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「Ghost of Tsushima」ネタバレ感想 - 面白さがもてなしてくれる名作



面白さの圧倒的なおもてなし
超美麗なグラフィック+アクションとリンクする物語。



注:物語の最後の最後までネタバレしています!クリアした方向けです。



アメリカのデベロッパーであるSucker Punch Productionsが制作し、ソニー・インタラクティブエンタテインメントが販売したゲーム「Ghost of Tsushima」。素晴らしい名作でした。

かっこよさに直結するアクション。
圧倒され鳥肌が立つような、美しいでは言い足りない美麗な対馬の景色。
そして何より、武士として、対馬を守る冥人(くろうど)として、奔走した境井仁の物語が、深く胸を打ちました。

本当にこのゲームのキャラクターや世界が好きになったので、プラチナトロフィー&全収集物(大事の品以外)コンプリートまでプレイました。

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物語

舞台となるのは長崎県の対馬。このゲームは、私たちも学校で習った元寇がモチーフとなっています。

ゲームは対馬の小茂田浜での大規模な戦闘から始まります。
その戦闘でコトゥン・ハーン率いる蒙古軍(モンゴル帝国軍)に惨敗を喫したうえ、境井仁(主人公)の叔父にあたる、地頭の志村は捕らえられてしまいます。そして、対馬はモンゴルに侵略されてしまいます。


この戦闘後、野党であるゆなの協力でなんとか助かった境井仁は、尊敬する志村を助けるため、コトゥン・ハーンの居る城へと向かいますが…という物語の始まりです。

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物語感想

侍から冥人へ
主人公:境井仁の心の変化。最も強く印象に残りました。
境井は父が賊に殺され、そのときに助けられなかったという過去を持っています。剣術や武士の誉れについて、息子同然に教えてくれたのは伯父の志村でした。仁にとって、志村は伯父てあり、父であり、全てを教えてくれた恩人なのです。

そんな志村を救うのは境井にとって最優先事項。武士の誉れを胸に持ち、おそらく心の中では自らの命も顧みず志村を救おうとしていたと思います。
しかし、物語を救う過程でその心境に変化が生じます。

初めは正々堂々と戦い、敵を打ち倒すことしか考えていなかった境井ですが、一方で自分を助けてくれた野党であるゆなの考えに少しずつ影響されていきます。というか、蒙古軍の圧倒的な勢力の前に、正面から単身戦いを挑むのは、得策ではありません。

境井は、武士の道から外れた「闇討ち」「毒矢」など、今まで使ったことの無い「卑怯な」手段をどんどん利用していくのです。
初めは志村の教え、つまり武士の誉れ(正々堂々と戦うこと)に背くことに大きな抵抗があったものの、段々とそんな闇に乗じて敵を討つ手段を巧妙に使うようになり、同時に対馬には、武士ではない「冥人(Ghost)」という名が知れ渡っていきます。

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境井のこの行動は志村を救出してからも変わらないのですが、物語の変化はここからが大きいものでした。
志村は常に武士の誉れを大事にするため、卑怯な手段は使いません。例えそれが理由で、戦で大敗を喫しても。「戦で死ぬは武士の誉れ」と信じ、考え方を変えません。

一方で境井は違います。というよりは、ゆなの影響で「違う方法があるということを自覚した」のです。武士の誉れの重要性は理解しているものの、それが最重要項目では無くなっていきます。
人が死ぬくらいなら、誉れは捨てて闇討ちでも毒でもなんでも使うべき、それが民のため。そんな考えを身に着けていきました。民の命こそが何よりも大事である、それは誉れを守ることよりも大事である、そう考えるようになっていくのです。

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そして物語中盤では、まさにその「誉れを取るか、誉れを捨てて実利(効率的な勝利、民の命)を取るか」という意見の違いにより、親同然に思っていた志村と仲違いしてしまいます。

プレイ中の私の考えとしては、当然ながら武士の誉れよりも民の命のほうが大事だと思っていました。もちろんこの時代の考えや空気感がわからないので現代からの考えになっていますが、武士のプライドのために命を犠牲にする必要は無いと考えています。

なんとなくなのですが、それは境井も、そして志村もわかっていたのではないでしょうか。私は物語を通して境井の心境の変化を感じることが出来ました。
では一方で志村の心境や考えはどのようなものだったかというと、確かに武士の誉れを重要視しているものの、言葉に表出していない部分では武士の誉れというものに完全に拘ったものではないように感じました。

もちろん武士の誉れはプライドとして持つべきではあるものの、それは志村自分自身のためだけではなく、民の模範となるための楔として、自らを律しているように感じました。

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志村は大局を見ていたのではないか
ハーンを打ち倒してからエンディングまでの間、境井と志村の会話シーンでのことです。今回、境井が冥人として志村に背いたことで、民が武士に逆らうことを覚えたという言葉。
志村は、境井よりもさらに大局を見ていたのでは、と感じました。

境井からすれば、武士の誉れに拘り、武士や民の命を無下に扱う志村はとても視野の狭い人間に見えていたでしょう。私もそうでした。なぜそんなに拘るのかがわからなかったのです。境井のほうが柔軟な思考を持ち、多くの命を救うヒーローでした。

しかし、そんなヒーローですが、別の見方をすれば謀反人です。
そして謀反人の考えに追随する民が現れたのは、事実なのです。
ヒーローが現れたことで、民が従来の制度に疑問を持つことも考えられますし、志村の考える通り本土からの武家に従わない可能性もあると思います。
被害を最小限にして蒙古軍を退けた境井の働きは素晴らしいものですが、志村としては正々堂々と戦い蒙古軍を退けることで、民の模範となり、蒙古軍を退けた後の世の中まで考えていたのかな、と思います。

もちろんここでは、「では民衆は永遠に反抗するといった気持ちを持たないほうがよかったのか?」という疑問も出てきますが、またそれは別の論点になるかなと思います。
少なくともこの時点の話では、蒙古軍は平和な世を乱す大きくわかりやすい原因であったこと、そして同じく平和な世を乱すかもしれない小さな一因として、民が武士を背くという可能性があるというレベルの話です。

そしてここでの、志村の地頭としての目線は、世を乱す原因はすべて取り除くという、現在に加えて未来まで見据えたものであったのかなと思います。

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このあたりの描写としては、境井が使った「毒」も演出として使われていました。

毒を酒に混ぜて蒙古軍を一掃したのは確かですが、それを学んだ蒙古軍が今度は自分たちに毒を使った攻撃をしてくるというのは、なんとも現実的で、あくまで冥人を完全無欠のヒーローにはさせないというシナリオの意思を感じました。
蒙古軍を毒で一掃したところまでは良かったのです。しかし、その結果、毒の技術が奪われ、対馬の民が毒の実験台に使われ、死んでしまっています。あまり言及はされませんでしたが、これは正直、境井が間接的に民の死因を作ったといっても間違いではないのではないでしょうか。ここでは正直、境井はもっと自分の責任を感じても良かったのではないかなと思いました。

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正しいと思ったことでも、副作用として別の問題が発生する。
境井の行った行動は間違いではありません。結果として蒙古軍を、最小限の被害で退けました。しかし、もしかしたら、志村の言う通り武士の誉れを持ち、正々堂々と戦う選択もあったかもしれない。それで蒙古軍に勝てば、民も今まで通り武士に従う。

選択されなかった未来はわかりませんが、少なくとも志村はそのような未来を描いていたのではないでしょうか。イレギュラーな事態を防ぐ。それはつまり、イレギュラーな事態から生まれる問題をも防ぐということ。その思いは、武士の誉れという言葉に代替されてアウトプットされ続けていたのではないでしょうか。
だからこそ、志村の中の誉れというものはこういった政治的な部分も含めての誉れであり、そこはもちろん境井の使った毒や闇討ちなどの選択肢も当然考えた上での選択であったのではないかと私は感じました。

志村は立場上、境井のように自由に動くことは出来なかったのかなと思います。自分が好き勝手動くことで、民は混乱する。だからこそ、境井のある意味での「暴走」を絶対に止めたかった。

境井を息子のように思い、事実息子として迎え入れようとしたものの、この元寇という出来事でそれが叶わなくなってしまった。とても辛い立場にあったのではないかと思います。
境井を見限ってもおかしくないですし、情が無くなっても不思議ではありません。ですが、そうではなかった。武士の誉れを守り、境井とは別の道を進むことになったが、境井についての情は切れることなかった。だからこその、エピローグで境井を殺すことに対しての涙であったと思います。
切れることがなかった境井への情、民の模範となるべき姿勢、自らの立場。そのような複雑な選択の末に行き着いた結末。
志村もまた、主人公であったように感じました。

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オープンワールドと道案内

風が導いてくれる目的地
リニア(一本道)なゲームに対して、オープンワールドで気になりがちなのは「次はどこに行ったらいいの?」という問題。人によると思いますが、私自身360度どの方向にも行くことが出来る状況では迷うこともしばしばありました。
地図とマップをじっと見て、今キャラはこの方向向いてるからこっちの道へ…なんて導き出す方法もありますが、画面上に目的地のポインタや方位のコンパスが視覚化され、プレイヤーに目的地を認識できる方法が多いのではないでしょうか。

一方で、Ghost of Tsushimaでは、マップで方位は確認できるものの、移動中移動中にわかるのは目的地への距離のみ。
もちろん山や川などがあり目的地へ一直線に進むことは出来ないので、すぐにどの方角に向かっているか混乱してしまいます。

そこでこのゲームが採用したのは、「風が目的地を示してくれる」というとても粋なものでした。

プレイヤーがマップ上から「ここに行きたい!」と目的地を設定し、タッチパッドを操作すると、その方角に向かって「風が」吹きます。白い風のエフェクトが目的地方向に流れていき、そしてそれに沿って木々や草木が揺れることで、視覚的に正しい方向へと導かれます。
目的地の方向がわかれば、方位表記はいらない、というのはひとつの気づきでした。

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これは世界観の醸成にも一役買っています。
理想的なゲーム画面というものは色々な論があると思いますが、ことオープンワールドでの画面について個人的に思うのは、「ごちゃごちゃしていない」画面だと思います。特に、このゲームのように実在の世界をモチーフにしているのであればなおさらです。

実写を模したような映像、歴史上の出来事をモチーフにしたゲームであれば、そこにポップなアイコンやUIが表示されるのはいささか没入感の阻害に繋がると思います。
端的に言えば、現実世界で生活しているときにはコンパスも方位の案内も、視覚上に存在していません。これはサマーレッスンの記事のときに、現実を模した世界では基本的にBGMが流れていないと記載したことと同じです。

「ゲームなんだから、プレイヤーに親切なUIがあってしかるべき」というのも正しいと思いますが、「現実を模しているのだからUIが画面上に常に表示されるというのは違和感がある」というのも正しいと思います。
前者を取れば没入感の阻害、後者を取ればプレイヤーへの不親切に繋がると定義すれば、Ghost of Tsusimaはその両方のいいところを風という表現で達成したように感じました。



人に導かれる道筋
また、個人的にこの対馬というオープンワールドで印象に残ったのが、クエストによっては他のキャラクターが道案内をしてくれるというところです。
前述のように、目的地は風が示してくれますが、段階を経て目的地が変わるクエストではそれも少し億劫になる部分があります。というのも、風を呼び目的地の方向を視認しても、あくまで自然現象であるためかそれが続くのが数秒だからです。

そんなときに、実感したのが他のキャラクターつまりNPCが先導してくれる「楽さ」です。今まで特にオープンワールドのゲームを多くプレイしたわけではありませんが、この広い世界の移動を誰かに追従して移動することがこんなに楽だとは思いませんでした。

よく考えれば、フリーシナリオが売りのサガシリーズの中でも一番好きなのはストーリーが定まっているサガフロンティア2だったりするので、自分自身あまりオープンすぎるオープンワールドは得意ではないのかもしれません。そのためか、NPCが案内してくれる安心感が特に強く感じられました。この部分のみは非オープンワールドなので、目立ってそう感じたのかもしれませんが、FF15やグラビティデイズ、スパイダーマンやホライズンとはまた違った感覚でした。そして、とても自分に合っている部分でした。

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戦闘と闇討ち、物語とのリンク

蒙古兵や菅笠衆との戦いは、このゲームの華とも言えるもの。
強攻撃で相手をよろめかせて、ふらついたところに連撃を叩き込む。基本的にはこの連続。
このゲームで特筆すべきはそのかっこよさではないでしょうか。

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サッカーパンチ・プロダクションのクリス・ジマーマン氏は、剣劇に対してこのように語っています。

私たちの心を震わせた時代劇では、どれほどの強敵でも数回斬りつけるだけで命を奪われていました。あの感覚をできるだけ再現したかったのです。しかし、検証したところ、敵が多くのダメージに耐えられたり、何度も斬りつけなくては倒せなかったりすると、刀の鋭さが感じられませんでした。

(引用元:『Ghost of Tsushima』──剣術や時代劇などが“戦闘”に与えた影響を開発スタッフが徹底解説!【特集第1回】


自分の攻撃が1,2回当たれば敵の致命傷になる。一方で、敵の攻撃も同じように強い。これは少しプレイすれば明らかで、チュートリアルの段階ですぐに実感しました。操作に慣れないうちは、よく瀕死になったりゲームオーバーになっていたものです。

ではこのハイリスクハイリターンな攻撃バランスが、ゲームにどのようなエッセンスを加えるかですが、これがまた本当に気持ちいいシナジーを生み出しているのです。

クエストなどでたまに自分も含めた味方が複数人になることもありますが、基本的に多くの場合戦うのは境井仁たった一人。
どこに潜入するにも、どの野営や城を潰すにしても、圧倒的に不利です。当然、正面から堂々と敵と戦えば、すぐに囲まれ、遠くからは矢が飛んでくる、劣勢な状況に追い込まれます。そして上記の通り、敵の攻撃に何発も耐えられるわけではないのです。

もちろんごり押しすることもできますが、敵をバッタバッタと倒す無双系のゲームではないので、いちいち敵をよろめかせるというプロセスを経ないといけません。

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また、敵の攻撃が強さは基本的には防御を主体をしての戦闘を強いられます。そして複数の敵はいちいち順番に攻撃してきません。一斉に攻撃してきたりします。
もうこれらが合わさるととてもめんどくさいですし、時間がかかるのです。多い数の敵を相手にするのは面倒です。

ではどうするかというと、闇討ちや遠方からの弓攻撃、毒矢などを使い、敵の数を予め減らしておくのです。7人相手だったら間違いなく苦戦する場面も、闇討ちやらで3人まで減らせたら戦いは大分楽になります。

状況を有利にしたり、簡単に敵を倒せるため、プレイヤーは最初は慣れないながらも闇討ちを行い敵を減らします。
段々とコツがわかり、他の武器や暗具を用いていきます。ステルスがうまくなっていくのです。ときには、蒙古軍に全く気付かれることなく敵部隊を壊滅させることもできるでしょう。

この、少しずつ闇討ちがうまくなっていき、使える道具や手段が増えていくというのは、プレイヤースキルの上昇に加えてスキルツリーの解放にて強化されていきます。

このような仕組みは他のゲームでも見ることが出来ますが、このゲームはこういったアクションが物語に密接にかかわっているというところがとても魅力的でした。

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プレイヤーの操る境井が、このようにステルスキル、闇討ちがうまくなるということは、それはつまり境井が「徐々に誉れを捨て冥人に徹していく」ということに繋がります
初めに志村を城から救ったときは、あまりそういった卑怯な手段は使うなよと釘を刺されてしまいます。これが私の心に響いたのですが、その理由は「確かに志村の教えに背いて闇討ちは使ってしまっていたな..」という気持ち、実感が生まれたからです。
そしてさらに、「でもそんなこと言っても助けたんだからいいだろ」「そういう手段を使わなかったら助けられなかったかもしれないんだぞ」という、志村に対する反抗心も小さく生まれました。

冥人としての境井の思いは、中盤の蒙古軍毒殺の場面で爆発し志村と仲違いします。そのときは、境井と私自身の気持ちが同じ方向を向いていたため、物語への疑問はなく、感情移入することが出来ていました。

闇討ちを利用するとプレイヤーが有利になり戦闘が楽になりますが、それに従うと、闇討ちを咎められるという物語の展開とリンクする。このようなデザインはゲームそのものの完成度を高めている一因であると思います。

また私自身、このようにシステムと世界観および物語がリンクしているゲームとして、ファイナルファンタジーVIIIにおけるガーディアン・フォース、サガフロンティア2における術、十三機兵防衛圏における機兵のパワーアップなどいくつか浮かびますが、そこにはシステムに対する「納得」があり、納得が存在することで物語の説得力が増したのではないかと思います。
剣劇というかっこよさ、そして物語とリンクするステルスアクションは、ゲームそのものの完成度を高めていました。

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映像の美しさ、表情の美しさ

このゲームで外せないのは映像の美しさです。
別noteにおいてスクリーンショットをまとめておきましたが、とにかく対馬の風景が美しい。フォトモードも利用し、自分史上最多のスクリーンショットを撮影しました。
季節感というところだと現実との整合性は取れるのか少し疑問に思う場面もありましたが、個人的にはそこを現実に合わせて景色のバリエーションが減るよりはこれほど美しい景色が見ることが出来て良かったと思います。

旅行などで、普段住んでいる場所では見られない景色に圧倒されることは、おそらく1度や2度、旅行好きな方はもっと沢山あると思います。
あの、景色に心が洗われるような、他の雑念が綺麗に吹き飛んでしまうような感覚。それを、このゲームでも感じられました。


表情演出
また、景色とは別の映像表現で素晴らしかったのが表情でした。
SEGAの名越さんもおっしゃっていましたが、とにかくキャラクターの表情演出が素晴らしい。

PS4ともなれば、その映像美はAAAタイトルならもはや実写と見紛うような出来。DEATH STRANDINGのノーマン・リーダスなんかも本当によく出来ていましたよね。
ことこのゲームにおいては、キャラクターの造形に表情の演出がプラスされ、物語の説得力を増長していました。

オープニングで、志村が捕らえられコトゥン・ハーンに降伏するかどうか問われるシーン。あの場面の、ハーンの無表情ながら圧をかけつつ、しかし決して無慈悲ではなく冷静に対話を行っている表情。一発でハーンのキャラクターがわかるものでした。

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そして捕らえられ、返答や行動次第では殺される状況にあった志村の視線、汗、鼻の穴の膨らみ方、顔の筋肉への力の入れ方、全ての部分が完璧に演技していて、本当に驚きました。

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笑うシーンや泣くシーンはよくゲームであるかと思いますが、こういった憮然としたシーン、かつ志村にはセリフが全くないような場面で、何をどう思っているのかが手に取るようにわかる演出、一気に引き込まれました。

また、同じく志村の表情になりますが、中盤で境井が完全に志村と決別するシーン。志村は境井を息子に迎えようとしていたものの、境井が自らを冥人と称し、その誘いを断ったシーンです。
志村は持っていた、おそらく境井を息子にするという内容の手紙を火の中に落とし燃やしてしまいますが、そのシーンの間の取り方や動きはもちろん、悲しいや辛い、悔しいなどとても多くの感情が混ざった志村の表情は、言葉無くとも強く伝わってきました。

とにかく、このゲームは表情で語るのが非常にうまいのです。
ムービーシーンと言えどこの拘りを見せつけられてしまうと、他のゲームでは表情の薄さを感じてしまうのではないかと思ってしまいます。そのくらい、丁寧に、決してオーバーでない表情演出が物語の説得力と没入感を強くしていました。



一方で単調とも言えるサブクエスト

剣劇や表情・心情の演出は素晴らしいのですが、一方でサブクエストについては飽きがくることも。
石川先生や政子殿など、サブキャラクターのクエストや傳承はさすがに力が入っていたのであまり単調には感じなかったのですが、それ以外のモブキャラクターからの依頼、および野営の攻略はそこまで夢中になれる要素があったかというとそうでもないかな…と。

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終盤になればスキルはカンストしますし、私自身コンプリート欲で攻略していたかもしれません。
大体のクエストが、困っている民の話を聞き、敵を倒して終わりというパターンになっていたので、結局は延々と敵を倒すというミッションを繰り返していく印象でした。
ゲームデザイン上仕方ないかもしれないのですが、もうちょっと遊びの幅が広かったらよかったかなと思います。ハーンの鎧のサブクエストなんかは、もちろん強力な鎧のためということもあるのですが、なかなかにうんざりしてしまいました。

やはり、例えばファンタジーRPGのように、物語が進むにつれて新しい街やシステムが提供されるわけではなく、最初から最後まで対馬が舞台というところもあるかもしれません。



しかし、サブクエストでも尖っていたなと感じたのはそのシナリオ。
勧善懲悪だけではなく、話によっては救いの無い終わり方をしたクエストも少なくなかったと思います。
このあたりは、蒙古軍に侵略された悲惨な生活ぶりが浮き彫りになり、どれだけ物語が進んだとしても対馬が有利にはなっていない、あくまで強大な蒙古軍と戦っているのだと間接的に認識できるものでした。

また、いわゆる「浮世草」のサブクエストではなく、温泉や狐、神社など収集系の小さなクエストですが、これらを攻略するとその地点がファストトラベルの対象となる作りはうまいなと感じました。
このゲーム、ファストトラベルが非常に早いので、その有用性がとても高いものとなっています。恒久的に自分のプレイにプラスになるので、ついつい見かけたら寄り道してしまっていました。

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とはいうものの、総合的に見てサブクエストを積極的にやろうという求心力はそこまでなかったかな? と思いますので、これはクリア後のコンテンツとして、コンプリートやトロフィーを目指す対象として考えてもいいかもしれません。事実、ハーンを倒した後もその物語の続きとしてクリア後にクエストが出来るので(ハーンを倒した後にサブクエストを行っても時系列や設定的に違和感が無い作りになっているのは上手いと思いました)、おまけとして楽しむのもありだと思います。



終わりに

総合的に見て、非常に面白かったゲームでした。
映像美やアクション、武士としての誉れについての物語など、それぞれがわかりやすく楽しめるものとなっています。
日本人にとっては自国の物語ですし、オープンワールドがあまり慣れていないユーザーでも楽しめるのではないでしょうか。

Ghost of Tsushimaというタイトルの意味ですが、海外の方の実況などで英語音声や字幕を確認すると、「冥人」という単語を「Ghost」と表現していましたので「対馬の冥人」という意味と捉えられます。
ちょっと気になるな? という単語や文章は、英語版を見てみるとその本質の意味が分かるところもあるので、見てみると面白いと思います。
私としては、エピローグで境井と志村が剣を交える場面において、境井が回想で志村に「お前を武者に鍛えてやる---(中略)---どうする?」といった問いかけに対し「やります」と答え剣を抜くシーンがありますが、ここが少し、戦う流れとして気になりました。
英語版では最後の「どうする?」が「Are you ready?」、境井は「 I am ready.」と返事をしています。個人的にはこちらの受け答えのほうがセリフの意図が入ってきたので、気になるところは英語版を見てみてもいいかもしれません。


正直なところ、このゲームは発売日を楽しみにしていたわけではなく、ゲームメディアなどの盛り上がりを見て、なんとなく買ってみようかなあと発売日直前に決めて購入したところがあります。
ゲーム自体もよく調べていなかったですし、高難易度ゲームは苦手(ジェダイはギブアップしました)なので、SEKIROみたいなゲームだったらどうしよう…と思っていたところがあります。
また、元寇がテーマであることは知っていましたが、特に元寇に興味があるかというと、実のところ全くありませんでした。神風が吹いて事なきを得た、というくらいしか知らなかったです。歴史の教科書以外では聞いたことがありませんでした。

しかし、プレイしてみれば圧倒的な質の高さに虜になり、最初に記載した通りプラチナトロフィーを獲得するまでプレイしました。

ゲームというアトラクションが、次々に面白さを届けてくれるのです。
プレイヤーが面白さにたどり着くのではなく、面白さのほうが寄ってきてくれているというか。
剣を振り回しても面白い。映像の迫力が面白い。冥人と誉れで揺れる心情が面白い。どこに手を伸ばしても面白い上に、全ての分野が高品質なので、ストレスが無くプレイできました。ゲームの面白さに「もてなされている」という感覚でした。

クリアし、蒙古軍を追い払い、全ての収集品をコンプリートした今、残っている感情は「寂しさ」です。境井仁の活躍をもっと見たい。もっとその人生を知りたい。これ以上、何も変化が無いのが寂しいのです。
是非ともDLCや続編を制作して欲しいと願います。


Ghost of Tsushima、PS4のおすすめ作品のひとつとなりました。
またいつか、境井と旅を出来る日が来ることを願っていようと思います。

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