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パン好き書店好きの憂鬱

先月、10日ほど日本を離れていて、その間に行きつけの近所のベーカリーが閉店していた。どうしたことかそれは本当に唐突で、すぐには気づけなかった。狐につままれたような不思議な感覚だ。

帰国後にいつもどおりそのベーカリー(と同じ場所にあった店)でパンを買ったのだけど、どうも様子がちがう。買って帰ったバゲットを切ってはじめて、その違いに気がついた。グルテン膜、あのおいしい穴﹅﹅﹅﹅﹅(※)がない!実際、その味はかつてのものとは雲泥の差。そして思い返せば、店内の配置が以前とは違っていたし、レジ作業の進め方も違っていた。たぶん店員さんも違っていた。店員さんには狐の尻尾が生えていたかもしれない。

※参考までに、以下のリンクは「一日一画」より、そのベーカリーのバゲットの断面を描いたもの。断面にみえる空洞を我が家では“おいしい穴”と呼んでいる。

行きつけのベーカリーでは、これまで何度も細かいリニューアルはあった。だから、その一環なのかとあまり深くは考えなかった。ただひとつ、夕方の6時の時点で多くのパンが残っており、値引きされていたことには違和感を覚えた。通常ならば、夕方にはおおかたのパンが売り切れになっていて、棚にはほとんどパンが残っていなかったからだ。

とにかくいつもとは明らかに異なるバゲットを前に、あらためてレシートを見た。似たようで違うベーカリーの名前。ネット検索すると、以前のベーカリーが突如閉店し、その2日後に別のベーカリーとしてオープンしたことがわかった。中1日ではとても改装などしていられない。実際のところは棚や壁紙などの内装は以前の店舗のままで、看板だけが変えられていたような状態である。よほど注意していなければこの違いには気づけない。

食べ物の好みは人それぞれ。この新しい店のパンが好みの客もいることだろう。しかしわたしと同様に味の違いに落胆した人も少なくないはずだ。夕方に売れ残っていたパンがそれを示唆している。

そんなわけで、徒歩圏内から行きつけのベーカリーが消えた。家族ともどもこの事実に唖然とした。もちろん自動車や電車に乗ればほかのおいしいパン屋さんに行くことはできる。しかし散歩がてらおいしいパンを買うということができなくなってしまったのだ。これは失恋にも等しい喪失感である。

喪失感といえば、ベーカリーと時をほぼ同じくして、ほかにも失うものがあった。それは電車の距離ではあるものの、わたしにとってはわりと便利な場所にあった大型書店。柏駅からほど近い商業施設の1フロアを占めていたジュンク堂柏モディ店である。

このジュンク堂がつい先日閉店した。以前は松戸の伊勢丹にもジュンク堂があったのだけど、そちらは2018年の伊勢丹の撤退にともなって閉店。東葛地区(千葉県北西部)ではこの柏店が孤軍奮闘していた。

ときおり報道されているように、ここ数年、大型書店の閉店が相次いでいる。なかには複数フロアある超大型店ですら閉店しているから、このジュンク堂柏モディ店のような1フロア規模であれば、報道されるまでもなく減り続けているのだろう。

最終日に撮影した、哀愁ただよう「閉店のお知らせ」

わたしがこの書店に行くのはどのぐらいの頻度だったろうか。他の書店にも行くから、たぶん1、2ヶ月に一度程度だろう。長男の通う高校が柏市内だから、その学校関係の用事のついでに立ち寄ったりだとか、ふと思い立っては本を探しに行って、立ち読みしたあと数冊買って帰ったり、この書店はそんな位置付けだった。

それなりの規模の書店だと丸一日過ごすことは苦ではない。しかしいつの間にかそんなに贅沢に時間を使える生活ではなくなってしまったから、最近は書店に居られるのはせいぜい数時間。書店によって品揃えに違いがあるので、気分や目的によって書店を使い分けている。

わたしにとってはジュンク堂柏モディ店は文芸書がとくに充実していて、文字通りの古今東西、関心のままに興味深い本を知ることができた。今年は大河ドラマのおかげで平安文学への関心が高まっているので、この書店で何冊も良い本にめぐり逢えた。

◇ 

閉店することがわかってから、わたしは新型コロナに感染してダウンしたりもして、なんとなくそのままフェイドアウトしてしまいそうな気になっていた。ところが最終日の9月8日、前日に別件の用事を済ませられたことから、時間的な余裕ができた。これは行くしかないと直感。心の中で書店にありがとうを言いつつ、最後に良い本に出会えることを期待して足を運んだ。

書籍は定価販売が基本だから閉店セールのようなものはない。その代わり文房具だけが半額セールになっていた。最終日だから文房具の棚はかなりガラガラ。書棚も補充はされないのでところどころスカスカになっている。好きな作家さんが推薦していた本を思いだして検索機で調べてみたけれど、やっぱり在庫はなかった。

結局2時間ほど過ごして、いつものように気が向くままに立ち読みをして、4冊ほど選んで購入した。その内訳は、①好きな雑誌の最新号、②内容を知ってはいたけどまだ読んでいなかった本、③まったく知らなかった初見の本、そして④存在は知っていたのに今まで手に取っていなかった本。

折角だから、その4冊をここで紹介しておこう。リンクはいつものようにAmazonアソシエイト。買ったばかりなのでまだほとんど読んではいない(と言いつつ、もうすぐ読み終わるものはある)。

①『kotoba』最新号

言葉好きなので、雑誌もやっぱり言葉関係。昨年末のふりかえりでも取りあげていたこの雑誌、最新号が出たばかりのタイミングだった。テーマは“世界は科学の言葉でできている”。一応サイエンスの世界にいるわたしにとってはピッタリの内容である。最近、メタな視点で宝石学を語る文章を書いたところだったので、シンクロ感が強い。変体仮名フォントの話なんかもあって(どこかで書いた気がするけどわたしは変体仮名ユーザー)、迷うことなく1冊目をこれに決定。

②三浦しをん『舟を編む』

映画で知っていた作品だけど、原作は未読だった。最近ドラマにもなったので文庫本が増刷されたようだ。三浦しをんさんは好きな作家なのに読んでいないものが多い。わたしは言葉に関心があるので、辞書の編纂がテーマの本作は、そのうち読もうと思っていた。ということで2冊目もすんなり決定。

③山本幸久『花屋さんが言うことには』

文芸書の新刊コーナーで見かけた文庫本。まったくノーマークだった。デザイン違いの栞が付いていて、そのためビニールで封がされていて中が読めなかったのだけど、どうにも気になる。立ち読みできないから買ってみたという経験はいままでなかったから、自分でも不思議である。たまにはこうした縁もあって良かろうと、ルーレットのように3冊目を決めた。

④『日本文学全集15 谷崎潤一郎』

この河出書房新社の池澤夏樹個人編集の日本文学全集は、いろいろと興味深いラインナップで、わたしは角田光代訳『源氏物語』の3冊セットと明治の青春小説3編(一葉『たけくらべ』+漱石『三四郎』+鴎外『青年』)を持っている(ちなみに我が家には、『たけくらべ』と『三四郎』はバージョン違いがやたらとある)。で、これはこの全集のうち、文豪谷崎潤一郎の作品集。表紙には収載作品が書かれていないので中身はわからない。

文学全集に入れられそうな谷崎作品といえば初期の『刺青』『お艶殺し』か、中期の『痴人の愛』『蓼食ふ虫』『猫と正造と二人のをんな』『細雪』、晩年の『夢の浮橋』あたりと相場が決まっていそうだ。わたしはそう思い込んでしまい、この本を書店で見かけても手にとって中を見ることはなかった。

このシリーズが出版されたのは2016年。8年前だ。おや、閉店を知らせる張り紙にジュンク堂柏モディ店も2016年オープンと書かれていなかったか。そこに気づいて本を手に取ると背表紙が焼けて褪色している。奥付きを見ると2016年の初版。おそらくはこの書店の開店日から書棚にならんでいたのだ!それが閉店日まで残っている!しかも谷崎である。ちょっと背筋が冷やりとなった。

背表紙付近が褪色している

ページを繰って目次を見た。乱菊物語、吉野葛、蘆刈、小野篁妹に恋する事、西湖の月、厠のいろいろ……わたしが相場が決まっていそうだなんて勝手に考えていた作品はひとつもない。わたしにとって未読作品ばかりではないか。これも縁。よくぞ閉店日まで待っていてくれたものである。長々と書いてしまったけれど、こうなっては買わないと何か良からぬことが起こりそうである。4冊目が決まった。

——最後はいささかエモーショナルに書いてしまった。とにかくわたしはこの4冊を営業最終日に買って帰った。どれも読むのがとても楽しみだ。

ジュンク堂書店を後にしたわたしは駅前の高島屋の食品売り場に向かった。書店のついでにおいしいパンを買うことが家族に依頼されたミッションだったからだ。

高島屋の食品フロアには3軒のパン屋さんが入っていた。いずれも過去に買ったことはない。見た目と混み具合だけで、そのうちのひとつでパンを買った。このnoteの見出し画像で本の奥に写っているのがそのときに買ったパン。ちゃんとおいしい穴﹅﹅﹅﹅﹅があった。

便利なところにあったお気に入りのベーカリーと大型書店がなくなった。どちらも“お気に入り”だったのはわたしの好みでしかないけれど、ベーカリーの質が落ちたように、店舗の質の低下が連鎖するようだと、長引く不景気を象徴するような話ではある。

たしか大型書店の閉店についての報道で読んだ。本が電子化するだけでなく書店もオンライン化する時代になっているからだとか。テクノロジーの視点では、これは進化の過程なのだと。書店の閉店は、生物進化になぞらえると然もありなん、だけれども、より進化した書店が大型書店跡のニッチ(隙間)に適応して進出するものだろうか。

書店の魅力に、未知の本に出会える楽しみがある。わたしがやっているようにたくさん立ち読みをして気に入ったものを買って読む、知らなかった本の表紙を見て買ってみる、あるいは開店時からずっと売れずに置かれていた本に運命的に出会う……仮にVR技術でバーチャル書店ができたとして、おなじような感覚で楽しめるようには思えない。

淘汰される側にはその後のことはわからない。ぼんやりと、どこかで聞いた進化論みたいな報道内容を考えていたら、パンにせよ書店にせよ、自分が淘汰される側であるかのような気がしてきた。せめて生きた化石として珍重がられるようになるまで、パン好き書店好きとして生きながらえたいものだ。


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