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noteの上にも3年

2023年も早いことに秋分の日。地球の北回帰線以北が冬ゾーンに突入するこの日は、偶然ながらわたしのnote開始日だ。われながらキリの良いタイミングで始めたものだと思う。

1年前にやったのと同様に、この1年を振り返りつつ次の1年のことも考えてみる。

わたしのnote生活はもう3年が過ぎた。三年味噌なんて言葉があるように、そろそろ熟成して味わいが豊かにならなくてはならない年数だ。

数えてみたら、この1年は51本ほど書いていた。昨年よりも2本多い。今月はまだ2本しか書いていないし、何かとせわしない1年だった感じがするので、感覚的には執筆量は減ったんじゃないかと思っていた。わからないものだ。

そうそう、昨年の9月にはなぜか毎月音楽の動画を載せようと思いついたのだった。これのおかげで1年間に投稿した51本のうち12本は確保できたことになる。

この「21日の音楽」では、その時どきで思いついた曲について簡単に書いている。

その内訳はわたしの敬愛するトム・ウェイツがらみが3本、ミシェル・カミロがらみが2本と重複があるものの、あとはわりとジャンルも時代もばらついている。だけど、きっと人によっては偏った選曲に見えるんだろうなぁとも思う。

このシリーズでは、もともとまったく書こうとは思っていなかった曲を取り上げたこともしばしばある。リタ・モレノ、マルガリータ・クライン、サム・ブラウンは観た映画からの連想だし、今月のトニー・ベネットは訃報に際してのことだ。

その時どきでの自分の思ったこと感じたことが残されているようで楽しい。これは変わらず続けるつもり。

毎年の振り返りでは新たな試みについても振り返っていた。この1年であらたに作ったマガジンは「ウェブサイト運営の悲喜交々」、これひとつだけ。

まったく予期していなかったのだけど、わたしがウェブサイト運営のコアにしているTumblrが仕様変更でかなり様子が変わってしまった。なんとしても元どおりのビジュアルで更新したいのだけど、どうやらそれはむつかしいらしい。

Tumblr側から提案されたテーマ開発者へのアップデート依頼もなしのツブテ。この問題は未解決だ。いろいろと試行錯誤していることが後にも振り返る必要が出てきそうな気がする。だから参照しやすくするために急遽マガジンにまとめておいた。

Tumblrは細々とアップデートを続けているのだけど、わたしのブログとウェブサイトにはまだ更なる影響は出ていない。動きがあればもちろんnoteに書くつもりでいる。

ウェブサイト運営といえば、コンテンツの話題としては、ブログ「一日一画」であらたなマイルストーンに到達した。

noteを始めて数ヶ月の時点で、通算6000になっていた作品数。これが先日7000を超えた。1年が365日あって毎日描いているんだから3年弱つまり1000日で1000増えるのは当然のことなのだけど。これもまた別エントリで書いておかなくてはと思っている。

 その7000枚目は5月に保護した子猫の鉛筆クロッキー。その子猫が我が家にいた最後の夜に描いたスケッチだった(上記リンク、Tumblrの仕様変更のせいでここでもサムネイルが出ていない!)。

あまりnoteでは言及していなかったけど、毎日毎日なにかが起きている我が家の猫たち。最後の更新では子猫2匹を保護したところまで書いた。いま、うち1匹(「一日一画」7000枚目の子猫)は里親が決まって現在トライアル期間中。順調にいけばもうすぐ正式譲渡になる。

もう1匹はまだ里親募集中で、譲渡会にも参加し続けている。きょうだいが里子に出されてまわりは年長の先住猫ばかり。トラブルが絶えない。早く引き取り先が決まればありがたいのだけど、どうなることだろう。猫たちについてもまた書かなくては。

マガジンを作りはしなかったけど(ほんとうはそろそろマガジンを作ってまとめておこうかなんて考えていた)、今年2月から7月の半年間に楽しんだことがある。それは参加していたnoteのメンバーシップ「オトナの美術研究会」の「月イチお題note」企画。

「参加していた」と過去形なのは、メンバーシップ自体が8月で終了してしまったから。わたしが関わったのはわずか半年間だったけれど、主宰されていた、ちいさな美術館の学芸員さんにはとても感謝している。

せっかくなので、この場を借りてこの半年間の月イチお題企画をまとめておこう。

●2月:#思い出の展覧会

●3月:#旅と美術館

●4月:#お気に入りの美術館

●5月:#私が美術館に行く理由

●6月:#おすすめの美術図書

●7月:#美術館周辺のおすすめスポット

この半年間は、いつもよりあきらかに美術に関心が向いていた半年間だった。定期的にテーマを決めてなにかを書くというのは、特定の方向に意識を集中させるにはうってつけの方法なのかもしれない。

美術展にはコンスタントに足を運んでいるけれども、なかなかnoteにまとめられていない。これは自分で「美術関連お題note」をやるのも良さそうだ。

1年前の2周年の投稿では、次の1年でやりたいこととしてこんなことを書いていた。

noteと連動できるかどうかはわからないけれど、あらたな絵画表現に挑戦したいとは思っている。

わたしはずっと具象絵画をやっている。だけど、たびたび美術関連の記事でも書いているように、めざしているのは具象のむこう側にあるなにか。写実絵画の表面的な”現実”ではない、”深み”につながるもっと普遍的ななにか。先月のAI絵画をはじめ幾度か触れているけれど、現実に連続した”超現実”をさりげなく表現したいと考えている。

超現実すなわちシュルレアリスム。アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム宣言』を著してからもうすぐ100年。わたしなりの解釈と表現ができれば最高だ。

2022年9月24日付け拙note「2周年の徒然note」より

あらたな絵画表現!まさに「言うに易し行うに難し」である。

わたしの絵は代わり映えがしない。マンネリと言ってもよい。毎日毎日描いていても、それは日課として描く絵だ。スポーツ選手やピアニストが毎日練習を欠かさないのと同じで、手を動かさないと感覚が鈍ってしまう。毎日描く動機は彼ら彼女らの練習に近い。

それでもこの1年で、あらたに見つけたアプローチがある。

筆ペンだ。

筆ペンによるクロッキーが実に良い。日常を手早く記録するのに最適な画材だと思った。形を素早く捉えることもできるし陰影も簡単に表現できる。仕事や諸々のことがあって慌ただしかった一日には、短時間で集中して描くことができて重宝している。

これはこれでもちろん続けていくつもりなのだけど、あらたな絵画表現とまで言えるほどの革新性はない。描いているわたし自身が言っているのだ。まだまだ筆ペンでできる表現はある。筆ペンでえいやっと描くストロークには、その一瞬でしか表現できない線がある。丁寧な描写には現れないリアルな線がある。

上記引用のとおり1年前に触れていたシュルレアリスム。

いよいよ来年は『シュルレアリスム宣言』から100年の節目だ。現実を超越した現実すなわち超現実はそこかしこに見え隠れしてる。先日宝石にまつわる話で書いた「壮大なイリュージョン」も換言すれば超現実のひとつだと思う。

ところで“色”にフォーカスしたシュルレアリスム絵画は今まであっただろうか。

かつてのシュルレアリストが注目した言葉や形による超現実のアプローチに加えて、色によるアプローチも可能なんじゃないか。そんなことを考えている。さっきモノクロームの筆ペンの可能性に触れていて、いまは色の話というのは矛盾しているようだけど、それは別の話。

日ごろ宝石の色の仕組みを研究していると、まだまだわからないことが多くて、そんな未知の現象に超現実シュルレアリスティックな何かを感じてしまうことは結構ある。

このnoteの冒頭に書いた三年味噌。味噌の熟成には麹が不可欠だ。わたしのnoteには絵画とか宝石とかのエッセンスがあって、それが麹の役割だったんだろうけど、まだ何かが不足していそうな気がしてならない。

次の1年のテーマ、あらたなシュルレアリスムのアプローチ。少しは今までとは違う絵画表現にたどり着けるだろうか。変わらずのらりくらりと徒然なるままに書いてゆきたいものだけど、それでももうすこし“麹”を増やしつつ、あらたな絵画表現のために発酵させられれば良いかななんて考えている。

さしあたっては来年の初夏、ちょっとしたグループ展の話があって、その時までにはなんらかのアウトプットにたどり着きたい。

そういうわけで、またも捉えどころのない振り返り&抱負noteになってしまった感があるけれど、ここまで読んでくださったみなさん、今後もよろしくお願いします。

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