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915回目:【人生】ターニングポイント〜私、会社辞めました。〜

2024年07月06日の備忘録

【1】私のキャリア第一章〜商社マン編〜「完」

2024年06月28日、私は5年勤めた駐在先のインドのアーメダバードオフィスにて駐在出社最終日を迎えていた。私をインドに派遣した日本本社には、もう戻ることは無い。2024年06月28日のこの日は、派遣先インドでの最終出勤日であると共に、新卒から14年働いた前職にお別れを告げる日でもあった。

会社を去った後は、私は「無職」となり、妻と産まれたばかりの息子が待つ中国へ向かう。中国では、キャリアブレイク、つまり「育児」と「家族日本移住の準備」をする。日本へは、2024年9月ごろ、家族全員で中国から入国し、私は日本のスタートアップ企業で、第二のキャリアをスタートさせる。

インドは最高のフィールド。本当はずっとインドで仕事したかった。しかし、これからの私、家族、子供の人生を全て考えると、私だけがインドで奮闘することも限界がきていた。そんな事を悟ったとは到底思えないが、偶然、子供の出産と同時期に、本社からインド駐在の終了を告げられた。その時、私の息子が「パパ。。もうインドお疲れってことで、もういいでしょ??」と、言っている気がして、次の人生を家族と共に進む踏ん切りがついたのだ。

【2】この会社に入社した志望理由

2009年4月、私は大学四年生の時に就職セミナーに参加し、前職の会社と出会った。就職活動の時の志望動機は、「発展途上国」で「駐在」をすること。会社の援助で海外へ語学研修に行けるプログラムも魅力的だった。漠然と思い描いていた世界で戦うビジネスマン像は、私が高校生の頃から描いたものだった。

2015年11月、運よく海外語学研修プログラムに選抜され、私はアメリカのオハイオ州へ留学することになる。そこで、将来の妻となる中国人の奥さんに出会う。

2016年09月、アメリカから帰国後、新卒から属していたアパレル関係の貿易の部署に戻ることに。同時に、後に8年にもわたる中国人の彼女との遠距離恋愛のスタートとなった。

2019年09月、勤続09年目にして、就職活動の時に伝えた志望動機「発展途上国」での「駐在」の切符を手に入れた。「発展途上」であればあるほど最高だと感じていた私に待ち受けていたのは、日本人にとってはハードシップレベルが高いとされていたインド・ムンバイ、更には、泣く子も黙る際僻地、ハードレベルMAXインド・アーメダバードでの駐在だった。

独創的な発想や能力、他人と差別化できる価値を得るには、当然、差別化された経験や、希少価値が高い経験を積まなければならない。人と違う環境で生き残った経験は、将来的に大きな資産となる。私にとってこのインド駐在は、それを取りに行くプラチナチケット以外何者でもなかった。しかし当時は、インドには今ほどの存在感は無く、僻地へ向かう我々は、多くの人達から同情を受けつつ出発した。そして、時代は変わり、五年後の今は、インドに熱い視線が注がれ、特に若い方々が行きたい!と思ってくれる駐在先になって来たのはとても嬉しい。

最大の味方は当時の彼女(今の妻)。2019年当時、その未来像をとても理解し、行ってこいと、思い切り背中を押してくれたのはとても有り難かった。

【3】次の目標を探し続けた5年間

3-1:夢に到達した事による悩み

駐在がスタートしてからこの5年間、私はとても大きな悩みを抱えながら仕事をしていた。

それは、この会社で達成したい目標を、既に達成してしまい「次の人生の目標」が無くなったこと。駐在前、どんな辛い事があろうとも、この「発展途上国」への駐在をモチベーションとして様々な苦難にも耐えてきた。しかし、そこに到達してしまうと、次の目標を探すことが困難となった。だから、この5年間私は、ずっと「次」を探し続けていた。駐在が終わった後の次は?と聞かれてても、この前職の会社で成し遂げたい次の目標は本当に無く、ずっと濁し続けてきた。

3-2:インドで出会った怪物達

日本を出て、インド社会で生きる事で、今まで観てこなかった世界や、優秀なビジネスマン、全く異なる知識を持つ人々と出会う。そして、日本の商習慣や風習に疑問を持つようになってくる。また、私が見ていた世界は、とても狭い世界であった事も痛感させられることになる。

3-3:目の前の事に全てをぶつけたる

そして、いつの頃からか、「この駐在が終わったら、新しいチャレンジをしなければならない。その為に、この駐在期間は自分の限界を越え、今までの私の力を全てぶつけて生きてやる」と思うようになった。この5年で得た経験が、自ずと次の目標に導いてくれると勝手に信じることにした。

仕事は選ばず全てにトライ。再生可能エネルギー、機械、繊維、釣具、ケミカル、農業、アフリカ、二郎ラーメン、人事採用、ウェブサイト、SNS広告、YouTube、インスタ。やれることは全てにトライ。私は経験が欲しかった。ブログを書き始めたのも、自分の経験を保存しておく為だ。

3-4:承認欲求を捨てる

そんな半分吹っ切れた状態で駐在をしていたせいか、日本の会社に垣間見える「忖度」は、かなり滑稽に見えてきて、自分のためにならなそうなことは極力見て見ぬ振りして、個人のスキルアップと、インドの自分のチームの事だけに集中した。「本社からの評価なんてどうだって良いや」ってマインドが、寧ろインドでの仕事のパフォーマンスを高めた。もし、他人の評価や顔色を伺って仕事をしていたら、私のインドでのパフォーマンスはもっと悪かったに違いない。これは、承認欲求からの解放だ。

【4】環境にこだわれ

2024年2月、そんなことをしている間に、あっという間に4.5年が過ぎ、私の帰任の辞令が出ることになる。同時に、私の次のキャリアを考える時が来た。その時は、まだ「退職する」とは決めていなかった(90%はその時決めたけど)。

4-1:伸びる世界に身を置くことが”超”大前提

インドに来て肌で感じたことがある。それは、「伸びる世界に身を置かなければ、人生のチャンスは巡ってこない」ってこと。

空白の30年間と言われた日本。市場経済が全く発展しない世界で育った私に、最も大きなインパクトを与えたのはこの考え方だ。インドにいなかったら、私は実感しなかっただろう。急速に成長する世界にいれば大変なことはある。しかし、誰も正解がわからない分、チャレンジもしがいがあり、得た経験は唯一無二のものになる。伸びる世界に居るだけで、出会った事もない天才や、バケモノみたいなキャリアを持つビジネスマンに出くわす事もある。

「環境が人を変えていく」ってのは、この転職活動中も感じた。私が、狙った業界がスタートアップだったって事もあり、そういう「本物の天才」に幾度となく出くわし面接を行った。元大手総合商社出身が出てくるのは当たり前として、外資系コンサル出身者。ラストに東大卒からの元マッキンゼーまで出てきた時には、生きてきた世界の違いに圧倒された。こんな怪物達と対峙出来るほど俺は洗練されていない。レベルが全く違うと、衝撃を受けたこともある。しかし、同時に、こんな人たちと仕事してみたいと思う自分もいた。本物の怪物達は老舗大手企業よりも「スタートアップ」に生息している。転職活動を通して、これは肌感として分かった。

4-2:怪物がウヨウヨいる世界で、普通に生きていることが大事

大事なのは、そういう世界の中にいる事が、何か特別なことではなく、「普通」に感じられるように自分を促していく事だ。狭い世界で天下取ったかのように威張るのではなく、普通に怪物がウヨウヨいる世界の中で、普通に生きていくこと。これが、自分の力を伸ばしていくと確信した。いくべき先は、「未来像がよく分からない」「成長しそうな産業」だ。これは、これからの人生の選択で絶対に頭に入れておかなければならない考え方だ。今、内定を頂いている会社は全てスタートアップ。業界は代替エネルギー、脱炭素、AIなど、そっち系に行ってやろうと思っている。

また、成熟市場では、ある程度のチャレンジはし尽くされ挑戦する余白は残されていない。それを察知したら即座に抜け出す決断も重要だ。「逃げる」「家族が居るから」「他人からの目」。こういうのが足枷になって、歳を取れば取るほど逃げられなかなる。しかし、本当にそうか?本当は現状に甘んじているだけではないのか?

【5】子供も生まれる

巡り合わせと神様からのギフトってことで、2024年05月に子供も生まれる。これも私の人生の考え方を大きく変えることになる。

【6】退職を決断する

私は、決断し「退職」を試みた。

6-1:退職理由

  1. 「成長産業」に身を投じたいので転職したい。これが最も重要。

  2. 大企業では働けない。半カオス状態のスタートアップ企業みたいなインド店での5年間は私の仕事のやり方や価値観も大きく変えたと思う。大企業の1ピースとして働くのはもはや無理だと思った。

  3. キャリアブレイクという名の家族との育児の時間を設けたい。

  4. 家族が日本に移住してくるための準備をしたい。8年間離れ離れになっていた中国の妻とも、漸く一緒に住める時が到来。私が1人で日本へ帰国し、2人を待つ事もあり得ないなと言う結論にも至った。

これを全て叶えるには、インドが終わったら会社を辞め、無職となり中国へ行く。同時に転職活動を進める。道はこれのみだ。

6-2:キャリアブレイクとは

「キャリアブレイク」とは、わざと離職期間を作り、人生の見直しや、次へのステップに行くためのリセット期間のことを言うらしい。人生100年時代「ライフシフト」と言う本の中でも取り上げられており、終身雇用が崩壊しているにも関わらず、健康寿命がこれから伸びる世界の中で、時たま人生の見直しを行う事が当たり前となる時代が来るとのこと。本に書かれてあることを自ら実践してやった。

6-3:「キャリアブレイク」要は「ニート」

「キャリアブレイク」。なんかカッコよさそうに聞こえるが、要は「ニート」を表す新たなかっこいいワードとも捉えられる。なので、「俺、キャリアブレイクしてます。」と言う為には、仕事を再開する目処が立っているのが基本であろうと思った。

6-4:駐在しながらの転職活動

幸い、インドを離れる6月28日の段階で、2024年10月から仕事を開始すべく、とあるスタートアップ企業様から内定も頂いており、その後もスタートアップ何社か内定を頂いた。なので、「無職」は避けられており、精神状態はかなり上向きになっている。

普通、「退職」とは「転職先」が見つかってから実行するもの。しかし、私の場合は、日本に戻る気がなかった為、「駐在期間の終了日」が「退職日」にするしか無かった。すると、内定の有無に関わらず「退職願」を出さなければならなくなった。実は、「退職願」を出した時には、まだ内定は手元になかったため、無職になるのでは?と、かなりの恐怖と闘っていた。自業自得なのだが。

更には、インドの仕事に影響も出したくなかったため、仕事と並行して行われるキャリア採用面接は、インドの祝日に行った。時には、時差を逆に利用し、出勤前のインド時間の朝05:30から開始される事もあり、身体的にも辛い時期があった。インターネットが本当につながるかも分からない僻地から、スーツを着てウェブ採用面談に登場したことも。。

【7】一個ずつ乗り越えてきた。

私は、一個ずつ乗り越え始めた。

別居、駐在、退職、転職、出産、移住と、一個でもヘビーなライフイベントが、全て並行して起きていたここ数ヶ月。眠れない夜も多々あった。しかし、皆んなのおかげで、私は一つずつ乗り越えられてきた。

一番ホッとしたのは、インドから中国に帰ってきて、産まれたばかりの子供に、「ただいまぁ!パパだよ!帰ってきたぞ!無職だけど」と、冗談でも、笑うに笑えないネタをかます必要も無く、次がちゃんとある状態で、息子の元に戻って来れたこと。

また、精神的にはキツかったけど、転職活動はやって本当に良かった。自分の市場価値の把握とキャリアの棚卸しも出来た。そして、前職には居ないような、沢山の怪物にも出会い私に足りない要素も把握した。一方で、圧倒されつつも、私は負けてないかもと、逆に手応えを得ることもあった。

一旦、中国で休憩だ。3ヶ月は家族にフルコミットする。10月まで仕事は一旦忘れる。でもこの際いい機会だから副業やってみたい気持ちもある。

とにかく、キャリアブレイクin China育児編、これよりスタートとなる。

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