DEATH STRANDINGと星野源から見た(ゲーム)音楽を媒介とした「繋がり」
これは個人的にデータだけ調べて、結局どこに公開するでもなくまとめるでもなく誰一人にも伝えてなかったものなのでちょっとまとめて考えてみたりした。なんか熱が入って簡単なグラフとか作ってしまった。
ふとした思いつきで、星野源「Pop Virus」がどのくらい海外の人に知られてるのかなって気になったときのこと。
DEATH STRANDINGとは
主人公であるサムが、ひたすらに「荷物を届ける」ゲーム。山や川や悪天候の中を歩き、命や荷物を奪おうとする敵をかいくぐり、荷物を待ち望んでいる人へと、大切な荷物を届ける。
それが、ゲームのストーリー上では「ネットワーク」を作ることになり、登場キャラクター同士の「感謝」「繋がり」となる。そしてその移動の過程で用いた移動手段や移動経路がインターネットを通じて共有され、見知らぬプレイヤー同士が「繋がり」を感じられる、そんなゲーム。運輸が無くなった世界で、食料を求めてる人にUber Eatsで食べ物届けたらめっちゃ感謝された、とかそんなバイブス。
「繋がり」は間違いなくこのゲームのテーマだと思うんだけど、基本的にゲーム自体は一人プレイで孤独。だからこそ小さな繋がりも強く感じられると思う。それこそ言葉のやり取りが無くても。
「繋がり」
このゲームは小島プロダクション…つまりあのメタルギアの小島監督の率いる開発チームによって制作されたもの。
2015年に小島監督がKONAMIを退社されてからの流れをインタビューで知ったんだけど、事務所もスタッフも無かったときに、人との繋がりがあったからこの「DEATH STRANDING」が出来たって発言、もう現実の「繋がり」がそのままゲームのテーマになっているんだなあと感じた。
星野源「Pop Virus」
おそらくその「繋がり」の結果、以前から小島監督と交流のあった星野源さんの楽曲「Pop Virus」がこのゲームの中で聞くことが出来ることに。
これは作中のミュージックプレーヤーから聞けるという仕組み。他にも、主人公が建造できる建物に、音楽機能としてこの曲を設定できるので、そのような形で耳にすることもある。(↓の動画参照)
このゲームは主人公サムのモデルがノーマン・リーダスだし、舞台がアメリカなんだけど、そういうところで日本人のアーティストの曲が聞けるのって純粋に新鮮で嬉しかった。
あと、このゲームって一人で黙々とプレイするので、ゲームから現実の、日本人の音楽が聞こえることでほっとするきっかけになったりしてた。
というか、正直星野源さんの曲って、あんまり聞いたことなくて。このゲームがきっかけになって聞き始めたってところもあったり。
DJでかけたときのこと
「これはゲームの中で聞けるからゲーム音楽!」という半ば強引な形で、ゲーム音楽のみのDJイベントでこの曲をかけたときのこと。
上記画像赤線マークのところ、海外からの反応がしっかりあったんだよね。しかも、ちゃんとゲームのことを理解したコメントもあったりして。
なんかこの現象…と言っていいのかわからないけど、それこそこの「繋がり」みたいなものが心に残ってて。
だって、この「Pop Virus」って曲を知ってるだけじゃなく、ちゃんとそれがDEATH STRANDINGの中で聞くことが出来るってことを知っているからこそ、そしてもしかすると実際にゲームの中で聞いたからこそ、海外の人がこの曲でリアクションできたんじゃないかなあと思ったんだよね。
それって凄いことのような気がして。だって言葉も通じない人同士が、音楽とゲームを媒介にして繋がれるって、なんかもう偶然と偶然の重なりって感じがして。
どうもこの不思議な感覚はその後も忘れられなかった。
実際のところ、ゲームの中の音楽からアーティストへ辿り着く効果はあるのか?
この、「Pop Virus」に関しては、前述の通り、小島監督と星野源さんが以前から交流があったことが、ゲームの中に採用された理由の一つだと思う。
例えば、ゲームに使われた曲っていうといわゆるタイアップの、ビジネス的な主題歌なんかもたまに感じることはあるけど(なんでこのゲームにこのアーティストなんだろ? とかはたまに思う)、今回はそのビジネス的な割合がやや控えめに感じた。
主題歌とかの扱いでは無く、あくまでプレイヤーが半ば能動的に動かないとゲーム内で聞く機会が少ないというところからそう感じたのかも。
もちろん実際にはコジマプロダクションとビクターエンタテインメントが色々協議してしっかり権利利用料が払われてると思うんだけど。
で、そんなことを考えていてふと浮かんだのは、こういうゲーム内音楽からその音楽のアーティストへユーザーが辿り着く効果ってのはどんなもんなのかなってこと。
ゲーム内のBGMが、ゲームコンポーザーの作曲ではなく他ジャンルで活躍しているアーティストの曲っていう場合がたまにあるんだよね。
WIPE OUTとか、PSの攻殻機動隊とか、Red Dead Redemption2とか、Def Jam Vendettaもそうだっけ? リッジレーサーVもBoom Boom Satellitesが参加してたり。
そういう「ゲームで聞ける現実にいるアーティスト」に、ゲーマーはどのくらい興味を持ってアクセスするのかなって。特にこのインターネットが普及した現代に。
そんなもんデータなんてあるわけないから、もう人力で、一人でなんとなく調べてみたんですよ。
この調べ方合ってんのかわかんないけど、あてにしたのはYoutubeのコメント欄。
【星野源「Pop Virus」】の動画のコメント欄から、
・コメントされている言語の割合
・ゲームに関するコメントの割合
以上2点を調べてみた。
結果(2019年12月31日時点)
星野源Youtubeチャンネル内での比較
動画再生数…チャンネル内8位
コメント数…チャンネル内3位(8400コメント)
→再生数の割にコメント数が多い
動画「Pop Virus」内の最新300コメント内容の計測
日本語でのコメント141、外国語でのコメント159
日本語と外国語のコメントがほぼ半々
ゲームに関係したコメント数
300コメント中189コメント。
→過半数がゲームに関係したコメント。
2020年3月4日現在でもゲーム関係コメント
(デススト、ダイハードマン(キャラクター名)、kojima(小島監督のこと)が国内外問わず書かれている
比較参考:再生数がPop Virusの9割(近い再生数)の動画「Snow Men」のコメント
最新100コメント中外国語のコメントが9コメント。
日本語:外国語が9:1の割合。
ちなみに今見たらコメント数は1230件(2020年3月4日時点)だった。
動画再生数はPop Virusの9割程。
コメント数はPop Virusの1.5割弱。
感想
似た再生数の動画「Snow Men」との比較で分かったのは、コメント数の多さと外国からのコメントの割合の多さ。
そしてゲーム関係のコメントの多さ。予想以上に多かった。
ただ一つ特殊な背景があるとすれば、このゲーム自体が「繋がり」をテーマにしているので、それはYoutubeのコメント欄を通じた、ゲームのような「繋がり」を疑似体験したいというユーザーの気持ちの行先でもあるのかなと。
また、このゲームの繋がりも、「みんなで協力してチャットして、あのボス倒そうぜ!」みたいながっつりコミュニケーション取る感じではなく、宛名の無い、返事を期待していない手紙を出すようなマインドが近いと思う。誰かが受け取ってくれればいいな、というような。
その返事や返信を求めるものではなくて、自分の気持ちを表明・共有する感覚が、Youtubeのコメントに似てる気がするんだよね。もちろん返信があることに越したことは無いと思うけど。
誰かからの宛名の無い手紙(この場面では橋)を、
見ず知らずの自分が受け取ってるような体験が生まれている
特に、PS4上でのシステム的なコミュニケーションって、そういうどこか献身的というか、見返りを求めないコミュニケーションが難しくて。
PS4からメッセージを送ればそれはある程度明確な意思として、相手に伝えるためのメッセージであると思うし、返事が無いほうがちょっと不自然かなと思う。もしメッセージを無視したとしても、それは無視したという返事になるとかんがえられ。チャット・ボイスチャットももちろん同じ、というかよりその返事を求める力は強いと思う。そうなると、ちょっとDEATH STRANDINGの「繋がり」とは異なってくるのかなと。
まあ、ユーザーがゲームのような繋がりを求めたのかどうかはわからないけど、結果としてこのようにゲームから現実世界へのアクションが起こされたことはコメント欄から証明できたのは面白い結果だったと思う。
勘案すべき事項
もちろんPop Virusの楽曲人気、星野源さんの海外人気がどんどん高まっていること、についてはちゃんと勘案しないといけないから、この結果が全部ゲームのおかげ!とは言えないと思う。
ただそれを差し引いても、ゲーム関係のコメントが多数あったことから、ゲームの影響は少なからずあると思うし、海外へとゲームを通じてリーチするっていうのはインターネットが日常に溢れている現代として、言語や距離の壁が本当に無くなっていて、音楽という共通項のみで「繋がり」が出来ていることになるんじゃないかな。
本当に音楽が好きだからこそのユーザーからのリアクション
星野源さんの「恋」のコメントに、ドラマ逃げ恥のコメントが多いのはわかる。日本のドラマで日本のアーティストだから。
でも今回のケースって、そういう自国のアーティストではないから、国というか言語の壁が存在してると思う。
国民性とか積極性、個人の性格もあると思うけど、言語の壁がある中、自国の言語で他の国のアーティストの動画にコメントするっていうアクションはちょっとハードルが一段高くなるんじゃないかと考えてて。だって、行動に対する見返りがないんだよ。
しかもゲームの中の楽曲をネットで検索してyoutubeで見て正しいかどうか確認して、さらにコメント残すって結構熱量ないとやらないんじゃないかな。
でもそれが実際に行われているというのって、十二分にその曲のプロモーション、ブランディングが出来た証拠であると言えると思うんだよね。
Pop Virusは、例えばキングダムハーツ3における宇多田ヒカル&Skrillexの「Face My Fears」とは、知名度やプロモーション力、売り上げや楽曲を主題歌としての扱いなどが違うから比較対象としてはちょっとずれてると思うし、ガンガンスポットライト当たりまくりの扱いでは無いし。
もちろんPop Virusもタイアップと言ってしまえばそこまでなんだけど、でも別に主題歌じゃないし。プレイしないと聞けないし。CMでも使われてないし。
このゲームはこの曲!って扱いじゃないんだよね、Pop Virusは。
こう、なんというか、だからこそ本当にユーザーの能動的な動きがはっきりわかったような気がして。結果としてプロモーションというビジネス的なものにはなってるけど、その前に、「このゲームでこの曲を知ってコメントした」っていう熱量が個人的には感じられたのが、凄い良い結果だなーって思ったり。
だってさ、他にも色んな音楽、現実のアーティストの曲が入ってたりするんだよ。それなのにその中からPop Virusの動画のコメントまでたどり着くのって凄いことなんじゃないかなと。なんか、嬉しくなった。
余談:ゲームに内包された音楽か、音楽にゲームが付随しているのか
ゲーム音楽って、ゲームの中のBGMではあるものの、極端に捉え方を変えれば、音楽にゲームが付随しているというような考えも出来るんじゃないかと思っているところがあるんだよね。付随というとちょっと違うかもしれないけど…。
これはあくまで現実的にはどうとかの話ではなくて、概念的な話になるんだけど…。
いい音楽っていうのはゲーム内外関わらず世の中にたくさんあるわけだけど、アニメやゲームなどコンテンツ系の音楽はどうしてもその音楽とコンテンツの魅力が包括されての評価になっているところがあるんじゃないかと。やったことの無いゲームのサントラ買ったことある人ってもうほとんどいないと思う。
ゲーム音楽について、そのゲームのプレイ前後ではその音楽に対する評価は違うと思うし、主なゲーム音楽の評価ってプレイ後の評価な気がする。
ここで視点をめちゃくちゃに逆転して、ゲーム音楽を主という捉え方をすると、例えばアイドルのCDに握手券が付属しているように、ゲーム音楽にゲームというコンテンツが付属しているというか。そういう見方は本当に極端だけど、微かにできなくはないんじゃないかと考えてて。
そう考えると、ゲーム音楽って、音楽にめちゃくちゃ豪華な付属品=ゲームが備わっている音楽なんだよね。サントラは全曲ゲームに使われている、全曲タイアップの豪華アルバムみたいな。
DEATH STRANDINGの話に戻ると、この「Pop Virus」はあくまでゲームに使われた日本人アーティストの曲。でも、国内外問わずゲームプレイヤーからしたら、もうDEATH STRANDINGの曲としか考えられない。
音楽がゲームで彩られた結果、Pop Virusの動画再生数もコメントも増え、本来なかなか星野源さんにリーチしなかった海外ゲーマー層にも届いたって考えると、ゲームを媒体としての既存の音楽広告効果っていうのは(当然ながら注目度が高いゲームほど)(かつゲームプレイヤー層へとなかなか届かなかったアーティストほど)強いんじゃないかと思う。
そしてそれはそのまま、ゲームミュージックのコンポーザーが制作した楽曲も、音楽単体として以上に、ゲームが付随することで国内外への認知度や魅力が何倍にも増していると思うんだけど、それはまたいつか別枠でまとめられたらいいなと。
終わり
まあそんなこんなをDEATH STRANDINGをやりながら思ったわけでした。
というか今回手作業で数えていったんだけど、何か楽にそういうの集計できる方法あるのかな…そしたらそのあたりの調査捗るしもっと色んな仮説出来そうなんだけど…。
とりあえず、音楽の価値をここまで考えちゃったくらい、楽曲の使い方が秀逸で感情に訴えかけるDEATH STRANDINGはめちゃくちゃ面白い新体験のゲームなので、興味ある方はぜひ。損しないですよ。
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