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日々の出来事

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#私の履歴書

大島理森さんの「私の履歴書」が描く政界の表と裏

2023年9月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は、前衆議院議長の大島理森さんが担当しました。

2021年7月に森山裕氏が抜くまで自民党の国会対策委員長としての在任期間が歴代最長であり、いわゆる国対族として知られるとともに、衆議院議長としても憲政史上最長の在任記録を達成したのが大島さんです。

また、青森県議を経て1983年に総選挙に初当選すると、亡父である勇太郎が三木武夫を尊敬していたことな

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伊東豊雄さんが「私の履歴書」で示した「国立競技場問題」と日本の建築界の構造的な問題点

2023年7月期の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は建築家の伊東豊雄さんが担当しています。

「間のための建築や町」を自問し、自らの活動の基本に据える伊東さんのお話は、戦後の日本の建築の発展の歴史をも伝えており、大変興味深いものです。

そのような伊東さんの連載の中でも私の注意を惹きつけたお話の一つが、「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」の主会場である国立競技場を巡るものでした[1

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「企業人としての成功物語」を超える奥行と広がりを持つ中山譲治さんによる「私の履歴書」

今日、第一三共の社長などを歴任した中山譲治さんが担当した日本経済新聞の連載「私の履歴書」が終了しました。

元外相の中山太郎を父に、元厚相の中山マサを祖母に持つ中山さんが、中山太郎が総務長官と外相を務めた際に秘書官として政治にかかわりつつ、政治家にならず産業界で活躍した様子は、今回の連載の興味深い点でした。

すなわち、中山さんは世界でなく産業界を選んだ理由を、次のように述べています[1]。

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興味の尽きない池辺晋一郎さんの連載「私の履歴書」

今日、作曲家の池辺晋一郎さんが担当した2023年5月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」が最終回を迎えました。

池辺さんといえば作曲家としての活動に止まらず、テレビ番組やラジオ番組の司会者、各種施設の長など、多方面での活躍がよく知られています。

また、『N響アワー』や『N響ザ・レジェンド』などの番組ではその軽妙な語り口が広く支持されています。

私にとっても、池辺さんは1987年のNHK大河ド

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「完全版」の刊行を期待させる西川きよしさんの「私の履歴書」

今日、2022年10月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」が終了しました。

今回は漫才師で元参議院議員の西川きよしさんが30回にわたり記事を担当しました。

西川きよしさんといえば「小さなことからコツコツと」という一言や横山やすしさんとの「やす・きよ」としての活動、あるいは国会での社会福祉問題への取り組みなどが広く知られるところです。

1か月にわたる連載では、こうした周知の話題について、「やす

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一日も早い単行本化が期待される丸山茂雄さんの「私の履歴書」

7月31日(日)、日本経済新聞の朝刊に掲載されている「私の履歴書」の2022年7月期の連載が終わりました。

今回はソニー・ミュージックエンターテインメント元社長の丸山茂雄先生が30回にわたって執筆を担当されました。

EPICレーベル、ソニー・コンピュータエンタテインメント、プレイステーション、ソニー・ミュージックエンタテインメントと、私もよく知る名前のいずれにも携わるのが丸山さんであるというこ

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浮川和宣さんが「私の履歴書」で示した挑戦心と冒険心

2022年3月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は、MetaMoji社長の浮川和宣さんが担当されました。

今回の連載で印象的であったのは、技術者、経営者としての浮川さんの歩みの中で、夫人の初子さんの果たした役割が大きかったということです。

例えば、浮川さんが創業したジャストシステムは徳島県を代表する企業として広く知られています。しかし、同社の所在地が浮川さんの出身地の愛媛県ではなく徳島県であ

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過去を蘇らせ現在に伝えた赤松良子さんの「私の履歴書」

2021年12月度の日本経済新聞の連載「私の履歴書」は、元文部大臣の赤松良子さんが担当されました。

赤松さんは、労働省婦人局長として男女雇用機会均等法の立案と策定を推進し、国連日本政府代表部公使にとして日本の女子差別撤廃条約への批准に携わるなど、女性の地位の向上と権利の保障と拡充に尽力したことで広く知られます。

洋画家赤松麟作と母浅香のもとに生まれ、父母の愛情に包まれながら成長する様子や、「職

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島正博さんの「私の履歴書」が教える不断の努力が生んだ「紀州のエジソン」

日本経済新聞の連載「私の履歴書」の2021年度3月期を担当したのは、島精機製作所創業者の島正博さんでした。

自動編機の詳細な仕様などについての記述は、機械工学の知見に乏しい私には理解の及ばない箇所もあったものの、衰えることのない探求心が手袋編み機、横編み機からコンピューターグラフィックス事業へと次々に新たな発明を行う「紀州のエジソン」の誕生に繋がったことが分かるものでした。

その中でも、とりわ

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樂直入さんの「私の履歴書」が示す「国際日本学の実践」

2020年2月期の日本経済新聞の連載「私の履歴書」を担当するのは、陶芸家で十五代樂吉左衞門の樂直入さんです。

昨日、第10回目の記事が掲載され、1973年に東京芸術大学を卒業した後にローマの芸術大学に留学した際の様子が回顧されています[1]。

「ローマでの2年間、私は西欧を肌で感じ、内なる日本をまさぐった。」という樂さんは、次のように述べています。

裏千家のローマ出張所を主宰する野尻命子師を

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