさんの指示には具体性がなく、マネージャとしての資質に疑問を持ちました。ベテランのBさんが声をあげるほどに無能だったとしたら、類型に当てはめてBさんをハラスメント加害者として処分するだけで良いとは思えません。ほんとうに職場環境の改善につなげるには、ハラスメントが起きた背景について掘り下げて議論する場が必要かと思います」

わたしは、慎重に言葉を選びつつ、このように感想というか意見を話した。アンチテーゼや逆張りのつもりはなく、ほんとうにそう思ったのだ。

ハラスメントを口実に権力者が恐怖政治を敷くことだって可能なわけだから、表面的なハラスメント認定には危うさがある。ここまでは言わなかったけど、上司が無能であること自体が優秀な部下に対するハラスメントにあたるんじゃないかとも思っている。

講師は「鋭いご意見」と受け止めてくれたうえで
「この事例は簡潔な表現にしたので曖昧な指示かのように聞こえたかもしれません」
とし、
「おっしゃるように、上司の資質の低さが目に余る場合は懲戒処分の際に考慮されることもあるかと思われます」
と答えてくれた。

講師は弁護士なのでいろいろトラブルの実例を知っていそうではある。ただ、実際に弁護士が関わることになるのは相当なことだ。たいていはその会社の規則にしたがって、始末書を書かせたりするのにとどまる。背後関係にまでじゅうぶんに考慮した処分について、弁護士はいったいどれほどのケースを知っているんだろうか。

研修のこの事例のベテラン社員B。仮にハラスメント認定されて処分を受けたとしたら、その後どうするだろう。無能な上司Aに従い続けて仕事の効率は落ちないだろうか、部署全体のパフォーマンスに影響はないだろうか。そもそも不満を抱えてモチベーションが維持できるのか。馬鹿馬鹿しくって辞めちゃわないだろうか。

研修は全部で1時間。セクシャルハラスメント、マタニティハラスメントなどほかの事例も同様に紹介された。それぞれおなじようにオーディエンスの感想や意見を聞いて、講師が類型をまとめて終わった。

研修が終わってから、何名かの同僚から、わたしの意見に賛同すると反応があった。おなじように考えている同僚がいたのは救いだった。

無能の存在仮説とも言えるハンロンの剃刀。陰謀論より失敗論。優秀な部下によるダメ上司に対するハラスメントにも、ハンロンの剃刀が潜んでいる。

ある規模の集団の、ある程度の意思決定権をもつ層にも、職位が不相応なほどに無能な者はいる。かならずいる。わたしはべつに会社がそうだと言っているわけではない。いわゆる2:6:2の法則みたいな一般論として言っている。2世議員3世議員の多い政府しかり、天下りの多い公的機関しかり、コネ採用の多い企業の経営者しかり。どの組織にもこういった側面は多かれ少なかれある。

ハラスメントの案件は、悪意をもった嫌がらせであればしっかり対応しなくてはならない。それはそれとして、それまで問題のなかったベテラン社員がなんらかの問題行動を起こしたとしたら、やはり原因究明が必要だ。表面的な部分をスケープゴートにするだけでは、組織を崩壊させる癌が進行する。対症療法ではいけない。

対症療法と書いて気がついたけど、医学分野の基本的な考え方はハンロンの剃刀と共通する。症状の治療は必要だ。しかし根本的な治癒には、その症状を起こしている原因を突き止めなくてはならない。医学だけでなくサイエンスもそう。実験データや観察結果の客観的な評価が、本質の解明につながる。なぁんだ、よく考えたらハンロンの剃刀って研究者の思考法そのものじゃないか。

ハンロンの剃刀の考え方は組織の問題発見装置になる。この考え方のできる研究者こそ、組織運営のトップにいないといけないんじゃないだろうか。

パワハラ研修以降、いろいろと考えてこんな結論にたどり着いた。わたしも研究者の端くれだけど、あれこれ考えることは好きなので、陰謀論に陥ってしまいそうで怖い。冷静な視点を忘れず、これって「ハンロンの剃刀」じゃないか?と自問できるようにしないと。

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