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靴音の響く美術館

なんたることか4月ももうおしまい。時間の経つのが速すぎる。今月は公私ともになにかと慌ただしくて、なかなかnoteにアクセスすることすら難しかった。

30日の朝、今月ずっとかかりっきりだった仕事に片をつけた。肩の荷をおろすが早いか、まだ書いていないオトナの美術研究会の月イチお題企画のことを思い出した。今月のテーマはなんだっけ・・・そうそう、「#お気に入りの美術館」。先月末に大原美術館のことを書いたときに、ネタがかぶっちゃうかも?なんて思ったんだった。

どの美術館もそれぞれに良いところがあって、それぞれに”お気に入り”要素がある。だからどこかひとつに絞り込むのは、正直なところむつかしい。だから訪問頻度の高いところを特に「お気に入り」として書くことにしよう。

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いままでに足を運んだ美術館はどのくらいあるだろう。名古屋に住んでいたときは展覧会めぐりの頻度が高かったから愛知県美術館と名古屋市美術館はもちろん、近場にあった古川美術館や徳川美術館、名都美術館にはわりと頻繁に足を運んでいた。もう閉館してしまったけど名古屋ボストン美術館はメンバーシップ登録してしょっちゅう行っていたっけ。

メンバーシップ会員証、まだ持っています。

先月書いたように、出張に合わせて地方の美術館にも行ける時には行っていた。東京で働くようになってからは都内が中心になったけれど、頻度はかなり落ちて、月に一度行ければ良いぐらい。

「お気に入りの美術館」ということは、やっぱりリピート率の高いところなのかな・・・と考えた。先月書いた大原美術館も、メンバーシップ会員だった旧名古屋ボストン美術館も、もちろんお気に入りではある。けれども、遠くてそうそう行けない(名古屋ボストン美術館は閉館しちゃったし)から、リピート率は低い。となると、ここ10年でリピート率の高かった首都圏の美術館が対象になりそうだ。

すべてを数えるわけにはいかないけれど、自宅にある図録を見ればだいたい見当がつく。ここ10年ぐらいのあいだに足を運んだ回数が多かったのは、noteでも何度か書いた三菱一号館美術館。ここがいまのわたしにとって訪問頻度の高いお気に入りの美術館と呼べそうだ。

三菱一号館美術館は2010年にオープンした美術館。東京駅からすぐの立地。東京駅の赤煉瓦がそのままやってきたような赤煉瓦の建物は、三菱が1894年に建設した「三菱一号館」を復元したものだ。以下、美術館の公式ウェブサイトから抜粋。

「三菱一号館」は、1894(明治27)年、開国間もない日本政府が招聘した英国人建築家ジョサイア・コンドルによって設計された、三菱が東京・丸の内に建設した初めての洋風事務所建築です。全館に19世紀後半の英国で流行したクイーン・アン様式が用いられています。当時は館内に三菱合資会社の銀行部が入っていたほか、階段でつながった三階建ての棟割の物件が事務所として貸し出されていました。この建物は老朽化のために1968(昭和43)年に解体されましたが、40年あまりの時を経て、コンドルの原設計に則って同じ地によみがえりました。今回の復元に際しては、明治期の設計図や解体時の実測図の精査に加え、各種文献、写真、保存部材などに関する詳細な調査が実施されました。また、階段部の手すりの石材など、保存されていた部材を一部建物内部に再利用したほか、意匠や部材だけではなく、その製造方法や建築技術まで忠実に再現するなど、さまざまな実験的取り組みが行われています。19世紀末に日本の近代化を象徴した三菱一号館は、2010(平成22)年春、三菱一号館美術館として生まれ変わりました。

三菱一号館美術館公式サイトより

このとおり、細部にもかなりこだわって復元されている。上にリンクを張った公式サイトには、古いモノクロ写真と復元後の写真が比較できる形で載せられている(同ページにある美術館概要のPDFファイルにはもっとある)。その再現度には驚くばかりだ。

2010年4月にオープンしたこの三菱一号館美術館。こけら落としの展覧会は「マネとモダン・パリ展」だった。

何を隠そう(いや、隠しているわけではないのだけど)、当時はまだ名古屋に住んでいたわたしは三菱一号館の復元プロジェクトが気になっていて、この「マネとモダン・パリ展」を観に行ったのだ。

「マネとモダン・パリ展」の図録

わたしは上で「東京駅の赤煉瓦がそのままやってきたような赤煉瓦の建物」と書いた。それもそのはず、東京駅も三菱一号館と同様に19世紀末のヴィクトリア朝時代の英国の建築様式で造られている。公式サイトにあった「クイーン・アン様式」だ。

ちょっと脱線。なんで19世紀末なのにクイーン・アン様式?ヴィクトリア朝時代ならヴィクトリアン様式じゃないの?

アン女王の在位期間は18世紀はじめの12年ほど。三菱一号館よりもおよそ180年も前になる。当時の大陸ヨーロッパの建築はバロック様式。英国では、このバロック様式の華美な装飾を省いたシンプルな建築様式が流行した。これが後年クイーン・アン様式と呼ばれるようになったという。

シンプルなクイーン・アン様式は英国独自の様式ということもあって18世紀をとおして定着した。その後ゴシック・リバイバルやらアーツ・アンド・クラフツ運動の影響があって、19世紀末にふたたびクイーン・アン様式が復活。三菱一号館の設計者ジョサイア・コンドルが工部大学校(現東大工学部)に教員として来日したのは、まさにそのタイミングだった。明治政府の欧化政策で請け負った建築の設計が当時の英国を手本にしていたのは言わずもがな。

閑話休題、三菱一号館美術館の開館当時、東京駅は改修工事の最中だった。工事の何年か前に「東京駅ルネッサンス」として計画が発表されたときから、わたしはこの改修工事が気になっていた。東京駅舎の復元と時をほぼ同じくしておこなわれたのが三菱一号館の復元。さらにこちらは美術館としてのスタートなのだから、気にならないわけがない。

改修工事中の東京駅丸の内口を出て、開館したての三菱一号館美術館へ向かう。もうあまり記憶に残っていないけれど、駅舎だけでなく周辺道路も一時的な迂回路だったような気がする。たしか旧東京中央郵便局のKITTEことJPタワーも工事中だった。いまやKITTEも一連の丸の内の趣ある景観を構成する重要な施設だ。

そんな丸の内でひと足はやく完成し開業した三菱一号館美術館の佇まいは、それはそれはインパクトがあった。

もちろん旧三菱一号館がどんなだったかは知らないけれど、あたらしい三菱一号館はその面影をしっかりと伝えていた。自動ドアやエレベーターといった現代の技術はあるものの(それはそれで洗練されたデザイン!)外装はもちろん内装も明治時代のそれだった。

また話はそれるけれど、わたしは愛知県犬山市にある博物館明治村が好きだった。夏には浴衣を着ていると入場料が割引になるので、夏休みの定番デートコースだった。以下のリンクは、そんな夏の明治村をモチーフにして描いた油絵。モデルの浴衣の女性はわたしの妻(当時は結婚前)。

明治村にはフランク・ロイド・ライト設計の帝国ホテル中央玄関が移設されているほか、聖ザビエル天主堂、聖ヨハネ教会堂、西郷従道邸など貴重な建築物が数多く保存されている。

オープンしたての三菱一号館美術館で感じた感覚は明治村に近いものだった。もちろん明治の建物を復元したという前情報があるからではあるのだけど、外装も内装もある種の懐かしさを覚えるものだった。

三菱一号館が作られる直前に生きたマネ。近代化の真っ只中だった当時のパリ。「マネとモダン・パリ展」の展示は、タイトルどおりマネの作品を通してパリの近代化を見せるものだった。建築物の絵画、設計図なんかも展示されていた。それは言うまでもなく、明治時代の姿が復元された三菱一号館とリンクしていた。

わたしが明治村の野外展示を思い出したのは建物の外見はもちろんだけど、歩いた時の音だった。コツコツという靴の音が小気味よく響く。明治村では浴衣姿のときは下駄のカランコロンだったけど、洋服のときはやはり靴の音がした。わたしはいつも革靴を履いているので、なおさら靴の音が響く。

展示されている絵画にむかうあいだ、靴音が響く。そして絵の前で立ち止まる。壁面に吸収される靴音。その空間と、展示作品と、同調するかのようなリズム感。それは自分だけでなく、ほかの鑑賞者についても、歩き立ち止まる動きが音として演出されているような気がした。

歩けば多かれ少なかれ靴音はするものだけど、三菱一号館の場合はそれが強調されているような気がした。現代の日本社会では、特に住居では騒音と捉えられかねない足音。それがまるで増幅されているかのような建物は、とてもとても印象的だ。

◇◆◇

その三菱一号館美術館はこの4月10日から長期休業に入った。再開時期は1年半後の2024年の秋とのこと。建物のメンテナンスと設備の入れ替えがその理由。結局、わたしにとっては昨年末のヴァロットン展が休業前に訪れた最後の機会になった。

三菱一号館は、美術館から見えるその中庭も素敵だし、隣接するブリックスクエアとも調和している。最近まであったセレクトリサイクルショップの雑貨店パス・ザ・バトンに立ち寄るのも楽しみのひとつだった。

今回の長期休業では建物の外見や内装の大幅な変更はなく、空調設備の入れ替えやLED照明、予防保全がされるとのこと。あとたしかソーシャルメディアで見たことだけど、ネットワーク環境も改善されるとか。展示解説も最近は来館者の端末を使うようになっていたから、無線環境が増強されるのだろう。

同館のスタンスは、杮落としの「マネとモダン・パリ展」で当時の高橋明也館長によるメッセージのなかに象徴的に触れられている。

〔…〕新しく出発する美術館としての性格付けに関連したものです。三菱一号館美術館はあらゆる意味で都市と共に生き、成長するべき美術館なのです。そしてマネこそは近代都市パリの成熟期にあって街を心から愛した芸術家であり、その芸術もまた都市生活そのものを滋養として育まれました。

「マネとモダン・パリ展」図録より

なるほどマネが最初の展覧会のテーマに選ばれたのは必然だった。そしてこの長期休業も、”都市と共に生きる”うえで必要なことだったのだ。無線ネットワークのニーズなど、たしかにこの10年あまりで急成長した都市インフラではある。

長期休館後の展覧会はどんなものだろう。1年半後、また同じようにコツコツという靴音を聴きつつ快適になった環境で展示を観るのがとても楽しみだ。

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