美術館めぐりの心、旅するビート族の心
オトナの美術研究会の月イチお題執筆企画、この3月は「#旅と美術館」がテーマ。美術館を訪問するために旅行したのはいつだったかな・・・。
ああそうだ。軽井沢や安曇野にたくさんある小さな私設美術館。学生時代に、これらの小さな私設美術館を訪れるために旅行をしたことがあった。だけど当時はまだフィルムカメラの時代で写真はあまり残してないし、そもそもデジタルデータじゃないからすぐには使えない。パンフレット類は仕舞い込んでしまって資料をまとめるのも大変だ。どうしたものか。
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首都圏にはたくさん美術館や博物館がある。交通網が発達しているから日帰りで観に行けるところが多い。しかしそれではあまり旅という気分にはならない。やっぱり日帰りできないような距離で非日常感が強くないと旅らしくはないかなと思う。
以前の職では、仕事の関係で自然史系の博物館や科学館に行くことがあった。でも仕事になると、それは出張であって旅とはちょっと感覚が違う。
出張のついでに時間をつくってその地方の美術館や博物館に寄り道してくる、なんてことも時々やっていた。名古屋に住んでいたころの東京出張は美術館めぐりのチャンスでもあったので、日程を週末前後に調整できればラッキーだった。
いまの仕事を始めてからは国内の出張が激減した。そういった出張ついでの美術館めぐりはなくなった。どうしても観たい展覧会があれば、その展覧会を目的にして出かけるようになった。そんなに頻繁ではないけれど。
直近では、コロナ前の2019年の秋だろうか。名古屋市美術館のカラヴァッジョ展。この展覧会は札幌、名古屋、大阪だけでの開催でめずらしく関東には巡回しなかったから、名古屋展に赴くことにしたのだった。
前の職場に顔を出し、かつてご近所だったメガネ屋さんにも寄った。そして市内のホテルに泊まり、翌る日に展覧会を観て東京に戻ったんだった。
名古屋は2011年まで住んでいた街だから、慣れ親しんだ景色ばかり。もうそこには帰る家がないとはいうものの、はたして旅と呼んでいいのかどうかよくわからない。
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旅といえば、わたしが敬愛するトム・ウェイツの歌がいくつか思い浮かぶ。ウェイツはジャック・ケルアックやウィリアム・バロウズなどのビート文学の影響を受けているから、とくにキャリアの前半には旅の歌が多い。
1977年の「Foreign Affair(邦題:異国の出来事)」では哲学者のような勿体ぶった文体でビート・ジェネレーションの世界観を歌っている。
そうなのだ。旅人には束の間の滞在だからこその鋭い感性があるのではないか。だとすれば、美術鑑賞は遠くまで旅してこそすべきものなのかもしれない。たしかに旅先で訪れた美術館はとてもよく記憶に残っているような気がする。
◇
一度だけ美術館を訪れるためだけにホテルを予約したことがある。2006年の9月だった。そこは岡山県倉敷市。目的の美術館はもちろん大原美術館。
大原美術館はわたしにとって最初の美術館。母方の祖父母が倉敷に住んでいたので、幼いころから連れて行ってもらっていた。あの重厚な石造りの美術館と、近代西洋絵画の収蔵品、美観地区の風景はわたしの美術館にまつわる原風景になっている。
だけどそのときは倉敷に泊まったのに、なんと結局美術館には入らなかった。到着したときすでに閉館30分前。30分前はもう入館できない時刻。チケット売り場も閉まっている。タッチの差だった。じつはこのときも出張のついでだった。
出張とはいうものの、その時の出張先は岡山ではなく高知だった。前日の移動日に倉敷まで行き、そこで一泊。翌朝倉敷を発って高知入りするつもりだった。しかし出発前ぎりぎりまで名古屋で仕事をしてしまったのが失敗のもと。それで倉敷に着くのがずれ込んでしまった。
その何年か前、ネットでやり取りをしていた縁で図々しくも大原美術館のスタッフのみなさんの飲み会に割り込ませていただいたことがあった。だから訪問ついでにせめて挨拶でもと思っていたのだけど、アポもとっていなかったし閉館時間とあっては迷惑なだけだ。
間に合わなかったものは仕方がない。せっかく来たのだからと美術館に代わる何かを探すことにした。
◆
美術館の閉館後、秋分の日よりも前とは言え、日没まではそんなに時間がない。ならば暗くなるまでの須臾に自分の原風景を堪能することにしようと考えた。
一日一画をはじめて2年目。そのために携帯していた小さなスケッチブックと何本かのペン。わたしにとっての原風景を堪能することとは倉敷美観地区のスケッチだった。その結果、日没までに10枚ほどの素描が描けた。
観光地なので、まわりにはとうぜん観光客。そんななかで絵を描いているとしばしば反響があって面白い。ちょっとした大道芸みたいなものだった。けっこう話しかけてくれる人がいて意外だった。投げ銭はさすがになかったけれど。
せっかくなのでその時のスケッチを載せることにする。速写のなぐり描きなのにくわえて、解像度の低いデータしか残っていないのでちょっと見づらいかもしれないけれど、そこはご容赦ください。
+×+×+
①まずは、観光案内所前に腰掛けて描いたもの。中橋越しに見えるのは倉敷考古館。江戸時代の蔵を改装してつくられた考古遺物の博物館だ。
②そして本来の目的地だった大原美術館。門の上に顔を出している美術館の屋根部分を今橋の東側から見あげて描いた。夜にライトアップされた姿もまた美しい。
③有隣荘前のアイスクリーム売りも健在。この”アイスクリン”は幼少時に祖父に買ってもらった記憶がある。
④1枚目のスケッチの場所を反対側から。手前の橋は中橋で右手に見える建物が倉敷市観光案内所。はじめは橋だけのつもりが、樹木と観光案内所も絵に入れたくなって前のスケッチの裏面も使用した。
⑤先ほどの絵を描くついでに近くに停まっていた人力車もスケッチ。人力車の人には気を遣われて「もう動くけどいい?」と聞かれてしまった。
⑥倉敷といえば白壁。古民家再利用の第一号として知られる倉敷民藝館の門。
⑦酒屋さんの軒先がにぎやかだったので、向かいのベンチに腰掛けてスケッチした。
⑧珈琲館の赤いアールヌーヴォー風の門。この低いアーチ部分と唐草模様のとりあわせは、アールヌーヴォーだけでなくイスラーム装飾の雰囲気もある。この珈琲館には喫茶店好きの父が連れて行ってくれた記憶がある。わたしのコーヒー好きの原点かもしれない。
⑨倉敷川の鯉。ここの鯉はどうしてこんなに大きいんだろう、観光客からたくさん餌をもらえているからだろうかなどと思いながら描いた。動く対象を描くのはスリリングでおもしろい。
⑩最後に倉敷川に浮かぶライオンズクラブのボート。観光会社を経営していた祖父はライオンズクラブの会員だった。
以上10点。この旅の速写スケッチにはトム・ウェイツの歌う「安住にはない独自の視点」はあっただろうか。
自分の過去の絵を載せたついでに、今回の見出し画像についても触れておこう。これはわたしが学生時代に描いた祖父の肖像画だ。
この油絵を描いた当時、祖父は病気を患っていた。祖母からゆくゆくは遺影にできるように肖像画を描いてほしいと依頼された。礼装の写真を渡されて、それを見ながらの制作。背景に美観地区を配置したのはわたしのアイディアだ。美観地区も以前に自分で撮った写真を見て描いた。いま思えば、やっぱり倉敷の美観地区はわたしの原風景だったのかもしれない。
もう祖父も祖母も他界したけど、この絵は仏壇前に飾られていると聞いている。
◇◆◇
さきほど紹介したトム・ウェイツの「Foreign Affair」にはこんな詞もある。
まさに『On the Road』そのものだ。何かを得ることが目的なのではなく、追うことが目的。探究心は自発的な創造性につながる。その愉悦が旅の原動力。
いや、大原美術館の入館可能時間に間に合わなかった負け惜しみを言っているのではない。
美術品の多くは手に入れられるものではない。少なくともわたしのような一介の美術好き庶民にとっては。だから気になる展覧会をチェックし、展示されている作品、その展覧会そのものとの一期一会に期待して美術館やギャラリーに足を運んでいる。
この関係は、獲得を目的とせず探究に駆られるビート・カルチャーと共通していないだろうか。美術鑑賞の心は旅を求めるビート詩人の心だったのかも。
ビート文学では旅先での快楽に耽る描写がある。ウェイツの「Foreign Affair」だって、勿体ぶった表現ながら行きずりの恋を正当化していたりする。
そう思えば、美術館での展示品との出会いにも恋心に似たものがあるのかもなぁなんて思えてきた。「#旅と美術館」、かくも意味深なり。
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